目次
- 『音楽思想史』に関する先行研究
- ルソー関連文献
- 板野和彦「ルソーの音楽教育観に関する研究」(明星大学教育学研究紀要第18号、2003年)
- 小田部胤久「ルソーとスミス——芸術の自然模倣説から形式主義的芸術観はいかにして生まれたのか——」(東京大学美学芸術学研究室『美学藝術学研究』第15号、1996年)
- 小穴晶子「ルソーの音楽模倣論の意味について」(東京大学文学部美学芸術学研究室紀要『研究』第1号、1982年)
- 増田真「ルソーにおける言語の起源と人間の本性——『人間不平等起源論』と『言語起源論』——」(東京大学仏語仏文学研究会「仏語仏文学研究」第7号、1991年)
- 増田真「説得と誓約:『エミール』における言語の問題」(東京大学仏語仏文学研究会「仏語仏文学研究」第49号、2016年)
(以下のつづきです)
『音楽思想史』に関する先行研究
ルソー関連文献
板野和彦「ルソーの音楽教育観に関する研究」(明星大学教育学研究紀要第18号、2003年)
「ルソーは教育一般において, 物的そして人的な環境を子どもに与え, 自己本性に立ち返らせる教育をめざした。これまでの検討を通してルソーは音楽教育においても技術の偏重を排除し, 人間の生活と音楽の自然なあり方について考えている。」
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月14日
板野和彦「ルソーの音楽教育観…」https://t.co/HSYZq322pa
まあルソーの教育論ってそんな感じだよね、という…。
小田部胤久「ルソーとスミス——芸術の自然模倣説から形式主義的芸術観はいかにして生まれたのか——」(東京大学美学芸術学研究室『美学藝術学研究』第15号、1996年)
「ルソーもまた「和声」の声の内に、音楽の形式性を見て取っていた。しかし、彼に取って和声の形式性はそれ自体としては否定的要因にすぎない。……スミスは「共時的にも継起的にも配列・集成」された諸音からなる「完結した体系」として、楽器を正当化する。」(小田部胤久)https://t.co/DLGVjKPw9n
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月14日
美学研究の泰斗、小田部胤久先生独自の切り口で描かれる、ジャン=ジャック・ルソーとアダム・スミスの音楽論の比較思想史的研究です。
小穴晶子「ルソーの音楽模倣論の意味について」(東京大学文学部美学芸術学研究室紀要『研究』第1号、1982年)
「ルソーがハーモニーにも模倣の可能性を認めるにつれて、ハーモニーも音楽の本質に参与する可能性をしだいに認めていく……考えの変化を見せながらも、ルソーにおいて一貫しているのは、音楽は超感覚的なもののイメージとして我々に働きかけるという主張である」(小穴晶子)https://t.co/QtKlEl4oxf— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月14日
増田真「ルソーにおける言語の起源と人間の本性——『人間不平等起源論』と『言語起源論』——」(東京大学仏語仏文学研究会「仏語仏文学研究」第7号、1991年)
「『言語起源論』はルソーの作品群の中で、周辺的なものでもなければ、思想的に未完成な青年期に属するものでもなく、言語論や音楽論を『エミール』に代表される人間論と道徳思想に体系的に一貫させようとした結果であり…」
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月14日
増田真「ルソーにおける言語の起源と人間の本性」https://t.co/QrYC8hn1ZE
『人間不平等起源論』から『言語起源論』にかけてルソーの思想は深化していき、そこには「人間」把握における根本的な転回があったのです。
増田真「説得と誓約:『エミール』における言語の問題」(東京大学仏語仏文学研究会「仏語仏文学研究」第49号、2016年)
「『エミール』は実践的な教育論として読まれることが多く、「消極的教育」がルソーの教育論として有名であるが、以上のように読めば、第二編を中心とする「消極的教育」は、著者の主要目的というよりも、その段階における教育手段の限界によるもの…」
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月14日
増田真「説得と誓約」https://t.co/AI4WFLGLDi
増田先生による『エミール』のうちにルソーの言語論を読み取ろうとする試みです。
(以下につづく)