まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

「手抜き」のススメ

今回は、「手抜き」について書きたいと思います。

 

みなさん「手抜き」に対してネガティブなイメージを持っていませんか。

僕は少し前まで、手を抜いちゃダメだと思っていました。例えば、大学院での研究とか、仕事とかでです。なんで手を抜いちゃダメかと思っていたかというと、手を抜いたらダメなやつになると思っていたからです。

でも、「手を抜いちゃダメだ」と思っているからといって、何事も必ずしもうまく行くわけじゃないんです。いや、むしろ僕の場合は非効率で、つまり要領が悪くてダメダメな結果ばかり残してきました。

手を抜かないようにしようとするとどうなるか。おそらく人は無理できるまで頑張ろうとするんです。まあ無理して頑張るのも、しばらくは続けられます。でも、二年、三年と経っていくうちに、どこかでプッツンってなっちゃうんじゃないかな。

もちろん多少無理が必要な時期もあるかもしれません。例えば、未経験の学習を積んでいる頃などは。

しかし、実はその後が問題で、一定期間を越えた後は、継続する力が重要になってくると思います。というのも、短期的に成果を挙げることは、一時的に無理すれば可能なので、割と簡単ですが、成果を短命に終わらせるよりも、むしろ継続的に結果を出していく方がはるかに難しいのです。

最近、企業において「サステナビリティ(sustainability)」すなわち持続可能性の重要性が聞かれるようになってきましたが、サステナビリティの重要性はちょうど人間個人、ひとりひとりにおいても当てはまると言えるでしょう。人間が生きていくのも仕事をするのも同じ個体の生命活動なのであって、これはどちらかというとワークライフバランスと表現されることが多いですが、その根本には恒常性(ホメオスタシス)のバランスや、サステナビリティ(持続可能性)の観点が入っているように思います。無理を続けるならば、ワークライフバランスサステナビリティは実現不可能です。

それで「手抜き」に話を戻すと、仕事で継続的に成果をあげていくためには、「手抜き」こそが非常に重要ではないかと思うわけです。ここで反発が来そうですね。仕事頑張らなくていいのか、と。

しかし、よく考えてみてください。「手を抜くこと」は、実は知性が要求される行為だと思うんです。むしろ手を抜くことによって、これまでイノベーションが促進されて来たのではないかと思うぐらいです。

例えば、作業の機械化やAI化は、ある意味「手抜き」のためのテクノロジーだと言えます。もし人間が有史以来、「手抜き」をしなければ、おばあさんは洗濯機を使わずに河へ洗濯に行ってしまいますし、駅の改札は機械ではなく人が目視確認で出入りをチェックすることになってしまいます。GUIがなければ、人はコマンドプロンプトでいちいちコードで命令しなければならなくなります。しかし、もうお気付きのように退屈なことはPythonにやらせれば良いのです! 

また最近ではRPA(Robotic Process Automation)やEPA(Enhanced Process Automation)、CA(Cognitive Automation)というワードが聞かれるようになりました。これらは単純作業の代替か、イレギュラー対応可能か、ビッグデータをもとに判断を下せるかによって分類されますが、いずれもロボットに作業を代替させることで「手抜き」を可能にするとともに、同時に人間がさらなる創造的な仕事に着手することを助けます。

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テクノロジーの進歩とは、人が「手を抜く」ためにあると言っても過言ではないと思います。そして「手抜き」によって生まれた空隙を使って、さらに人は他の活動をできるようになるので、結果的にはパフォーマンスは向上していくはずです。こうして経済発展を可能にするものをイノベーションと呼びます。逆にイノベーションが起こらなくて困っているのであれば、もしかすると「手を抜くこと」を怠っているからかもしれないのです。

では、イノベーションを起こすには、どうしたら良いのでしょうか。まずは「手抜き」ができそうな作業を探してみましょう。もし「手抜き」ができそうな部分を発見したら、どうしたらロボットに代替できるのかを考えてみましょう。こういう発想がもしかすると新たなイノベーションを生み出すかもしれません。