まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ルソー『言語起源論』覚書(2)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

ルソー『言語起源論』(承前)

第四章 最初の言語の特徴的性質、およびその言語がこうむったはずの変化について

 ルソーは初期の言語の特徴を音の未分節の側面から考察する。

f:id:sakiya1989:20200219150510j:plain

自然の声は分節されないので、語は分節が少ないだろう。間に置かれたいくつかの子音は、それによって母音の衝突が解消され、母音が流暢で発音しやすくなるのに十分だろう。逆に音は非常に多様で、抑揚の多様性によって同じ声が何倍にも増すだろう。音長やリズムが別の組み合わせのもとになるだろう。つまり自然のものである声、音、抑揚、諧調は、協約によるものである分節が働く余地をあまり残さず、人は話すというよりは歌うようなものになるだろう。語根となる語はたいてい模倣的な音で、情念の抑揚か、感知可能な事物の効果であるだろう。擬音語がたえず感じられるだろう。

(Rousseau1781: 368, 訳30〜31頁)

この辺りは、言語と音楽の起源が同一という第十二章「音楽の起源」におけるルソーの主張につながってくる。

 

第五章 文字表記エクリチュールについて

野生人と野蛮人

 ルソーによれば,エクリチュールの「三つの書記法」が,ネイションとしての人間の三つの状態に対応するという.その際にルソーは«peuples sauvages»(野生人)と«peuples barbares»(野蛮人),そして«peuples policés»(ポリスの人々)をその言語特性に従って区別している.

 以上の三つの書き方は国民 nations としてまとまっている人間を考察する際の三つの状態に比較的正確に対応している.事物〔対象〕の描写は野生人 peuples savages に適しており,語や節の記号は野蛮な国民 peuples barbares に,アルファベットは文明化された国民 peuples politicés に適している.

(Rousseau1781: 370-371,増田訳34〜35頁)

«peuples politicés»が増田訳では「文明化された国民」と訳されている.本書の文脈からすれば,«peuples policés»は後にでてくるギリシャ人を指していると考えられるので,これはもっと言えば「ポリスの人々 peuples policés 」を意味していると思われる.その際,たしかに「政治的 political 」は「市民的 civil 」と同義であったから,«politicés»を「文明化された」と訳すことも可能かもしれない.中村隆之(1975–)によれば,«sauvage»と«barbare»には次のような違いがある.

 ところでいま「野生人」という言葉を使ったのには理由があります.フランス語では「野蛮人」を指す"barbare"(バルバール)のほかに"sauvage"(ソヴァージュ)がしばしば用いられるからです.これらの語は,文明を知らない状態にある人々を指す点では同じですが,"barbare"が文明言語を話せない人というニュアンスを帯びるのにたいし,"sauvage"は語源的には「森に住む人」を指します.ですから"sauvage"のほうは動物との親近性がある語として解されます.森のなかで未開生活を送る人々,というイメージが典型です.「未開人」ともよく訳されますが,ここでは「野生人」としておきます.

中村2020:37).

さらに中村は別の箇所で次のように述べている.

モンテスキューは『法の精神』(一七四八年)で"sauvage"(野生人)と"barbare"(野蛮人)を分類し,前者は狩猟民を典型とし,団結できない小民族,後者は牧畜民を典型とし,団結できる小民族としました.これらの野生/野蛮の段階と対置されるのが文明であり,野生/野蛮の段階にある民族は土地を耕作しないとしました.

中村2020:57).

さて、ルソーの文脈に戻ろう.ルソーは«sauvage»と«barbare»をどのように描いているのだろうか.

古代メキシコ人と古代エジプト人の文字の描き方

 先ずルソーは,書き方の最初の例として対象を描く場合があるといい,その描き方には「直接的 directement」か「寓意的な図像による par des figures allégoriques」ものかの二種類があると述べている.具体的には「メキシコ人 les Mexicains」と「エジプト人 les Egyptiens」のそれである.

 諸言語を比較してその古さを判断する別の仕方は文字表記エクリチュールから得られ,しかもこの術〔文字表記エクリチュール〕の完成度と反比例している.文字表記エクリチュールが粗野であればあるほどその言語は古い.書き方の最初のものは音ではなく物自体〔対象そのもの〕を描くことであり,それはメキシコ人たちがしていたように直接描くか,昔エジプト人たちがしていたように,寓意的な図像によるかである.この状態は情熱的な言語に対応しており,すでに何らかの社会や情念によって生じた欲求を思わせる.

