まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(11)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富、および諸事物の価値について(承前)

ある商品から別の商品への転化、そして貨幣
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 同等の価値の属する諸事物のうちには相異や格差はない。すなわち、ある商品は、同一の価値を有している別の商品と同等の財である。百ポンドの値打ちがある鉛や鉄は、百ポンドの値打ちがある銀や金と同等の価値がある。また、百ポンドの値打ちがある布は、百ポンドの値打ちがある上質な布と同等の価値がある。百ポンドの値打ちがあるトウモロコシや畜牛を保有している男は、百ポンドを金銭として保有している男と同等の富豪である。なぜなら、彼のトウモロコシと畜牛はすぐに大金へと転化できるからである。そして、商人や貿易商は常に自分たちの金銭を諸商品へと交換している。なぜなら、彼らは金銭よりも諸商品によってより多くを得ることができるからである。そのような商品は、そのような諸商品が最も不足しているところに輸送するか、またはそのような諸商品の姿形を変化させることによって、より有用なものとなり、それによってより多くの価値の属するものとなるからである。

(Barbon1696: 7-8)

バーボンはここで同じ金額の商品は同じだけの価値があるとみなす。そして同価値であることによって、商品間での交換が可能となる。

 前回見たように、同一の用途でもない限り、商品の豊富さや希少性がその価値(価格)には影響を与えないとされていた。しかし、だからといって、異なる商品が全く比較できないわけではないのである。

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 さて、もしあらゆる諸事物の価値がそれらの使用から生じるのなら、もし豊富さや希少性が諸事物を高価または安価にするならば、もし銀がいくつかの用途のための商品であり、そしてある場所では他の場所よりも豊富であるとすれば、そのときには、銀が何らの確固たる価値または内在的価値をも有することができないという帰結が必然的に出てくるに違いない。そして銀がある確固たりえない価値の属するものであるならば、それは商業と交通の道具には決してなり得ないのである。なぜなら、それ自身の価値が確固たりえないものが、別の価値の確固たる尺度であることは決してあり得ないからである。

(Barbon1696: 8)

バーボンは、これまで自身が示してきた経済法則をもとに、銀がその供給量に応じてその価値が変動するならば、銀の価値は「確固たるもの Certain 」ではないので、それを貨幣として用いることはできないのではないか、という問題提起を行なっている。

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文献

〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(10)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富、および諸事物の価値について(承前)

商品の価値と用途
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 同一の用途でもない限り、ある商品の豊富さが別の商品の価値を変えることはない。鉄や鉛の豊富さがトウモロコシや布のいずれかをより安価にまたはより高価にすることはないであろう。なぜなら、鉄や鉛はどちらも食料品や衣料品の欲求を満たすことはできないからである。

(Barbon1696: 7)

すでに見たように、バーボンは「豊富さは諸事物を安価にし、希少性は諸物を高価にする」(Barbon1696: 5)と述べ、その物の供給量に応じて価値が変化することを指摘していた。その上で、このパラグラフでは、豊富さや希少性が価値に影響を与えるのは、「同一の用途 same use 」を持つ商品(ただし同一の材質からなる商品ではない点に注意が必要である)の間に限定されることを述べているのである。

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 金・銀は鉛や鉄と同様に諸商品である。その豊富さや希少性に応じて、それで作られた諸物がより高価になったり、より安価になったりする。すなわち、金・銀の食器、刺繍などであっても、それらがトウモロコシ、布、鉛、鉄などをより高価にしたり、より安価にすることはできない。なぜなら、それらはこうした諸商品の諸用途を供給することはできないからである。

(Barbon1696: 7)

金や銀がトウモロコシや布の価格に影響を与えないのは、金や銀が金属でトウモロコシが食料品で布が衣料品だからではない。金や銀はその「用途」からして、トウモロコシや布、鉛、鉄の代替品にはなり得ないからである。

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〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(9)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富、および諸事物の価値について(承前)

「内在的効能」の普遍性
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 だが、諸事物はそれ自身のうちに、すべての場所で同一の効能を有する内在的効能を有している。鉄を引きつける天然磁石や、香草や麻薬に付属するいくつかの性質、ある下剤、ある利尿剤などのように。しかし、これらの諸物がたとえ大きな効能を持っていても、それらが豊富な場所か希少な場所かによって、価値や価格が小さかったり、あるいは全くないということもあるかもしれない。赤い刺草アカソのように、止血するのに優れた効能があるものの、しかしここではそれはその豊富さから無価値な雑草である。そして、香辛料や麻薬も、それら自身の生まれ故郷では何の価値もなく、ふつうの低木や雑草のようなものであるが、我々にとっては大きな価値があり、どちらの場所でも同一の優れた内在的効能がある。

