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「市民(シトワイヤン)」とは「道徳的人間」のことなのか——2020年度センター試験「倫理」の問題から考える

目次

はじめに

 今回は「「市民」とは「道徳的人間」なのか——2020年センター試験「倫理」の問題を読む」というタイトルで書きたいと思います。

 私は現在30歳なので、自分が大学入試センター試験を受けたのは、もう10年以上前ということになります。そこで久々にセンター試験でも解いてみようかと思い、東進ハイスクールのホームページから問題を見てみました。

 まずびっくりしたのが「倫理」問1のクワイン登場です。自分が高校の時に習った記憶はありません。クワインは今でこそ分析哲学や科学哲学に興味関心のある人であれば知らない人はいないでしょうが、クワインセンター試験に出すとなると出題者から受験生への「最近の研究動向をも踏まえてもらいたい」というメッセージにもなりますので、挑戦的な試みだと言えます。

 もう一つ驚きだったのが、ホネットの『承認をめぐる闘争』からの引用です。

ホネットはフランクフルト学派の継承者とはいえまだ現役の教授です。著書の『承認をめぐる闘争』はまだ古典とは言えませんので、教科書に載っているのかどうか知りませんが、一応受験生がホネットについて知らなくても解ける現代文の問題のような作りになっています。にしても、『承認をめぐる闘争』から引用されている部分がそんなに面白い部分ではないというのが個人的な感想です。

中江兆民が翻訳したのは『社会契約論』なのか

 さて、私が今年のセンター試験「倫理」の問題を解く中で、文章を読んでいて理解に躓いてしまった問題がありました。それは下の箇所です。

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この問題の答えは「④ A 中江兆民 B 『社会契約論』 C 共和主義」ですね。この答えを出すのは簡単なんですが、しかし私は設問内の文章が間違っていると思うのです。以下でどういうことか説明します。

 【 B 】に当てはまるのは、選択肢を見ると『自由論』か『社会契約論』のどちらかです。ルソーが『社会契約論』の中でブルジョワとシトワイヤンの取り違えに注意を促し、人はシトワイヤンの本来の意味を知らないと述べたくだりを知っていれば、『自由論』(J.S.ミル、1859年)ではなく、『社会契約論』の方を選択することは容易です。

 しかしながら、兆民が翻訳したのはRousseauのDu contract social(1762年)であり、彼の手になる和訳『民約論』(1874 (明治7) 年)が弟子たちの間で写本で流布され*1、後に彼は漢訳『民約訳解(『政理叢談』所収、1882-1883 (明治15〜16) 年)も出しています(岡田2010:88)。

 ここで問題文に戻ると、【 B 】に当てはまるのは「士」という漢語を訳語として採用したDu contract socialの邦題が正解です。「國人」とか「市民」と訳したものは【 B 】に当てはまりません。したがって、【 B 】の正解は、問題の選択肢にない漢訳『民約訳解』となります。

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上の画像は婁騒ウソー民約訳解』中江篤介〔兆民〕訳より。赤丸はシトワイヤンが「士」と訳されている該当箇所である。(婁騒1882:38)

 そもそも兆民の時代には今でいう『社会契約論』という邦題はまだ存在しなかったので、彼がDu contract socialを『社会契約論』と翻訳することはできなかったはずです。にもかかわらず、受験生は設問の選択肢の中から選ぶことで暴力的にも「彼は, 『社会契約論』を翻訳する際…」という間違った文章を構築しなければならなくなるのです。せめて「いわゆる」と補足しなければならないでしょう、「彼は, 〔いわゆる〕『社会契約論』を翻訳する際…」のように。

 ちなみに『民約論』という邦題が付けられた経緯としては、フランスに留学する前に彼は箕作麟祥(1846-1897)の家塾に入門しており、この師・箕作が『万国新史』の中で「民約ノ説」について説明していた為、「民約」という師の訳を踏襲して『民約論』という邦題を付けたのだと言われています(狭間2013:8)。