(Rousseau1781: 370,33〜34頁)

ここで「メキシコ人」とは,具体的に何を指しているのだろうか.一つ考えられるのはマヤ文明象形文字であろう.ディエゴ・デ・ランダ(Diego de Landa,1524-1579)が『ユカタン事物記』(Relación de las cosas de Yucatán, 1566)の中でマヤ文字をアルファベットと対照表のかたちで次のように示している.

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/De_Landa_alphabet.jpg

(Diego de Landa, Relación de las cosas de Yucatán, 1566.)

一方で,古代エジプトの文字はおよそヒエログリフ(Hieroglyph)と呼ばれる聖刻文字と,そこから変化したヒエラティック(Hieratic)と呼ばれる神官文字,そしてデモティック(Demotic)と呼ばれる民衆文字の三種類に分かれていた.

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/C%2BB-Egypt-Fig2-LetterDevelopment.PNG

ヒエログリフからヒエラティック,デモティックへの変遷)

ちなみにルソーが『言語起源論』を書いたときには,ヒエログリフはまだ解読されていなかった.シャンポリオン(Jean-François Champollion,1790-1832)によるロゼッタ・ストーンの解読が1822年であり.そのロゼッタ・ストーン(Pierre de Rosette)が発見されたのは,ルソー没後20年が経過した1799年であった.

なぜブロストフェドン方式は廃れたのか

 最初,ギリシャ人はフェニキア人の文字だけでなく,彼らの行の方向,つまり右から左をも採用した.それから彼らは畝溝うねみぞのように書くことを考えた,つまり左から右へ,そして右から左へと交互に反転するのだった.そして結局ギリシャ人はわれわれがこんにちしているように,すべての行を左から右へと始める仕方で書くようになった.この進歩はまったく自然なものである.というのは,畝溝のような書き方は,もちろん読むのに最も便利なものだ.その方式が印刷術とともに定着しなかったことに驚きさえしている,しかし手で書くのがむずかしいので,手稿が増えてすたれたにちがいない.

(Rousseau1781: 373-374,増田訳37頁)

ここでルソーが「畝溝のように par sillons」と述べている書き方は,ブストロフェドンβουστροφηδόν)あるいは「牛耕式」と呼ばれているものである.

 日野資成(1954-)によれば,文字の方向には4種類が考えられる(日野2006:14).すなわち,「右から左へ」「左から右へ」「上から下へ」「下から上へ」である.日野は,日本語の横書きも戦前と戦後で変化しており,「右から左へ」から「左から右へ」に変化していると述べた上で,文字の方向性について以下のように整理している.

初期のシュメール文字は,粘土板上に右から左に書かれていた.紀元前2000年の初めまでにはシュメール人の書家たちは左から右へと横書きに書くようになった。エジプトのヒエログラリフ表記の通常の方向は,総じて右から左であったが,逆の方向も存在した.原カナーン文字の書く方向はさまざまで,上から下,右から左,左から右,さらには行の変わるたびに右左の方向を変えるブストロフェドン方式で書かれることもあった.ブストロフェドン方式はいわゆる犂耕式書法で,牛で畑を耕すときの歩き方にちなみ,右から左へ,左から右へ,右から左へと方向を交互に変えて書く方法である.原カナーン文字から派生したフェニキア文字とアラム文字の多くは水平方向に右から左へと書かれる.ギリシャキプロス音節文字はそのほとんどが右から左へと書くが,左から右に書くものもあり,またブストロフェドン方式で書くものもある.初期のギリシャ・アルファベット表記にも三つの様式すべてがみられる.その中で,左から右への方向が優位にあり,その後に発生したエトルリア,ラテン,コプト,キリルなどの表記体系に引き継がれている.中国語は上から下に書き,右から左へと欄を進める.モンゴル表記も上から下へと書くが,左から右へと欄を進める.バタック文字は縦書きであるが,下から上へと書き,左から右へと欄を進める.

