まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

【読書メモ】ショーペンハウアーの「オカルト的性質」について

今日はショーペンハウアー「オカルト的性質」について書きます。

昨日、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読んでいたら、qualitas occulutaっていう言葉が出てきました。西尾幹二訳では「隠れた特性」と訳されています。

僕はocculutaという言葉がどうしても気になってしまったんですね。日本語でも「オカルト」って聞くじゃないですか。「『オカルト』ってそもそもどういう意味なんだっけ?occulutaってあの「オカルト」と関係あるのかな?」などと思ったわけです。「オカルト」って、あの『ムー』とか、心霊現象とか、ホラー映画っぽいイメージを勝手に持っていました。

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Wikipediaを見た限りでは、やはり「オカルト」ラテン語occuluta(隠されたもの)を語源とするらしいです(オカルト - Wikipedia)。要するに、原因がよくわからないもののことを「オカルト」と呼んでいるのではないでしょうか。

 「これ以上になぜにを要求できない(ギリギリの)関係にまで遡ることのない説明はいずれも、オカルト的性質(qualitas occulta)を仮定して、そこで立ち止まるほかないものである。しかし、根源的な自然力は全てこうした性質を秘めている。全ての自然科学上の説明は、結局オカルト的性質に立ち止まるほかないものであって、つまり奥底は全くの暗黒なのである。自然科学の説明が、一つの石の内奥の本質をも、一人の人間の内奥の本質と同じように説明しないで放っておくほか仕方がないのはそのせいである。自然科学の説明は、人間の認識や行動(の謎)を釈明できないのと同様に、石の示す重さ、凝集力、科学的性質などにやはり釈明を与えることはできない。こうして例えば重さもまた、オカルト的性質の一つであると言える。重さは、取り除いて考えることができるもので、認識の形式から一つの必然的なものとして発生するものではないからである。これに反し慣性の法則は必然的なものであって、これこそ因果の法則から帰結するものである。これを因果の法則に還元すれば一つの完全に満足のいく説明が得られるのはそのためである。」(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』第1巻第15節)

「なぜ」を突き詰めて考えると、それ以上説明不可能な性質にまで突き当たる。そういうものをショーペンハウアー「オカルト的性質」と呼んでいるわけですね。

日本では超常現象のようなものが「オカルト」と呼ばれているわけですが、ショーペンハウアーに言わせれば、何の変哲も無い石ころだって「オカルト的性質」を持っているわけです。そう考えると、この世は「オカルト」だらけということになっちゃいますね(^_^;)