「市民(シトワイヤン)」とは「道徳的人間」のことなのか

 上の問7の問題文では次のように述べられていました。

「君子」とは, 儒教の伝統において有徳者や有徳な為政者を意味する概念である。また彼〔=中江兆民〕は, 【 B 】〔=『社会契約論』〕を翻訳する際,「通常は「市民」と訳される「シトワイヤン」を, 「君子」の類義語である「士」と訳した。このような, 「市民」とはかつての「君子」や「士」のような道徳的人間であるとする考え方の背景には, 彼がフランスで学んだ, 「市民の徳」を重視する【 C 】〔=共和主義〕という思想の影響があった。

センター2020:61、下線引用者)

設問者の意図を汲み取って肯定的に理解するならば、この箇所は次のように理解することができます。すなわち、兆民は、ルソーが『社会契約論』で用いた「シトワイヤン」の訳語に、「儒教の伝統において有徳者や有徳な為政者を意味する」ところの「士」を採用したのは、「市民的な徳」を持った人物、いわゆる「シヴィックヒューマニズム*2的な意味で市民が自律的に政治参加するという共和主義の思想を表現するためだったのだと。

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 しかしながら、儒教的な意味での「有徳さ」が、(「士」という訳語の背景にあるとされている)共和主義の「市民的な徳」の思想とただちに結びつく訳ではありません。

 この点ですでに私は概念上の混乱をきたしそうなのですが、加えて、この文章の中で私にとって極めて理解し難いのは「「市民」とはかつての「君子」や「士」のような道徳的人間であるとする考え方」という箇所です。ここで「道徳的」とは「儒教的」とも言い換えられるかもしれませんが、「君子」や「士」が「道徳的人間」であるとされているのは、「君子」やその類義語である「士」が「儒教の伝統において有徳者や有徳な為政者を意味する概念」だからではなく、「儒教の伝統」それじたいがそもそも「道徳的」であるからに過ぎません*3

 そもそもルソーの思想において「「市民」とはかつての「君子」や「士」のような道徳的人間とする考え方」があったのでしょうか?

 この問いについてさらに考察するために、以下でルソー的な意味での「市民シトワイヤン」と「道徳」について確認したいと思います。

ルソー『社会契約論』における「道徳」 

 ルソーにとっての「道徳」観について述べておくと、『社会契約論』第一編第八章「社会状態論」の中で、ルソーは「道徳」という意味を、自然状態に対する社会状態における人間のあり方のうちに見いだしています。

以上のものの上にさらに、わたしたちは、人間をして自らのまことの主人たらしめる唯一のもの、すなわち道徳的自由をも、人間が社会状態において獲得するものの中に、加えることができよう。なぜならば、たんなる欲望の衝動〔に従うこと〕はドレイ状態であり、自ら課した法律に従うことは自由の境界であるからだ。

(Rousseau1762: 39、訳37頁、下線引用者)

自然状態において人間は奴隷状態ですが、これに対して社会状態において人間は自然的衝動を克服し自律的に活動できるようになり、こうした自由を「道徳的自由」とルソーは呼んでいます。したがって、社会状態における「市民シトワイヤン」は誰もが道徳的人間だといえますが、しかし、このような道徳性が「市民シトワイヤン」の種差・特徴なのではありません。

ルソー『社会契約論』における「市民(シトワイヤン)」

 次にルソーの「市民シトワイヤン」について見ていきます。『社会契約論』を紐解くと、「市民シトワイヤン」とは能動的に主権政治へと参与する個々人のことであることが分かります。

このように、すべての人々の結合によって形成されるこの公的な人格は、かつては都市国家(Cité)という名前を持っていたが、今では共和国(République)または政治体(Corps politique)という名前を持っている。それは、受動的には構成員から国家(État)とよばれ、能動的には主権者(Souverain)、同種のものと比べるときは(Puissance)とよばれる。構成員についていえば、集合的には人民(Peuple)という名をもつが、個々には、主権に参加するものとしては市民(Citoyens)、国家の法律に服従するものとしては臣民(Sujets)と呼ばれる。

(Rousseau1762: 30-31、訳31頁、下線引用者)