(日野2006:14〜15)

先の引用でルソーは,ブストロフェドン方式が読むことには適しているが書くことには適していないために廃れたのではないかと考察している.つまり,文字の方向性の進歩は〈読みやすさ〉よりも〈書きやすさ〉を重視して変化したのではないか,このようにルソーは考えたのである.

 

 

f:id:sakiya1989:20200219150630j:plain

 文字表記エクリチュールは言語を固定するはずのものと思われるがまさに言語を変質させるものだ。文字表記エクリチュールは言語の語ではなくその精髄を変えてしまう。文字表記エクリチュールは表現を正確さに置き換えてしまう。人は話す時には感情を表し、書く時には観念を表すものだ。

(Rousseau1781: 375,増田訳39〜40頁)

エクリチュールは正確さの面では優れているが、しかし同時にパロールがもっていた感情表現を失ってしまう。

 エクリチュールパロールのこのような違いは、次章でみるホメロスの詩の朗読者(アオイドスとラプソドス)の話にも関係してくる。音楽との関連で言えば、楽譜によって内容が固定化され作曲者によって楽曲が管理されるようになった近代音楽が言語同様に生気を失っていくことに似ているかもしれない。

 

第六章 ホメロスが文字を書けた可能性が高いかどうか

 第六章ではホメロスが取り上げられている。というのは、いわゆるホメロスの著作(『イリアス』と『オデュッセイア』)こそが現存する最初期のエクリチュールであり、言語の起源をめぐる議論において、現存する最初期のエクリチュールを取り扱わないわけにはいかないであろうから。

 さて、現代のホメロス学の観点から言えば、ルソーの述べていることは、ホメロス学の通説的見解とさほど変わらないかもしれない。しかし、ルソーの時代におけるホメロス学の観点から言えば、どうだろうか。ルソーは何か彼の時代において、彼独自の見解を示してはいないのだろうか。

f:id:sakiya1989:20200219150727j:plain

イリアス』が書かれたのなら、それが歌われることははるかに少なかっただろうし、吟遊詩人たちラプソドスは求められることも少なく、それほど増えなかっただろう。ヴェネチアにおけるタッソー以外、これほど歌われた詩人はほかにいない、しかも〔タッソーの場合は〕あまり本を読まないゴンドラの船頭たちによって〔歌われたの〕だ。

(Rousseau1781: 377, 訳45頁)

ヴァルター・ブルケルト(1931-2015)の提唱以来、古代ギリシア吟誦詩人ラプソドス吟遊詩人アオイドスとは区別されている(Burkert1987)。ブルケルトによれば、文字がない時代の詩の朗読者をアオイドス(ἀοιδός、吟遊詩人)と呼び、文字ができてからの朗読者のことをラプソドス(ῥαψῳδός、吟誦詩人、吟唱詩人)と呼ぶ。両者は似ているが、アオイドスと比較すると、ラプソドスは(文字が書かれたものに基づいた上演であるが故に)創造的な口承詩人ではなかったとされる*1。増田訳ではラプソドス(les Rhapsodes)は「吟遊詩人たち」と訳されているが、これはむしろ「吟誦詩人(吟唱詩人)」と訳したほうが良かったかもしれない。

 また内容を理解するのには差し支えない些末なことであるが、「ヴェネチアにおけるタッソー」とは、訳注にある通りトルクァート・タッソ(Torquato Tasso, 1544-1595)という叙事詩人のことである。ゴンドラの船頭たちによって歌われたと思われる彼の詩には『解放されたエルサレム』(La Gerusalemme liberata, 1581. 邦題「エルサレム解放」)という叙事詩がある。この叙事詩に基づく楽曲やオペラ、絵画がいくつも作られてきた。フランツ・リストFranz Liszt, 1811-1886)の曲に『タッソー、悲劇と勝利』(Tasso, lamento e trionfo)がある。リストはかつてヴェネチアでゴンドラの船頭がタッソーの「解放されたエルサレム」を歌うのを聞いて大変感銘を受けたという*2

f:id:sakiya1989:20200219150901j:plain

ホメロスによって使われた方言の多様性も非常に強力な先入観となる。ことばパロールによって区別される方言は、文字表記エクリチュールによって接近し混ざり合い、すべてが少しずつ共通のモデルにいたる。ある国民が本を読んで勉学すればするほどその方言は消え、民衆の間で訛りジャルゴンの形でしか残らない。民衆はあまり本を読まず、まったく書かないから。

