まだ先行研究で消耗してるの?

全然ロジカルじゃない(!)書きたいことをひたすら書くブログです。ノンロジカルエッセイ。

家族というメタファー

昨日、フレデリック・ラルー『ティール組織』(鈴木立哉訳、英治出版、2018年)を買って読みました。類稀に見る良書だと思います。

ラルーは、会社組織を主に5つに類型化し、これらの類型を用いて組織の発達段階を示しています。その際に、ラルーはインテグラル理論を参考にして、組織の発達段階のそれぞれに色をつけています。

ラルーによれば、組織は、前組織的段階では①無色、②神秘的(マゼンタ)、原初的な組織段階では③衝動型(レッド)、そして次第に④順応型(アンバー)、⑤達成型(オレンジ)、⑥多元型(グリーン)、⑦進化型(ティール)へと移行するような7つのステージに分類されます。

さらにそれぞれの組織はメタファーで表現され、衝動型(レッド)はオオカミの群れ、順応型(アンバー)は軍隊、達成型(オレンジ)は機械、多元型(グリーン)は家族、進化型(ティール)は生命体のメタファーで表現されています。

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で、ここまでは前置きです。ぶっちゃけティール組織について書きたいわけじゃないんです。

僕がこの本を読んで気になったのは、多元型(グリーン)組織のメタファーが「家族」であるとされている点です。

 達成型(オレンジ)パラダイムは組織を機械とみているが、ほとんどの多元型(グリーン)組織は自社を家族にたとえる。多元型(グリーン)組織のリーダーたちの発言に耳を傾けると、「家族」という言葉がそこかしこに聞こえるはずだ。「従業員は同じ家族の一員」「皆が一緒」「お互いに助け合う」「お互いのために存在している」といったように。(フレデリック・ラルー『ティール組織』英治出版、2018年、60頁)

しかし、ラルーはこの本で「家族」についてはほとんど説明していません。そうすると、我々が多元型(グリーン)組織について理解しようとする際に、家族のメタファーによって多元型(グリーン)組織の理解が助けられるというよりは、むしろ逆に多元型(グリーン)組織の特徴を通じて、メタファーとして用いられている家族のあり方を類推することになります。

さて、ここで読者の方に「いやいやいや、「家族」なんて説明しなくても分かるでしょ?」と突っ込まれそうです。が、よく考えて見てください。

・あなたの育った家族では多様性は尊重されてきましたか?

・一般的に家族とは、多元型(グリーン)組織のように、その中で個人の多様性を尊重し、自律性を促し支援するようなものだと言えますか?

家族とは、国や地域ごとに異なり、家族それ自体が多様性に満ちた組織形態ではないでしょうか。おそらくアメリカの家族のあり方と、日本、インド、イギリス、アフリカの家族のあり方は同じではないでしょうし、ラルーが会社組織を類型化できたのと同じぐらい、家族の類型と発達段階についても解明される必要があると思います。

もちろん『ティール組織』は会社組織についての本であり、家族の説明にページを割く必要はそれほどないとは思います(著者もまさか自費出版の本が12ヶ国語に翻訳されるとは予期していなかったでしょう)が、私には著者のラルーが無意識のうちに自分自身の育った国地域の文脈(コンテクスト)を前提として、その中で認識する「家族」というものをメタファーに用いているような気がしてなりません。

実は、200年ほど前に市民社会や会社を「家族」というメタファーで表現したヘーゲルという哲学者がいました。ヘーゲルはいわゆる『法の哲学』(1821年)のなかで市民社会を大きな家族と捉え、会社を家族的に捉えました*1ヘーゲルは、市民社会の前章で家族の内容について理念的に説明しているので、市民社会や会社を家族のメタファーを用いて説明しても、その内容はある程度定まっています。そのため、ヘーゲルの場合には、ラルーのように「家族」を曖昧な意味でメタファーとして用いることは避けられているといえます。

今日、「家族」について考えるのだとすれば、理想的な家族だけでなく、リアルな家族の特徴や欠陥についても目を配らせなければならないと感じます。もっと言うと、家族をメタファーとして用いる際には、パターナリズムドメスティックバイオレンス(DV)、ネグレクトのような家族における欠陥ないしは負の側面をも考慮に入れる必要があるということです。なぜかというと、会社組織を家族のメタファーで表現できるのだとすれば、会社組織の中でも家族におけるネガティブな側面が現れる(反映される)可能性があるからです。それは、いわゆる「ハラスメント」と呼ばれるものとして現れていると言えるでしょう。ラルーの組織類型を逆に家族に反映させるならば、恐怖で統制する衝動型(レッド)の家族というものもありえるかもしれません。家族というメタファーが多元型(グリーン)組織のようにポジティブな側面で現れるならば良いのですが、その方向を誤るとコンプライアンス的に大変問題となるわけです。

結局、何が言いたいかというと、「家族」をメタファーとして用いる際には、いささかセンシティブに取り扱う必要があるということです。

*1:詳しくは田上孝一編『権利の哲学入門』(社会評論社、2017年)第9章「ヘーゲルの権利論」を参照のこと。