しかし、このように主権者として能動的に政治参加する「市民シトワイヤン」概念は、当時のフランスでは一般的な用法ではなかったとルソーは述べています。

フランス人のみが、この市民シトワイヤンという名をきわめて気軽に用いている。というのは彼らは、彼らの辞典をみても分かるように、市民シトワイヤンという言葉のほんとうの意義をすこしも知らないからだ。もしそうでなければ、この名を勝手につかうことによって、大逆罪をおかすことになるだろう。この名詞は、フランス人のあいだではヴェルテュをあらわすのであって、権利ドロワをあらわすのではない。ボダンが、われわれ〔ジュネーヴ〕のシトワイヤンとブルジョワについて語ろうとしたとき、彼は一方を他と取りちがえることによって、大変な見当ちがいをした。ダランベール氏は、この点について誤りをおかさず、その項目『ジュネーヴ』において、われわれの市にすむ人々の四身分(いや単なる外国民も勘定にいれて五身分さえも)——そのうちの二身分のみが共和国を構成するのであるが——をちゃんと区別した。私の知るかぎりでは、他のいかなるフランスの著者といえども、市民シトワイヤンという語の真の意味を理解していない。

(Rousseau1762: 30-31、訳32頁、下線引用者)

つまりフランス人にとって「市民シトワイヤン」とはもっぱら有徳者を意味するものでしたが、これに対してルソーは、そういう通俗的な意味で自分は「市民シトワイヤン」と言っているのではない、と上の箇所で述べています。

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 このことを敷衍すると、「徳」の側面よりもむしろ能動的に主権政治に参与するという「権利」の側面こそが、「市民シトワイヤン」においては真に重要なのだ、ということになるでしょうか。

高い教養と道徳的能力が要請される「士」——米原

 ここで儒教の伝統における「士」についても確認しておきましょう。

 おそらく「「市民」とはかつての「君子」や「士」のような道徳的人間であるとする考え方」という先の問題文を理解する上で最も参考になると思われるのが、米原謙による以下の論考です。

 では「自治之国」の人間モデルとは何か。ルソーはこれをcitoyenという。兆民はそれを「士」と翻訳する。それは直接的には、族や壮という語を連想させる言葉であったと考えて大過ないであろう。より広く儒教の文化的エートスの中でその内包する意味を探るとすれば、例えば『荀子』(富国篇)の次のような表現を想起してもよいであろう。「士より以上は、則ち必ず礼楽を以て之を節し、衆庶百姓は、則ち必ず法数を以て之を制す。」すなわち「士」とは、「天子、諸侯、卿大夫、士、庶人」という階級制度における「士」であり、支配階級に属する者として、庶人とは厳然と区別される。右の荀子の主張にも示されているように、庶人が他律的に支配されるのに対し、「士」以上は礼楽をもって自からの行動を節するべく、高い教養と道徳的能力を要求された。『論語』(泰伯篇)の有名な一節もそのことを示している。「士は以て弘毅ならざる可からず。任重くして道遠し。仁以って己れが任となす。亦た重からず乎。死して而して後已む。亦た遠からず乎。」つまり儒教の文化的エートスにおいて、「士」とは一個の独立した人格の代名詞であったと考えてよいであろう。

 『社会契約論』におけるcitoyenという概念が、「士」という訳語によってどれだけ見事に蘇っているかを我われは考えてみるべきである。それは現在普及している「市民」や、服部徳訳『民約論』の「国人」という訳語と比較すれば、あまりにも明瞭である。「国人」はもちろんのこと、「市民」という言葉にも、ルソーのcitoyenのもつ倫理的緊張感がまるで伝わっていない。我われは「市民運動」と言い、「労働者、学生、市民の皆さん」と呼びかけるが、その時の「市民」とcitoyenとの落差はあまりに大きい。「士」という言葉が付随させる「修己治人」への強い倫理的要請は、「市民」や「国人」には完全に欠落している。citoyenが「士」と訳されねばならなかった必然性は、以上によって十分理解されるが、この訳語の採用は漢訳によってのみ可能となったこともまた明らかであろう。「士」という語が内包している意味は、漢訳によってのみ、よく伝達しえたのである。