(Rousseau1781: 377, 訳45頁)

ホメロスの著作における方言の混交については松本1972を見よ。

f:id:sakiya1989:20200219150956j:plain

この詩は長いこと、人々の記憶の中だけに書かれたままだった。かなり後になって、多くの苦労の末に書かれた形に編纂されたのだ。ギリシャで本と書かれた詩が増えてから、比較してホメロスの詩の魅力が感じられるようになった。

(Rousseau1781: 378, 訳45頁)

ヴォルフ『ホメロス序説』(Wolf1795)に、(「かなり後になって、多くの苦労の末に書かれた形に編纂された」という)ルソーと同様の主旨の主張が看取される。例えば、(和辻哲郎「ホーメロス批判」の要約としてであるが)佐藤は次のように述べている。

イリアス』や『オデュスイア』はいずれも唯一の作者の作ではなくして、多くの歌人の作である。それらの多くの古い歌をと横溢的な全体にまとめあげたのは、作の出来上がった時よりも数世紀の後の有名でない人々、ペイシストラトスの任命した文学委員達であった。これがヴォルフの主張の主旨である。彼はこれを厳密な本文批判によって証明したのではなく古くから言い伝えられた疑しい伝説と文字のない時代にこんな長い叙事詩を制作することは不可能であるということに基づいて結論したのであった。

(佐藤1976: 6, 強調引用者)

古典専門家ヴォルフよりも先にルソーが同様の主旨のことを述べている点は、ホメロス学におけるルソーの見解の先進性が評価されても良いのではないだろうか。

sakiya1989.hatenablog.com

文献

*1:「天才詩人ホメロスの出現以降は、その権威がもたらした影響でアオイドスの比較的自由な創作はなくなり、ラプソドスによる固定したテクストの正確な伝承の段階に入った。そしてこの段階では、すでに文字使用もさかんになっていたから、例えば書くことに堪能なラプソドスなどが、ホメロスのテクストを文字で固定したと考えられる」(小川1990: 127)。

*2:タッソー、悲劇と勝利 - Wikipedia

『音楽思想史』への取り組み(2)

目次

(以下のつづきです)

sakiya1989.hatenablog.com

 

『音楽思想史』に関する先行研究

ルソー関連文献

板野和彦「ルソーの音楽教育観に関する研究」(明星大学教育学研究紀要第18号、2003年)

まあルソーの教育論ってそんな感じだよね、という…。

小田部胤久「ルソーとスミス——芸術の自然模倣説から形式主義的芸術観はいかにして生まれたのか——」(東京大学美学芸術学研究室『美学藝術学研究』第15号、1996年)

美学研究の泰斗、小田部胤久先生独自の切り口で描かれる、ジャン=ジャック・ルソーとアダム・スミスの音楽論の比較思想史的研究です。

小穴晶子「ルソーの音楽模倣論の意味について」(東京大学文学部美学芸術学研究室紀要『研究』第1号、1982年)

 

増田真「ルソーにおける言語の起源と人間の本性——『人間不平等起源論』と『言語起源論』——」(東京大学仏語仏文学研究会「仏語仏文学研究」第7号、1991年)

『人間不平等起源論』から『言語起源論』にかけてルソーの思想は深化していき、そこには「人間」把握における根本的な転回があったのです。

増田真「説得と誓約:『エミール』における言語の問題」(東京大学仏語仏文学研究会「仏語仏文学研究」第49号、2016年)

増田先生による『エミール』のうちにルソーの言語論を読み取ろうとする試みです。

(以下につづく)

sakiya1989.hatenablog.com

ルソー『言語起源論』覚書(1)

目次

はじめに

 『音楽思想史』に取り掛かるために,本稿ではルソー『言語起源論 旋律と音楽的模倣について』(増田真訳,岩波文庫,2016年)を読む.

ルソーの『言語起源論』は死後出版であった.「訳者解説」によれば,この著作が書かれた時期は1750年代後半から1762年前半にかけてであったという(138頁).

