こんばんは。
昨年12月よりブログを始めて8ヶ月ぐらい経ちました。
突然始めたブログですが、非常に楽しく続けております。
本当にブログを始めてよかったなぁ、とつくづく感じております。
今回は、このブログのタイトルについて説明したいと思います。おそらくちゃんと説明した記事がまだなかったので。
このブログのタイトルは「全然ロジカルじゃない(!)書きたいことをひたすら書くブログ」ですが、実際にはごく一部ロジカルに展開されている記事もあったかもしれません。
「全然ロジカルじゃない」としているのは、わざと「全然ロジカルじゃない」記事を目指しているのではありません。厳密にロジカルであることを追求しないという意味で「全然ロジカルじゃない」としています。
というのも、気軽に記事をアップできることがブログのメリットであるのにもかかわらず、もしブログ記事で厳密にロジカルであることを追求してしまうと、僕は論文書くのと同じぐらいの推敲を重ねてしまうので、いつまでたっても記事をアップできないという矛盾に陥り、結果的にブログのメリットを潰してしまうことになります。記事の中で展開されている僕の思考には当然ヌケモレがあるかもしれないし、具体的な数字もほとんど提示しないままアップしているから「全然ロジカルじゃない」のです。(ただし、書くスピードで思考できる限りにおいては、ロジカルさを減じていません。)
ロジカルが決して悪いわけではなく、言語表現である限り一定のロジックは当然必要ですが、しかしロジックだけで新しい発想やひらめき、着想を書き留めることは不可能です。このブログでは、厳密なロジックよりもひらめきや着想を大事にするために、「全然ロジカルじゃない」とタイトルで断っているのです。
後半の「書きたいことをひたすら書くブログ」はまさにその言葉の通りで、僕が書きたいことをひたすら書いています。
実は自分が書きたいことを書くというのは、好き勝手に書いているようで意外と難しいのではないでしょうか。なぜなら、自分の興味関心というのは、本当に自分がそれに興味を持っているのか、はたまた他人の影響を受けたものかもしれないからです。
自分が何が好きなのか、何に興味を持てるのかを毎日自分に問い続けていかなくては、自由に書きたいことも書けません。ブログはインターネット上に公開されていますが、この読者をある特定の層や知り合いだとかに周知してしまうと、そのような想定される読者層に合わせた記事を書くようになってしまうのではないかと危惧します。
このブログの説明の最後に「ノンロジカルエッセイ。」と書いてあるのですが、フランス語のessaiは「随筆」という意味の他に「試み」とか「企て」という意味を持っています。
このブログで扱うテーマはビットコインであったり、VR・ARであったり様々ですが、テーマがあちこち飛ぶのは、僕が新しいテーマに触れ、書きながら、別の発想を「試み」ているからです。
これは一人でブレストをやっているようなものです。毎日何かしらの着想が出てくるので、それをそのまま書き出してブログの記事として載せているだけです。ブログを書くためにネタを探すようなことは一切やっていません。
ちなみに、吉本隆明さんの代表作に『マチウ書試論』というものがありますが、あれはもしかすると、ロジックだけで書いているのではないという意味で「試論」となっているのかもしれませんし、そうであるとすれば「試論」と呼ばれるものをロジックだけで読み解こうとするのは間違っていると言えるのかもしれません。
最後に、鎌倉時代の代表的な随筆家がエッセイの本質を言い表しているので、引用して閉めたいと思います。
「つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(兼好法師「徒然草」)