米原1984:8〜9、下線引用者)

下線を引いた「庶人が他律的に支配されるのに対し、「士」以上は礼楽をもって自からの行動を節するべく、高い教養と道徳的能力を要求された」「「士」という言葉が付随させる「修己治人」への強い倫理的要請」という箇所こそが、センター試験「倫理」の先の問題文の背景にある思想と言っても過言ではありません。

 しかし、このような「徳」の側面は、シトワイヤンの通俗的な用法に過ぎず、むしろルソーにとって重要だったのはシトワイヤンの能動的に主権政治へ参加する権利の側面でした。少なくとも「士」という訳語が見事なのは、シトワイヤンの「徳」というフランス語の通俗的な意味を表象的に再現している点においてです。

 他方で同時に、儒教思想において「士」は他律的で従属的な「庶人」に対して支配階級として振舞うという側面を持っているわけですが、このような儒教的な階級観は、ルソー的には不要です。なぜなら治者たる「士」(Citoyens)も被治者たる「臣」(Sujets)も、「民」(Peuple)という同一者の有する二つの側面に過ぎないからです。

あらゆる人々が「士」として責任を果たすこと——小原薫

 このようにシトワイヤンと「士」とが重なり合いながらも異なる点についてどのように考えたらよいのでしょうか。この点については小原薫による以下の論述が参考になります。

ルソーが『社会契約論』第一編第六章で、主権に参与する社会の構成員を公民Citoyensと呼んだところに、兆民は訳語として「士」を用いた。儒教思想には治者を意味する「士」と、被治者を意味する「民」という人間の二元論が存在する。そして、政治を行なうのは「士」の任務とされており、「士」には「民」より重い責任が課せられている。 『孟子』梁恵王編上にある「恒の産なきも恒の心あるは、惟だ士のみ能くなす。民のごときは、恒の産なければ因りて恒の心もなし」が端的に示すように、「士」の役割は重い。兆民が政治社会の構成員をただ「士」と呼んだのは、儒教思想にある「士」と「民」という二元論をとらず、あらゆる人々に「士」たることを、そして、「士」たる責任を果たすことを期待したことを示している。

小原1990:(1315) 2457、下線引用者)

つまり小原によれば、兆民は「士」という語が持っていた儒教的な階級制度観である「士」と「民」の二元論を斥けた上で、あらゆる「民」こそが主権政治に参与する「士」なのであるという意味へと、「士」の意味を刷新したように思われます。したがって、兆民の翻訳によって「士」という言葉は、〈士と民の二元論〉という儒教的意味から脱・階級制度的な「士」概念への転換を果たしたと言えるのかもしれません。

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中江兆民による儒教思想の読み替えと「自由民権」思想の通俗化——井上厚史

 最後に重要な視点として、中江兆民による「きわめて独創的な儒教思想の読み替え」という井上厚史の論考についても触れておきたいと思います。

兆民は、当時の日本人が理解しやすいように、儒教的(朱子学的)枠組みに依拠しながらルソーの社会契約論の「訳解」を制作したが、その過程できわめて独創的な儒教思想の読み替えを行っており、それは結果的に、それまでの儒教的政治観や秩序観を解体するとともに、「民約」と「自由権」を当時の知識人をはじめとする一般大衆に理解させることに大いに役立った、ということである。兆民にとって喫緊の課題は、ルソーの思想を時にはねじまげてでも、当時の日本人に「自由権」と「民訳」という新しい概念を教示し、人々を封建的抑圧状態から解放することであった。確かに、兆民は朱子学的発想をもって、ルソーの『民約論』を読んだと言えるかもしれない。しかし、兆民が著した『民約訳解』が私たちに伝えるのは、儒教的思惟構造がもつ限界や制約を飛び越えながら、当時の日本人にはまったく新しい思想であった「自由民権」思想を、当時の人々にも分かるような伝統的で平易な語法によって教えようとした啓蒙思想家としての兆民の面目である。

井上2008:124〜125、下線引用者)

