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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』について先輩に聞かれたので必死に答えてみた

先日、私は大学時代の先輩からLINEでいきなり「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読んだんだけど、ウィトゲンシュタインは結局何が言いたいのよ?」って聞かれたのです。

 いやあ、ウィトゲンシュタインとか専門じゃないし、『論理哲学論考』は買って持ってたんですが、一回パラパラ読んだだけでちゃんと理解してなかったんですよね。なので、答えられないままLINEを放置していたのですが、何度か「お前の意見を聞きたい」ってくるので、必死で読んで次のように回答しました。

 

ウィトゲンシュタインは何のために『論理哲学論考』を書いたのか?その意義をウィトゲンシュタイン自身は次のように書いている。

「本書が全体として持つ意義(Sinn、意味)は、概ね次のように要約されよう。総じて言えることは明晰判明に言えるのであり、語ることのできないことについては口を閉じざるを得ない、と。」(『論理哲学論考』序)

一見複雑に見える『論考』の一つ一つの文全てが、実は「言えることは明晰判明に言えるのであり、語ることのできないことについては口を閉じざるを得ない」という極めて単純なことを示すための要素となっている。「語ることのできないこと」(例えば、倫理や生命(Leben)の問題)について問いただし、疑うことはナンセンス(無意味)だというわけである。

「したがって、本書は思考(Denken)に対して限界を引くのであり、あるいはむしろ、思考(Denken)に対してではなく、思想(Gedanken、思考されたもの)の表現に対して、というべきだろう。というのも、思考に限界を引くには、我々はその限界の両側面を思考できるのでなくてはならないからだ(したがって、思考不能なことを思考できなくてはならないからだ)」(『論理哲学論考』序)

ここでウィトゲンシュタインが区別している「思考(Denken)」と「思想(Gedanken)」とは、英語で言えばThinkingとThoughtのようなもので、「考えている(ことがらとその状態)」と「考えられたもの(過去分詞のニュアンス)」という違いを持っている。「思考(Denken)」を正確に取り扱うためには、「思考」に対する評価者自身(われわれ)が、「思考」の内部ではなく思考の外側にたち、思考の限界を見据えられるようなメタな立場から思考を捉える必要があるというわけである。

ただし、こうして今書かれている言葉もあくまでナマの「思考」そのものではなく、「思想の表現」にすぎない。言語化された時点でそれは「思想の表現」となってしまうのである。したがって、ヴィトゲンシュタインが『論考』で示し得たのは、思考の限界というよりも、思想の表現の限界なのである。

 

以上の回答で先輩は「おまえうまくまとめたな」と返信くれたので、ようやく解放された次第です。