まだ先行研究で消耗してるの?

全然ロジカルじゃない(!)書きたいことをひたすら書くブログです。ノンロジカルエッセイ。

「マンスプレイニング」について──レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』を中心に

はじめに

 今回は「「マンスプレイニング」について──レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』を中心に」というタイトルで書きたいと思います。

 皆さんは「マンスプレイニング」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「マンスプレイニング」とは、男性を意味する「man」と、「説明すること」を意味する「explain」をかけ合わせたかばん語です。この言葉は2008年以降に使用されたとみられています。

マンスプレイニングとは何か──ソルニットの違和感

 Googleで「マンスプレイニング」を検索してみると、「男性が、女性を見下すあるいは偉そうな感じで何かを解説すること」を意味する言葉として解説されています。

 「マンスプレイニング」という言葉ができたのは最近のことです。レベッカ・ソルニットによれば、2008年4月にソルニットが書いたオンライン記事のエッセイが広く読まれたことがきっかけとなり、後に「マンスプレイニング」という語が使用されるようになったといいます。ただし、「マンスプレイニング」という語そのものは、ソルニット自身が考案したものではないと本人は述べています。

エッセイが公開された直後に「マンスプレイニング」(mansplaining)という語も使われ出した。私が考え出した語だと言われることもあるが、実はまったくかかわっていない。エッセイと、それを具現化した〔そのアイデアを体現した〕ような男たちがインスピレーションになっているのは確かだが(個人的にはどうもしっくりこない語なので〔私はその語に疑念を抱いているし〕、自分で使うことはあまりない。「マンスプレイニング」だと、説教したがるのは男の内在的な欠陥だと強調しているような感じがする〔私にはそれが、男たちがそのような欠陥を(男の属性として)本来的に持っているという考えに少しばかり重きをなしているように見える〕。私が言いたいのはあくまで、説明できもしないことをしたがったり、人の話を聞かない男たちもいる、ということ。記事の中では明確に書いていなかったかもしれないが、興味はあるけどよく知らない事柄をだれかに説明してもらうのは好きだ。でもこちらがよく知っていて、むこうが何ひとつ知らないことについて説教されても、まともな会話にならない)。*1

 

The term "mansplaining" was coined soon after the piece appeared, and I was sometimes credited with it. In fact, I had nothing to do with its actual creation, thought my essay, along with all the men who embodied the idea, apparently inspired it. (I have doubts about the word and don't use it myself much; it seems to me to go a little heavy on the idea that men are inherently flawed this way, rather than that some men explain things they schouldn't and don't hear things they should. If it's not clear enough in the piece, I love it when people explain things to me they know and I'm interested in but don't that the conversation goes wrong.)

「個人的にはどうもしっくりこない語なので」の原文は"I have doubts about the word"となっています。ソルニット自身は「マンスプレイニング」という語を用いることについては戸惑いを感じており、「マンスプレイニング」という語を用いることによって伝えたいこととは別のことが伝わってしまうことに対して危惧を予見している、というようなニュアンスでしょうか。つまり、ソルニットは、「マンスプレイニング」という語が体現している内容(「説教したがるのは男の内在的な欠陥だと強調している」こと)と、ソルニット自身が訴えたい内容(すなわち「説明できもしないことをしたがったり、人の話を聞かない男たちもいる」こと)とは微妙にズレていると感じているようです。どうしてこのようなズレが生じてしまっているのでしょうか。

 このズレをヨリ明らかにするために、まずソルニット自身が記述しようとした「説明できもしないことを〔説明〕したがったり、人の話を聞かない男たち」が一体どのような人たちなのかを確認しましょう。それは彼女が体験した次のエピソードを読めば、一発で理解できます。

 マイブリッジの名前を出すや、彼は私を遮った。「今年出たばかりのマイブリッジ関連のとても重要な本を知ってるかね」。

 無邪気な娘役を演じることに夢中になっていた私は、自分の本と同じ主題の本がその年に出ていたのに見落としていた、と危うく信じかけた。男はすでにそのとてもインポータントな本とやらについて、ああだこうだとまくし立てていた──その表情にはすごく既視感があった──はるか彼方までおよぶ自分の権威、そのぼんやりと霞む地平線をじっと見つめながら滔々と長話をする男の、満足しきった表情。

