目次
- はじめに
- 『音楽思想史』のために最近買った本
- 『音楽思想史』に関する先行研究——ルソーとアドルノを中心に
- ルソー関連文献
- アドルノ関連文献
- 小川博司「反ノリの理論家としてのアドルノ ——ノリの社会学に向けて——」(関西大学社会学部紀要、2016年)
- 菊池由美子「〔書評〕Th. W. アドルノ著『音楽社会学序説』渡辺健・高辻知義共訳——十二の理論的な講義——」
- 高安啓介「アドルノの講演「不定形音楽に向けて」への注釈」(愛媛大学法文学部論集 人文科学編 30巻、2011年)
- 内藤李香「初期アドルノにおける音楽とキッチュをめぐる考察——イデオロギーとしての「キッチュ理念」の解明——」(早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第1分冊 哲学 東洋哲学 心理学 社会学 教育学 57巻、2012年)
- 東口豊「〔書評〕テオドール・W・アドルノ著, 高橋順一訳『ヴァーグナー試論』」(音楽学 59巻1号、2013年)
はじめに
私は『音楽思想史』に取り組むことにしました。
『音楽思想史』に取り組むきっかけとなったのは、小学館がWeb上で公開していた小学館の図鑑NEOメーカー*1で、ふと『音楽思想史』という表紙の画像を作成したことでした。
2020年、私が読んでみたい図鑑をつくってみました!
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月2日
あなたならどんな図鑑をつくる?
「図鑑NEOメーカー」公開中
https://t.co/K1xBlC9ip2 #図鑑NEOメーカー pic.twitter.com/SMMjmOGOPI
不思議なことに表紙のイメージができたことでその中身を自分で書いてみたくなりました。もちろんどんな内容となるのかは今のところまだ自分でもよく分かっていません。しかし、自分にとって未知のことを書こうとするからこそ、この取り組みは面白いのです。
『音楽思想史』目次(予定)をnoteで公開しておりますので、是非ご覧ください!
『音楽思想史』のために最近買った本
私は音楽についてはズブの素人ですから、『音楽思想史』について書くためには多くの参考書籍を揃えなければなりません。さしあたってアタナシウス・キルヒャー『普遍音樂』(工作舎、2013年)、ジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑』(工作舎、1986年)、Th. W. アドルノ『音楽社会学序説』(平凡社、1999年)、アドルノ『不協和音』(平凡社、1998年)の四冊を購入しました。
アタナシウス・キルヒャー『普遍音樂 調和と不調和の大いなる術』(菊池賞訳、工作舎、2013年)
今日買った本、
アタナシウス・キルヒャー『普遍音樂 調和と不調和の大いなる術』菊池賞訳、工作舎、2013年。https://t.co/E1ANDE4h55 pic.twitter.com/JPws0ka1cS— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月9日
ジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑 よみがえる普遍の夢』(川島昭夫訳、澁澤龍彦・中野美代子・荒俣宏解説、工作舎、1986年)
今日買った本①
ジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑』工作舎、1986年。https://t.co/Vb7BPjyx1F pic.twitter.com/F6lUEFIBrh— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月3日
Th. W. アドルノ『音楽社会学序説』(高辻知義・渡辺健訳、平凡社、1999年)
今日買った本②
Th. W. アドルノ『音楽社会学序説』平凡社、1999年。https://t.co/h61vYwf3zX pic.twitter.com/JeONAhPjxa— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月3日
Th. W. アドルノ『不協和音 管理社会における音楽』(三光長治・高辻知義訳、平凡社、1998年)
今日買った本③
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月3日
Th. W. アドルノ『不協和音』平凡社、1998年https://t.co/XY7dlo53Zm pic.twitter.com/i6Uh1WCUUZ
『音楽思想史』に関する先行研究——ルソーとアドルノを中心に
『音楽思想史』に取り組むにあたって、読まなければいけない先行研究がたくさんあります。ネットで検索すると関連する文献が芋づる式で出てきます。それらの文献を効率的に捌くために、Twitter上で論文の一部を抜粋してツイートしてみました。
Twitterに論文から大事な部分を引用してツイートするために読むことで、先行研究のサーベイが大変捗ることが分かった。
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月9日
抜粋ツイートのメリットは、総じて読むスピードが上がることです。140文字におさまるように一箇所だけ論文から大事な箇所を探すのですが、その際に頭の中で「この箇所は周知の事実を辿っているだけなのか」「この箇所は著者独自の考えが述べられたところなのか」を区別しながら読んでいきます。その上で、自分にとって重要だと思った箇所を抜粋します。ただし、140文字で抜粋することが難しい場合もあります。その場合には簡潔なコメントを残すのが良いかもしれません。
ルソー関連文献
内藤義博「ルソーの音楽思想の形成 その三 『百科全書』の《音楽》について」(仏語仏文学 26巻、1999年)