ルソー『言語起源論』(1781年)

(死後出版されたルソー『言語起源論』1781年)

第一章 われわれの考えを伝えるためのさまざまな方法について

 章タイトルにある「われわれ nos」とは,一体何を意味しているのだろうか.それは人間一般のことを指しているのか.そもそもこの章タイトルはルソー自身がつけたものなのだろうか,それとも編集者がつけたものだろうか.この点については本来であれば手稿の写真を確認しなければならない.『グラマトロジーについて』(De la grammatologie, 1967)の中で本書を取り扱ったジャック・デリダJacques Derrida, 1930-2004)は,どうやらルソーのこの手稿の写真を持っていたようである.

derridas-margins.princeton.edu

話し言葉パロール言語ランガージュ

 ことばを話すことパロールによって,人間はほかの動物から区別される.言語ランガージュは諸国民を互いに区別する.ある人の出身地は,その人がことばを発してからでないとわからない.慣用と必要性によって,各人は自分の国の言語ランガージュをおぼえる.しかしその言語ランガージュがその国のものであり,ほかの国のものではないのはなぜなのか.それについて語るためには,地域に由来し,風俗にさえ先行する何らかの理由にまでさかのぼらなければならない.ことばパロールは最初の社会制度なので,その形態は自然の原因にのみ由来する.

(Rousseau1781: 357,増田訳11頁)

最初の一行目を文字通りに解釈するならば,「ことばを話すことパロールは人間を諸動物から区別し,言語ランガージュは諸国民を互いに区別する」とルソーは述べている.「言語ランガージュ」は,例えば英語やフランス語,中国語などのように,「国民 nation」という単位においてその民族が持っているものである.

 ここで「話し言葉パロール」と「言語ランガージュ」を単純に混同してはならない.このパラグラフでは,最初と最後のセンテンスでは「話し言葉パロール」について語られ,その中間の諸センテンスでは「言語ランガージュ」について語られている.「話し言葉パロール」と「言語ランガージュ」とでは,それぞれ区別する対象が異なる.「話し言葉パロール」があらゆる動物の中での人間の独自性(種差)を示しているのに対して,「言語ランガージュ」には,人間がその生まれ育った地域性や国民性が反映されている.

 

 まず第一章では、タイトルにある通り「われわれの考えを伝えるためのさまざまな方法」が考察される。ここから言語とは考えを伝えるための手段であるということがわかる。しかしながら、興味深いことに、『言語起源論』の最終章である第二十章「言語と政体の関係」では、近代人が言語によってはその内容を上手く伝えることができない様が描かれている。つまり、『言語起源論』は、いかにして考えを伝えるのかの考察から始まるにもかかわらず、いかに考えが伝わらないかという考察で終わるという構成になっているのである。

 われわれが他者の感覚に影響を与えうる一般的な方法は二つだけ、つまり動作だけである。動作の作用は触覚を通じて直接的なものとなるか、そうでなければ身振りを通じて間接的なものとなる。前者〔動作の作用〕は腕の長さが限界となっているので遠くに伝えられないが、後者〔身振りの作用〕は視線と同じくらい遠くに達する。そのように、散らばった人々の間での言語の受動的な器官としては視覚聴覚しか残らない。

(Rousseau1781: 358, 訳12頁, 下線引用者)

このパラグラフを表にまとめるとこんな感じだろうか。

f:id:sakiya1989:20200111003553j:plain

ルソーは先の引用文で「われわれが他者の感覚に影響を与えうる一般的な方法は二つだけ」だと述べているが、そもそも章タイトルは「さまざまな方法について(divers moyens)」となっていたので、考察されるのが「二つだけ」では少ない。上の表で示したように、訴求される感覚別にみると、人間のコミュニケーション方法は大きく分けて三つ(「触覚」に向けてなのか、「視覚」に向けてなのか、「聴覚」に向けてなのか)である。

 ルソーはこの第一章で「動作」を通じての言語コミュニケーションについて考察した上で、以降の章では「声」を通じての言語コミュニケーションの考察に入っていく。

 