つまり兆民が目指したのは、当時の人々がすでに理解していた儒学思想の伝統的用語によってルソーの思想を通俗化することができるような翻訳でした。しかし同時に、彼の翻訳はもはや既存の「儒教的政治観や秩序観を解体する」ような代物でもありました。したがって、兆民の採用した儒教的な用語でもってルソーの思想が見事に体現されていると捉えるのであれば、そのような読み方は、ともすればそれによって儒教思想を解体した兆民の破壊的なディスラプティブ翻訳の思想を捉え損ねることにも繋がりかねないのではないでしょうか。

結語

 ここまでセンター試験「倫理」の設問の一つを取り上げ、問題文と選択肢の適切さについて検討してきました。

 わたしたちは、中江兆民がシトワイヤンを「士」と翻訳したのは、問題の選択肢にある『社会契約論』ではなく、選択肢にはない漢訳『民約訳解』であることを確認した上で、「「市民」とはかつての「君子」や「士」のような道徳的人間であるとする考え方」という一文が適切なのかどうかについて見てきました。

 整理すると、フランス人が有徳者としてしか捉えていなかった「市民シトワイヤン」という言葉を、人々が能動的に政治参加する権利という本来の意味で用いたのがルソーでした。そして「市民シトワイヤン」の通俗的意味(有徳者)と本来の意味(能動的な政治参加者)の両方にまたがる概念をうまく言い表している言葉として、兆民は「士」という儒教の伝統において「有徳な為政者」を意味する言葉を採用したということになりそうです。

 しかし、兆民によるシトワイヤンの訳語としての「士」は、すでに儒教の伝統的な理解とは異なる用法で用いられており、儒教の伝統においては治者たる「士」と被治者たる「民」とが二元的に捉えられていましたが、兆民はそのような儒教的な階級制度観をとらずに脱・階級制度的な意味で「士」という訳語を用いていました。

 またルソーと儒教の「道徳」観を比較しても、「自然」との対抗において捉えられているルソーの「道徳」観が、儒教の伝統における「道徳」観と一致しているようには思われません。

 以上より、センター試験「倫理」の問題文は、儒教の伝統における「君子」や「士」の有徳さによって共和主義における「市民的な徳」が表現されているわけでもなければ、ルソーにおける能動的に政治参与する「市民シトワイヤン」概念や、儒教思想を解体しさえする兆民の翻訳の思想を理解するためには不十分な記述にとどまっており、ともすれば読み手に概念の混乱を招く記述になりかねないのではないかと私は考えます。

文献

*1:Du contract socialの翻訳は、中江兆民訳の『民約論』(1874 (明治7) 年)が最初であるが、これは抄訳であった。全訳としては服部徳訳『民約論』(1877 (明治10) 年)が最初であった。

*2:シヴィックヒューマニズム」とは「「個人の自己実現が達成されうるのは、専ら市民、すなわち、ポリスあるいは共和国という自律した〔つまり何ものにも従属・依存しない〕決定をなしうる政治共同体の、自覚的で自律的な参加者として行為する場合にかぎられると主張する」アリストテレス的な卓越主義」(小田川2009:13)のこと。詳しくは、ポーコック 2008を見よ。とはいえ、「徳」の概念も一筋縄ではいかない。田中によれば「キリスト教の徳の概念、ギリシアのアレテーとしての徳の概念、ローマの(ストア派の)道徳的ニュアンス徳の概念、共和主義の徳(シヴィックな徳)の概念は相互に異なった徳の概念である」(田中2002:18)。

*3:儒教は、一面において高度な普遍性を持つとともに、他面において封建社会と不可分離的に結びついた道徳であった。このような徳川時代の社会において西洋文明に直接することを余儀なくされた時、当時の知識人のそしてまた為政者の取った態度は、佐久間象山のいわゆる「東洋道徳、西洋美術」であった。明治維新は、近代国家を建設するために、過去の社会道徳とそれに結びついた高度の普遍性を持つ道徳を捨てた。だが、明治日本では、武士の良きモラル(儒教の精神)であった公共の利益のために自己を犠牲にする精神と、国家への関心、個人の気骨や気概、そして品性はモラル・バックボーンとして継承された」(小野1993:18)。