「ラモーに代表される和声豊かなフランス音楽を否定し, 言語の韻律法を反映した旋律と古代ギリシャ音楽を対置しようとするルソーにとって必要なものは, 音楽は言語の韻律法を反映した旋律であると見る音楽行為の非自然性の視点であり, 相対主義の視点である。」(内藤義博)https://t.co/CZGfxJMtOx— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月9日
内藤義博「ルソーにおける音楽模倣論の系譜と展開(前編)」(仏語仏文学 27巻、2000年)
「そもそもルソーが言語の起源にまで遡って原初の言語の状態を解明しなければならないと考えたのは, 旋律による言語の模倣という『フランス音楽に関する手紙』の音楽模倣論に理論的な根拠を与えるためであった」
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月9日
内藤義博「ルソーにおける音楽模倣論の系譜と展開(前編)」https://t.co/38hjjeXijd
内藤先生の研究を読むと、ルソー音楽論の背後にあるコンテクストがはっきりと浮かび上がってきます。ラモーの『和声論』と対照的に、ルソーの音楽思想が自身の中でいかにして形成されてきたのかが明らかにされています。
アドルノ関連文献
小川博司「反ノリの理論家としてのアドルノ ——ノリの社会学に向けて——」(関西大学社会学部紀要、2016年)
「アドルノにとって良き音楽は言語である。つまり、作曲家がその精神を表現し、それが聴衆により適確に理解される。そうした意味において音楽は言語なのである。」
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月8日
小川博司「反ノリの理論家としてのアドルノ——ノリの社会学に向けて——」https://t.co/UDFg2iFXKn
小川先生はこの論文の中でアドルノの音楽論とポピュラー音楽との対立図式という既存路線を立て直すことを試みています。
「ポピュラー音楽研究者には、一般にアドルノはポピュラー音楽を批判していると理解されている。しかし、アドルノが批判しているのはポピュラー音楽だけはでなく、芸術音楽も含めて20世紀社会における音楽のあり方全般である。アドルノの議論をポピュラー音楽批判家として読んでいくと、どうしても芸術音楽とポピュラー音楽がそれぞれの本質を備えているかのように考えてしまう。例えば、ポピュラー音楽には快楽が伴うが、芸術音楽には快楽が伴わないといった落とし穴にはまってしまう。本節においては、アドルノの音楽についての議論をポピュラー音楽対芸術音楽という二項対立図式で読み解くのではなく、言語としての音楽と容器としての音楽という二項対立図式の中で読み解くことにする。」(小川2016、8頁)
ただし小川先生の読解は既存の図式を、すなわち従来の「ポピュラー音楽対芸術音楽という二項対立図式」を「言語としての音楽と容器としての音楽という二項対立図式」へと置き替える試みであって、アドルノ音楽論の読解において二項対立図式そのものが捨てられているわけではない点については、再検討する必要があるのではないかと思いました。
菊池由美子「〔書評〕Th. W. アドルノ著『音楽社会学序説』渡辺健・高辻知義共訳——十二の理論的な講義——」
「本書では, 社会批判の内在する音楽のみが客観的精神の真の沈殿であり, その批判の暗号を解読するのが演奏の課題であるという認識がつねにある。」
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月8日
菊池由美子「〔書評〕Th. W. アドルノ著『音楽社会学序説』渡辺健・高辻知義共訳——十二の理論的な講義——」(生活学園短期大学紀要 8巻、1985年)https://t.co/a5ZzbtuNKf
評者の菊池先生は、アドルノの著作ほど要約困難なものはあるまいという訳者のことばを引きつつも、アドルノの『音楽社会学序説』の要約を試みています。
高安啓介「アドルノの講演「不定形音楽に向けて」への注釈」(愛媛大学法文学部論集 人文科学編 30巻、2011年)
「アドルノがそこで問うたのは、芸術音楽としての前衛音楽について、それがとくに自由を志向するものであるはずなのに、自由を享受してこなかったのはなぜかと言うことだった。そしてその問いから、不定形音楽の理念がまさに自由な音楽をしめす理念として提起された」高安啓介https://t.co/sKOoGcSNQU— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月8日
不定形音楽にとって逸脱されるべき形式は伝統的な音楽のうちにあるわけで、換言するならば、不定形音楽は伝統的な芸術音楽の形式を前提条件としているのであり、その意味では不定形音楽は真の意味で自由とは言えないのかもしれません。
内藤李香「初期アドルノにおける音楽とキッチュをめぐる考察——イデオロギーとしての「キッチュ理念」の解明——」(早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第1分冊 哲学 東洋哲学 心理学 社会学 教育学 57巻、2012年)
「アドルノは…「キッチュの救済」の観点から流行歌の分析を行っている…キッチュ、とりわけ流行歌に内在する社会的契機としてのイデオロギー的な性格——現実の社会状況や人々の苦痛を覆い隠す作用——を示唆する」
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月8日
内藤李香「初期アドルノにおける音楽とキッチュをめぐる考察」https://t.co/RjqPRrEpjP
東口豊「〔書評〕テオドール・W・アドルノ著, 高橋順一訳『ヴァーグナー試論』」(音楽学 59巻1号、2013年)
「その大仰な哲学的身振りにおいてアドルノが真に語りたいのは, 彼らが生きた世界そのものに対する批判であって, ヴァーグナーはそのダシに使われたに過ぎないと感じてしまうからではないだろうか。」
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年1月8日
東口豊「〔書評〕テオドール・W・アドルノ著『ヴァーグナー試論』」https://t.co/Fp0s5ISzqo
(以下につづく)