まだ先行研究で消耗してるの?

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ジャック・デリダ『弔鐘 (Glas)』について

今日はジャック・デリダ『弔鐘 (Glas)』を読んでおりました。

ジャック・デリダの『弔鐘』は、完訳が待望される著書の一つです。左欄にヘーゲル論が、右欄にはジュネ論が同時並行で展開された、そのデザインが極めて斬新で挑戦的な構成の本です。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/e/e8/Derridaglas.jpg(Derrida 1974, Glas

 とりあえず今日さらっと眺めて気づいたことですが、『弔鐘』は割と引用が多用されたテクストなんですね。中盤ではヘーゲルの書簡(ニートハマーとのやりとり)が長々と引用されてますし、後半ではマルクスのパリ手稿からの引用から一転してフォイエルバッハの『キリスト教の本質』からの引用が続きます。しかし、元ページ数を記載しない点はアカデミックな形式に従ってないですし、そもそもページの構造が従来の書籍の形式をかなり逸脱しています。こうした形式の逸脱こそがデリダの「脱構築」なのかもしれませんが、発想の起源を辿れば、タルムードの書籍のデザインに似ている気がしなくもないですね(下図参照)。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f2/First_page_of_the_first_tractate_of_the_Talmud_%28Daf_Beis_of_Maseches_Brachos%29.jpg

 かつて90年代に『批評空間』(浅田彰柄谷行人編集、太田出版)という雑誌がありました。『弔鐘』はこの雑誌の巻末に鵜飼哲訳で連載されていたのですが、連載中に雑誌が廃刊となり、部分訳のまま途絶えました。

 『弔鐘』の研究は十分になされているとは言えないと思うのですが、一応スチュアート・バーネット編『デリダ以後のヘーゲル』(ルートリッジ、1998年、未訳)は目を通しておいた方が良さそうですね。

 日本語の文献だと、『弔鐘』はまだほんの僅かに言及されている限りですが、青柳悦子デリダで読む『千夜一夜』』の中で扱われており、また鵜飼哲『ジャッキー・デリダの墓』所収の「デリダにおけるヘーゲル──『弔鐘』における〈晩餐〉の記号論を中心に」でも扱われています。そして2015年に出た『現代思想』「総特集 デリダ」所収のマイケル・ナース「デリダ最盛期」では、デリダの死刑論講義と合わせて言及されています*1

 

文献

*1:「しかし二年目の死刑論講義では、デリダは『弔鐘』に出てくるこれらのテーマすべてを想起するのみならず、実際に『弔鐘』そのものを参照する──そしてこれはこの講義においては非常に稀なことである。それはまるで、四半世紀後に『弔鐘』が──そしてジュネが──デリダ自身の著作と思考のうちで、再生ないし再盛を、新たな最盛期〔floruit〕を迎えたかのようである。」(現代思想 2015、49頁)。