目次
ヴィーコ『新しい学』(承前)
著作の観念(承前)
形而上学という名辞の意味
地球儀,すなわち,自然の世界の上に立っている,頭に翼を生やした女性は,形而上学である.これが形而上学という名辞の意味であるからである.見ている眼を内部にもった光り輝く三角形は,摂理の顔をした神である.
(Vico1744: 1,上村訳(上)17頁)
(『新しい学』1744年版の口絵)
ヴィーコは「これが形而上学という名辞の意味である」と述べているが,どうして「地球儀,すなわち,自然の世界の上に立っている,頭に翼を生やした女性」が形而上学ということになるのだろうか.
ここで「形而上学 Metafisica 」という名辞の起源である,アリストテレスのいわゆる「形而上学」について見ておこう.
周知のように,アリストテレスの『形而上学』は最初から確固とした意図や構想をもって,順序正しく体系的に叙述されたものではなく,異なった時期に,異なったテーマについて書かれた論文や講義草稿類を,後に全集の編者が集めて一本としたものである.紀元前50〜60年頃と推測されているから,アリストテレスの没後,300年近くが経過している.『形而上学』(metaphysica)という題名も,アリストテレス自身がつけたものではなく,「自然学的諸著作の後に」(τὰ μετὰ τὰ φυσικά)配置するという,(全集の編者)アンドロニコス(Andronikos ho Rhodios)の残したメモが,そのまま後の学問名になったことは周知の事柄である.「後に」という意味のギリシア語μετὰが,同時の「超えて」という意味も有しているところから,「自然学を超えた学問」として「形而上学」という名称が定着した。超自然学ともいうべき性格の者である.内容的にはアリストテレスのいう「第一哲学」(πρώτη Φιλοσοφία)に符合している.
ちなみに「形而上学」という日本語は『易経』(繋辞上篇)にある「形而上者謂之道,形而下者謂之器」(形より上の者,之を道と謂い,形より下の者,之を器と謂う)に由来している.命名者は井上哲次郎で,彼の編纂した『哲学字彙』(明治14年)に見える.
(小坂2015:4-5)
上述の説明を整理すると次のようになる.
- 「形而上学 metaphysica」というタイトルはアリストテレスが付けた名辞ではない.
- 「形而上学」という名辞は「自然学的諸著作の後に τὰ μετὰ τὰ φυσικά」というメモに由来する.
- ギリシア語のμετὰは「後に」と「超えて」の両方を意味する言葉である.
- 「形而上学」は「自然学を超えた学問」という意味の名辞である.
これらの点を考慮すると,「形而上学」が地球儀の上に乗っているのは,まさしく「形而上学 metaphysica」の「超えて μετὰ 」という性質を表現したものであることが分かります*1.
しかし,疑問はまだ残る.なぜ形而上学の女性が立っている地球儀が自然学の表現なのだろうか.形而上学が「頭に翼を生やした女性」として描かれているのは一体なぜなのか.この形而上学はどうして男性ではなく女性として描かれているのだろうか.形而上学の女性はどうして「頭に翼を生やし」ているのだろうか.これらの点について筆者はまだよくわかっていない.この点について,上村忠男は図像学,イコノグラフィーの観点から考察している*2.
もしかするとここで形而上学の役割を果たすべく「頭に翼を生やした女性」を起用したのは,尋常らしからぬその姿が「記憶術」と関わるからかもしれない*3.桑木野によれば「記憶術」においては極端で奇妙な力強いイメージが大きな効果をもたらすとされている.
イメージには,情報を圧縮する効果のほかに,心に強くうったえかけて内容を忘れにくくする力もある.だからこそ,「賦活イメージ(imagines agentes)」と名づけられた記憶用のメンタル画像は,可能な限りヴィヴィッドで,極端なものが推奨された.美しいのであれ,醜いのであれ,とにかく通常の規範を大きく逸脱した図像を意図的に準備することで,心を激しく揺さぶり、記憶に深く刻み付けてゆくのである.
(桑木野2018:81)
形而上学を体現した「頭に翼を生やした女性」とは,まさに「通常の規範を大きく逸脱した」姿形であり,このような描写によって記憶することを意図したものかもしれない.
文献
- Vico, Giambattista, 1744, Principj di scienza nuova, Napoli. (Österreichische Nationalbibliothek, 2015)
- ヴィーコ 2018『新しい学』上村忠男訳,中央公論新社.
- 上村忠男 1998『バロック人ヴィーコ』みすず書房.
- 小坂国継 2015「アリストテレスの形而上学」『研究紀要』79.
- 桑木野幸司 2018『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』講談社.
*1:「もっとも,誤解があってはいけないのでことわっておくが,「これが形而上学という名辞の意味であるからである」という一句の意味については,これを形而上学すなわちメタフィジカという名称が「後」ないし「超越」の意をあらわす接頭辞〈メタ〉と〈フィジカ〉すなわち「自然学」の合成語であることに言及したものと解釈することもできないわけではない.そして,この解釈を採用する場合には,図像学との連関をうんぬんすること自体,ほとんど無用になってしまう.そのうえ,そもそもヴィーコが口絵を作成するにあたって図像学辞典を参照したという確たる証拠はどこにも存在しないのである.」(上村1998:78-79).結局,ここで上村は「これを形而上学すなわちメタフィジカという名称が「後」ないし「超越」の意をあらわす接頭辞〈メタ〉と〈フィジカ〉すなわち「自然学」の合成語であることに言及したものと解釈」しているのか否かはっきりしない.
*2:詳しくは上村1998の第二章を参照せよ.