目次
はじめに
本稿ではラモーの『和声論』を取り上げる。ルソーは『言語起源論』でラモーの『和声論』を批判しているが、そのルソーは若い時にラモーの『和声論』をよく読み学んだという。
今日買った本、
— 荒川幸也 Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年2月3日
J.-Ph.ラモー『和声論』伊藤友計訳、音楽之友社、2018年。https://t.co/lr9nrXL9vY pic.twitter.com/yxVOOcP99V
楽譜も読めない音楽の素人である私がラモーの『和声論』を読み解こうなどとは、ともすれば不遜な態度かも知れないが、多めに見て頂きたい。
序文
ラモーは『和声論』「序文」で音楽の歴史について語っているが、その際にラモーは古代の音楽家と現代の音楽家とを比べている。
われわれの時代に至るまでに音楽がどれほどの進歩を遂げてきたとしても、耳がこの技芸のすばらしい効果に鋭敏になるに従って、心のほうは音楽の真の諸原理を探求することに関してますます好奇心を失ってきたようである。したがって、音楽においては経験がある種の権威を獲得した一方で、理性は自らの権利を失ったのだと言うことができる。
(訳1頁、下線引用者)
ここでは「耳(oreille)」と「心(esprit)」、「経験(experience)」と「理性(raison)」とが対比的に用いられているように思われる。ラモーによれば、古代の人々は「理性」でもって音楽の原理を明らかにしたが、現代のわれわれは「経験」を優先しがちであり、音楽の原理の探求がないがしろにされているという。
古代の人々からわれわれに残された書物は、ただ理性のみが彼らに音楽の諸特性のもっとも多くの部分を発見する手段をもたらしたことをまったく明白に示している。しかしながら、経験は古代の人々がもたらしてきた多くの音楽の諸規則に賛同するよういまなおわれわれに促すにもかかわらず、今日ではその理性から引き出されうるあらゆる利点がないがしろにされ、単なる実践という経験が優先されてしまっている。
(訳1頁、下線引用者)
ここで具体的な名前は挙げられていないが、「ただ理性のみが彼らに音楽の諸特性のもっとも多くの部分を発見する手段をもたらした」例としては、ピュタゴラスが発見した数比論かもしれないし、数学者アリストクセノスや、天文学者でもあったプトレマイオスの音階論かもしれない*1。
経験すなわち演奏(パフォーマンス)ばかりが重視される時代だからこそ、ラモーが本書で行うような音楽の諸特性の解明が意義を持つとでも言いたげな文章である。
第1章 音楽と音について
では、ラモーにとって「音楽」とは一体何であろうか。
音楽とは音の学である。それゆえに音が音楽の主要な対象である。
音楽は概して和声と旋律に分けられる。しかしわれわれは、旋律が和声の一部にすぎず、音楽のあらゆる特性の完全な理解のためには和声の知識で十分であることを以下で示そう。
(訳26頁、下線引用者)
「概して(ordinairement)」つまり音楽は和声と旋律の二つに分けられるのが通例であるが、そのような常識に反した主張をラモーは行っているというのである。ラモーによれば、旋律よりも和声の領域の方が広く、旋律は和声のもとに包摂されている。ラモーが「和声」をタイトルにできた所以である。
ところで音楽を「音の学(Science)」と述べたところにラモーの音楽観が垣間見える。中世の大学では音楽は自由七課の一つに数えられていた。
自由七課は学芸学部(または人文学部、教養学部)となり、上位三学部(神学部、医学部、法学部)へ進学するための基礎教養として必修となった。これが中世大学のモデルとなる。学芸学部は語学にかんする三課程(トリヴィウム:文法、修辞学、論理学)と、数学にかんする四課程(クヮドリヴィウム:数学、幾何学、天文学、音楽)に分けられた。
(菅野 2015、205頁)
したがって、音楽とはあくまで基礎科目の一つという認識であった。
しかし、より時代を遡ると、四世紀の古代ローマの哲学者アウグスティヌスはその『音楽論』のなかで"musica est scientia bene modulandi"と述べていた。もしかするとラモーはアウグスティヌスのこの言葉を知っていたのかもしれない。
musica est scientia bene modulandi(音楽とは、正しく〔訳注:音を〕動かす学である)"。これは、アウグスティヌス(Aurelius Augustinus 384—430年)が、その著〈音楽論 De musica 〉のなかで、音楽を定義して記した言葉である。そこでは、音楽が"学(scientia)"として、また"倫理的(bene)なもの"として、さらには"運動(modulandi)"としてもとらえられており、こうした音楽の定義は、古代ギリシアの音楽観を総括的にあらわすとともに、つづく中世の音楽観の基礎をなすものである。
(竹井 1981、13頁)
ラモーは音楽を「音の学」と述べたが、そのScienceとは近代的な意味での「科学」というよりもまだ「知識」に近い意味だったであろう。
(つづく)
文献
- Rameau, Jean-Philippe 1722, Traité de l'harmonie réduite à ses principes naturels.
- ラモー, J.-Ph. 2018『自然の諸原理に還元された 和声論』伊藤友計訳, 音楽之友社.
- 菅野恵理子 2015『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる──21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』アルテスパブリッシング.
- 竹井成美 1981「アニキウス・マンリウス・セベリウス・ボエティウスとその〈音楽論〉(そのI)」大分県立芸術短期大学『研究紀要 1980年』第18巻.
*1:「紀元前四世紀の哲学者・音楽理論家アリストクセノス、紀元二世紀の天文学者・数学者プトレマイオスは、ピュタゴラスの発見した数比論を進化させた音階論を著している。アリストクセノスは音楽演奏の現実にもとづいて音階をとらえ、たとえば4度を全音二つと半音一つとするなど、現代の平均律に相当する説を展開している。いっぽう、当時ローマ帝国領であったアレクサンドリアで活躍し、天動説を主張したプトレマイオスは、完全音程の8度、調和音程の4度と5度、さらに4度(テトラコルド)を三分割して生じる旋律音程をより厳密に数比で表し、感覚にも合理性にも適した分割だとしている(クラウディオス・プトレマイオス『ハルモニア論』第一巻第十五章、山本健郎訳『古代音楽論集』より)。」(菅野 2015、185〜186頁)。