(Barbon1696: 6-7)

バーボンは諸事物がその「内在的価値 Intrinsick Value 」を有することを認めないものの、その「内在的効能 Intrinsick Value 」については認めている。

 「内在的効能」の特徴は、同じ効力が場所を問わずどこでも通用する点にある。

 「赤い刺草 Red-Nettle 」というのは、おそらくアカソ(赤麻、Boehmeria tricuspis、イラクサ科、カラムシ属)のことであろう。アカソはその茎の繊維の丈夫さゆえに、その繊維を取り出して古代より布として織られるのに用いられてきたという。

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 普通の諸事物には何の価値もない。男が蒐集の目的で保有していたようなものに支払いたいと思う男はいないからである。

(Barbon1696: 7)

たとえば河原に落ちている石ころとか、何でもない物を収集する人がいるかもしれない。それは収集するその人にとっては喜びかもしれないが、他の人にとっては無価値である。

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〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(8)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富、および諸事物の価値について(承前)

「価値」と「効能」、あるいは「交換価値」と「使用価値」
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 価値と効能の区別がつかないことほど、この論争を悩ませるものはない。

(Barbon1696: 6)

バーボンは諸物の「価値 Value 」と「効能 Vertue 」を区別する。

 「価値」とは、次のパラグラフで示されているように、「諸事物の価格 Price 」のことである。これを「交換価値」として理解しても差し支えないだろう。

 これに対して「効能 Vertue 」とは、諸物の持っている使用上の効力のことだろう。マルクスはこれを「使用価値」として理解している(『資本論』第一巻)。

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 価値とは諸事物の価格に過ぎない。それは決して確固たるものではあり得ない。なぜなら、〔もしそうであれば〕それはいつでもどこでも同一の価値でなくてはならないからである。したがって、どんな事物も内在的価値を持ち得ない。

(Barbon1696: 6)

バーボンは諸事物が「内在的価値 Intrinsick Value 」を持つことを認めていない。というのも、諸事物が「内在的価値」を持つとすれば、その価値は外部環境によって左右されることがないので、固定化されるはずであるが、実際にはその価値(=価格)は供給量に応じて変動するからである。

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〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(7)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富、および諸事物の価値について(承前)

諸事物の価値は何によって決まるか
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 この法則によりあらゆる諸事物の価値は統制されている。なぜなら、諸事物の価値がもっぱらその使用にのみ頼り切っている場合、もしそれらの諸事物が使い切れる以上にあるならば、残りは何ら使用することも、何らの価値を有することもあり得ないからである。身体と精神の二つに共通のコモン諸欲求は、食料品か装飾品のいずれかに向けられている。食料品向けの商品コモディティは腐りやすく、もし期限内に使用されなければ無駄となって何の役にも立たない。そして、装飾品向けの商品は、豊富さがその商品を普通コモンかつ安価にし、その用途を失わせ、そしてそれゆえにその価値を失わせる。

(Barbon1696: 5)

「この法則」とは、前のパラグラフで示されている、豊富か希少かがその事物の価値を決定するというものである。この法則を反証できるかどうかを示すために、バーボンは敢えて「使用」から事物の価値が決まると仮定するとどのように考えられるのかをここで示しているのである。

 ここでバーボンが「食料品 Food 」と「装飾品 Ornament 」の例を出しているのは、経済学における「正規財」の「必需品」と「奢侈品」との区別に対応するだろう。

 食料品には消費期限がある。食料品は放っておくと腐ってしまう。これが貴金属とは異なる点である。

 それに対して装飾品は、食料品と異なって腐らない。だが、装飾品は希少だから価値を持つのであって、豊富に存在するならその価値を減じてしまう。

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 珍しさと希少性が、装飾品向けに使用される諸事物の価値を決める主要な理由なのであって、それ自体におけるいかなる優れた性質もその〔物の価値を決める主な〕理由ではない。これが、金のブレスレットよりもガラスビーズのブレスレットの方がギニー〔という硬貨〕上ではより一層の価値がある理由である。ガラスを作る技術に通じておらず、ガラスよりも金を豊富に持っている人々にとっては、〔金のブレスレットよりもガラスビーズのブレスレットの方が〕より一層珍しい。そして同じ理由により、鉄鉱山がなく、銀鉱山が豊富にある諸国では、〔銀製の諸物よりも〕ナイフおよび鉄製・鋼製の諸物の方が、より一層の価値がある。もし諸事物の価値がそれに付属している性質から生じるとすれば、鉄製・鋼製の諸物は、銀製の諸物よりもはるかに有用であるがゆえに、より一層大きな価値を持つはずだ〔が実際にはそうではない〕。

