目次
第十九章 どのようにして音楽は退廃したか
もともと起源を同一にしていた音楽と言語とは、いつからか分離し、区別されるようになった。それはいかにして区別されていったのだろうか。
哲学の研究と推論の進歩は文法を改良し、最初は言語を歌うようなものにした活発で情熱的な調子を言語から奪ってしまった。
(Rousseau 1781:427、増田訳123頁、強調引用者)
それまで韻文であった言語が、哲学者の言語使用によって、散文になる。これにより、 それまで言語が持っていた「旋律」という特徴が抜き去られ、生気のないものとなる。
それまで「情念」に向けられていた言語使用はソフィストの登場とともに終焉を迎え、以後「理性」に向けられた言語使用へと変わる。
そのように旋律は言説に密着しなくなって、少しずつ独自の存在になり始め、音楽は歌詞からより独立したものになった。すると音楽が詩の抑揚と諧調にすぎなかった時に引き起こした奇跡も徐々に止んで行った。〔そして以前は〕音楽が情念に対する影響力を詩に与えていたが、その影響力は以後、ことばが理性に対して及ぼすだけになってしまった。それ故ギリシャがソフィストや哲学者で満ちてくると有名な詩人も音楽家も見られなくなった。説得する術を培うことで感動させる術を失ったのだ。
(Rousseau 1781:428、増田訳123〜124頁、強調引用者)
哲学者によって言語から音楽的要素が骨抜きにされ、その結果として近代人の言語からは弁論術が失われたとされる。この近代語における弁論術の喪失が、次章「言語と政体の関係」を読み解く鍵となる。
第二十章 言語と政体の関係
この章でルソーは古代と近代における言語(弁論術)の違いについて考察している。両者の違いはどこにあったのだろうか。
自由に好都合な言語がある。それは響きがよく、韻律や諧調に富み、とても遠くからでもその弁舌が聞き分けられる言語だ。われわれの言語は長椅子でのざわめきのためにできている。われわれの説教師たちは聖堂で苦労して汗まみれになるが、彼らが何を言ったのか何もわからない。一時間叫んで疲れ果て、半死半生の状態で説教壇を後にする。たしかにそれほど疲れる必要はなかったのだ。
(Rousseau 1781:432-433、増田訳132頁)
ルソーによれば、古代の弁論は人々にとってよく聞き取れたが、近代の弁論は人々の耳に届かない、聞き取りづらいものになっているという。これは前章における言語からの音楽的要素の喪失という観点とセットで捉えられるべきである。
では、言語がまだ音楽的要素を持っていた古代において弁論はいかなるものであったのか。
古代においては、公共の広場で簡単に民衆に聞いてもらうことができた。丸一日話しても気分が悪くなることはなかった。将軍たちは軍隊に演説をしていた。人々は彼らの話を聞き、彼らは疲れ果てることは決してなかった。
(Rousseau 1781:433、増田訳132頁)
音楽的要素と一体であった古代の言語においては、弁論は聴取されやすく、聞き手と話者の両者にとってそれが長時間にわたっても疲れにくいものであった。これは先の疲れやすい「われわれの説教師 Nos Prédicateurs 」とは大違いである。