 念のためにいっておくと、私のまわりはこんな男ばかりではない。若い頃からずっと私の話を聞き、激励し、著作を出版してくれた編集者たち。どこまでも寛容な弟。そしてペレン先生のチョーサーの授業で聞いて以来忘れられない『カンタベリー物語』の学僧のように、「学び教えることを惜しまない」すばらしい友人たち。といっても、碌でもないのもまたいるわけだ。ミスター・インポータント氏が、私が当然知っているべき件の本について自慢げに語っていると、サリーが「それ、彼女の本ですけど」と割って入った。というか、とにかく男を黙らせようとした。*2

ここを読む限り、「ミスター・インポータント氏」と呼ばれる男の説明する行為は、言ってしまえば自己満足的な行為です。つまり、相手のもつ知識水準に合わせて会話することをせず、一方的に自分の知識を披瀝するという行為は、双方的な会話というよりもただの演説に近いかもしれません。そこにあるのはコミュニケーション上の機能不全だと言えそうです。

 ソルニットが感じているように、もし「マンスプレイニング」という語が「説教したがるのは男の内在的な (inherently) 欠陥だ」ということを強調するものだとすれば、それはすなわち「説明すること」が男性に顕著にみられる一般的な傾向ということになってしまいます。英語のinherentlyは「本来的な」という意味です。もし「マンスプレイニング」が男性が生まれ持って備えている男性特有の性質であるならば、男性が男性をやめないかぎり自分自身から「マンスプレイニング」という属性を除こうとすることは困難であることになります。

 もし「マンスプレイニング」が男性の社会的役割によって構成されたジェンダーの問題だとすれば、その発生の起源を解明することによって解決の糸口を探ることはできるでしょうし、それによって「マンスプレイニング」が解決不可能ではなく解決可能な問題であるという見通しを持てることこそが重要だと思います*3

 少なくとも、「説明する」という行為が言語活動であるという点から、「マンスプレイニング」が男性に本来的に備わっている属性ではないと考えられます。というのも、言語というものは学習を通じて後天的に獲得されたものであり、したがって言語使用によって為される「マンスプレイニング」もまた後天的に獲得された性質だと考えられるからです*4

 ソルニット自身は、「念のためにいっておくと、私のまわりはこんな男ばかりではない」と釘を刺し、「マンスプレイニング」の一般化には否定的なようです。そして、そうであるがゆえに「マンスプレイニング」という語に対してソルニットが違和感を抱いていると言えるかもしれません。

おわりに

 もし「マンスプレイニング」が男性一般にみられる傾向ではなく、ある特定の男性にみられる傾向だとすれば、その傾向は何に起因するものなのでしょうか。

 今回は「マンスプレイニング」を取り上げましたが、日本ではあまり聞かれていないように思います。日本ではむしろよく用いられるのは、「マンスプレイニング」に似た言葉で、男女共に見られる「マウンティング」かもしれません。「マウンティング」については別の機会に述べたいと思います。

文献

*1:ソルニット [2018]、22頁。〔〕は引用者による補足、強調は引用者によるものである。

*2:ソルニット [2018]、8〜9頁。

*3:とは言うものの、「マンスプレイニング」がジェンダーの問題だからその解決が"容易だ"ということにはならない。むしろジェンダーの問題だからこそ拘束力が強く解決し難いという可能性も大いにある。「マネーとタッカーの業績は、次の二点にまとめることができる。第一に、生物学的還元説に対して、セックス(生物学的性差)とジェンダー(心理学的性差)とは別なものだとあきらかにしたこと、第二に、だからといってジェンダーが自由に変えられるようなものでなく、その拘束力が大きいことを証明したことである。」(上野 [2015]、11頁)。

*4:そもそもジェンダーと言語とは、根本的なところで結びついている。「「性自認」は二歳までの言語習得期に形成されると言われている。ホルモンと同じく、この臨界期を過ぎるとその後は変化しない。心理学的な性差研究にはおびただしい蓄積があり、幼児の時から、男児は空間能力にすぐれ、女児は言語能力にすぐれているといった調査結果があるが、マネーとタッカーによれば、被験者が調査に応じられるようになるまでには、「性自認」は形成されてしまっていることになる。したがって言語によっておこなわれるあらゆる心理学的性差研究は、一種の「予言の自己成就」、すなわち言語によって形成された性差を言語によって追認するという作業になる。…(中略)…マネーとタッカーは、生物学的性差の基盤のうえに、心理学的性差、社会学的性差、文化的性差が積み上げられるという考え方を否定し、人間にとって性別とはセックスではなくジェンダーであることを、明瞭に示した。人間においては、遺伝子やホルモンが考える、のではない。言語が考える、のである。」(上野 [2015]、10〜11頁)。