(Barbon1696: 5-6)

ヴァージニア・ウルフの作品に『三ギニー』というものがあるが、「ギニー」とはイギリスの金貨のことである。

 このパラグラフでも、やはり希少性こそが諸事物の価値を高めることをバーボンは論じている。しかもそれをガラスや金・銀・鋼といった原料が豊富か希少かという観点から論じている。

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〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(6)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富、および諸事物の価値について(承前)

価値は何によって変化するか
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 精神の諸欲求を満たす諸事物は、ただ評判オピニオンだけを頼りにしている想像上のあるいは人為的な価値しか持っておらず、そしてそれらの諸事物の諸価値は、それらの諸事物を使用する人たちの気分ユーモア気まぐれファンシーにつれて変化する。そしてそれらは、流行遅れであるがゆえにその価値を失う高級なリッチ衣服のようである。

(Barbon1696: 4-5)

すでに以前のパラグラフで見たように、「精神の諸欲求を満たす諸事物」はアクセサリーのような奢侈品であり、そうしたものを身に着ける富豪は他人の「評判 opinion 」に価値の軸を置いているといえる。だから金持ちの「気分や気まぐれ」によってコロコロと価値が変動してしまう。流行が廃れればその物にもはや用はなくなり、価値もなくなる。

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 諸事物の価値を創出するのは、諸事物の機会と有用性である。そして諸事物の機会または使用の観点では、諸事物をより大きな価値またはより小さな価値のものにするのは、諸事物の豊富さまたは希少性である。豊富さは諸事物を安価にし、希少性は諸事物を高価にする。

(Barbon1696: 5)

古典派経済学において〈需要と供給〉という言葉で定式化されているように、諸事物は多ければ多いほど価格が下がり、安価となる。これに対して、希少なものの価値は高くなる。

 注意しなければならないのは、諸事物の〈豊富さ〉とその諸事物を用いる〈機会〉とをバーボンが区別している点である。例えば、ビットコインのマイニング工場では、演算能力を高めるために大量のGPU仕入れられた。しかし、GPUの演算能力は年々増大するので、過去に大量に仕入れられたGPUは後に新たな高性能GPUが発売されるやいなや、絶対的な性能としてではなく相対的な性能が低下してしまう。その結果として、過去のGPUはわずかな期間で役に立たなくなりその〈有用性〉を失ってしまう。これによって同時に過去のGPUはそれを用いる〈機会〉をも失ってしまう。過去のGPUは、いまではそれが豊富にあるとしても、それを用いる〈機会〉がなくなればその価値もまた消失してしまうのである。こうした点を考慮するならば、諸事物の〈有用性〉が変動することによってその〈機会〉にも影響を及ぼすといえるだろう。

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〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(5)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富、および諸事物の価値について(承前)

古代の神話のうちに見いだされし重商主義
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 これは、オウィディウスがミダースの物語によって反論しようと努めている古代の意見であったように思われる。バッコスはミダースにより饗宴でもてなしを受けたことから、返礼として、其方の望むものを何でも与えよう、と彼に話した。そして金こそ唯一の富であるという意見から、自分の触れるものは何でも金に変えてほしい、とミダースは望んだ。彼の願いは聞き入れられ、彼は歓喜した。だが、空腹になったことで、自らの過ちを確信した。なぜなら、彼がワインと肉に触れるやいなや、それらはすぐさま金に変わったからである。もしミダースがその渇きを癒すには金よりも水の方が価値があるという経験をした後、バッコスが自らの親切なもてなしのために川へ行水するよう彼をやり、彼の金を水へと転換するように彼を仕向けておかなかったとしたら、ミダースは餓死していたであろう。

(Barbon1696: 4)

ここで取り上げられているのは古代の神話である。ミダースΜίδας)はギリシア神話に登場する王様のことである。ローマ神話に登場するバッコスΒάκχος)は、ギリシア神話に登場する神であるディオニューソスΔιόνυσος)の別名である。

 金や銀のような貨幣を富とみなしてその蓄蔵を主張したのは重商主義者のマリーンズ(G. de Malynes, fl. 1585–1627)である(中村ほか2001: 17)。だが、それよりも遥か昔の神話に着目して、そこに「金こそが唯一の富である」という見解をバーボンが見いだしているのは興味深い。

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