第二章 ことばの最初の発明は欲求に由来するのではなく、情念に由来するということ

 第二章の冒頭でルソーは「それ故、欲求が最初の身振りを語らせ、情念が最初の声を引き出した、と考えるべきである」(訳23頁)と述べている。これはほとんど「言語の起源とは何か」という問いに対する答えであるように思われる。第一章で見たように、「われわれが他者の感覚に影響を与えうる一般的な方法は二つだけ、つまり動作と声だけである」(訳12頁)とされていた。この区別に従うと、「動作」としてのことば(ボディランゲージ)の起源は「欲求」であり、「声」(パロール)としてのことばの起源は「情念」だということになる。

われわれに知られている最も古い言語であるオリエントの諸言語の精髄は、その形成において想像される学術的な歩みとは相いれない。それらの言語は、方法的で理論的なものが何もない。その諸言語は、生き生きとしていて比喩に富んでいる。最初の人間の言語を幾何学者の言語のようなものとする人がいるが、詩人の言語だったことがわかる。

(訳23頁)

ここで「オリエントの諸言語」と呼ばれているものが具体的に何を指しているのか、私にはよく分からない*1。とはいえ、その「オリエントの諸言語」は「最も古い言語である」とされる。現代の私たちが言語を新たに学ぼうとするとき、基本的には単語と文法によって学ぶであろう。しかし、その最古の言語は「方法的で理論的なものが何もない」。つまりそこには文法と呼ばれるような言語の理論がないという。最初の言語は「詩人の言語」であり「比喩に富んでいる」。この点については、次の第三章「最初の言語は比喩的なものだったにちがいないということ」で展開されることになる。

 そこで「欲求」と「情念」がもたらす効果が考察される。「欲求」とは「飢えや渇き」などの生きるために必要なものであり、「情念」とは「愛、憎しみ、憐憫の情、怒り」(訳24頁)などの感情のことである。「欲求」は人々を遠ざけるが、「情念」は人々を近づけるとされる。

f:id:sakiya1989:20200219144808j:plain

それはそうであったにちがいない。人はまず考えたのではなく、まず感じたのだ。人間はその欲求を表現するためにことばを発明したと主張する人々がいる。この意見は支持できないように思われる。最初の欲求の自然な効果は、人々を近づけることではなく、遠ざけることだった。種〔人類〕が広まり、すばやく地球全体に人が住むようになるにはそうでなければならなかった。そうでなければ、人類は地球の一隅に寄せ集まり、残りの全体が荒野のままだっただろう。

(Rousseau1781: 364, 増田訳23〜24頁, 下線引用者)

ここで言語の起源を考察する際に、ルソーは「思考」よりも「感性」が先行する点を考慮している。この点について私は個人的にはフォイエルバッハの著作(「哲学改革のための暫定的命題」など)を思い出さずにはいられなかった(が、今は立ち入らないことにする)。

 ともかく、ルソーは「人間はその欲求を表現するためにことばを発明した」という主張を斥ける。一体何故であろうか。

 だが、そもそも「欲求」や「情念」といったものが人々を遠ざけたり、近づけたりするものだろうか、と私は疑問に思う。人々が互いに遠のいたり近づいたりするのは、場の要素(あるいは経済性とでも言おうか)が大きいのではないだろうか。衣食住を確保できるのは、土地柄(気候や風土)も関係していると思われるからである。人はどこにでも住めるわけではないのである。

f:id:sakiya1989:20200219145126j:plain

生きる必要によって互いに避け合う人間たちを、すべての情念が近づける。

(Rousseau1781: 365, 増田訳24頁, 強調引用者)

確かに「情念」はルソーの考えるように人々を近づけるかもしれない。だが、「情念」をこじらせてしまうと、近づこうとする相手がかえって離れていくこともあるかもしれない。

 

第三章 最初の言語は比喩的なものだったにちがいないということ

 ルソーによれば、最初の言語は「詩」だったという。

f:id:sakiya1989:20200219145404j:plain

人間がことばを話すパルレ最初の動機となったのは情念だったので、人間の最初の表現は 文 彩トロップ だった。比喩的なフィギュレことばづかいは最初に生まれ、本来の意味は最後に見いだされた。事物は、人々がその真の姿でそれを見てから、初めて本当の名前で呼ばれた。人はまず詩でしか話さなかった。理論的にレゾネ話すことが考えられたのはかなり後のことである。

(Rousseau1781: 365, 訳26頁)

訳語について若干述べておく。ここでは«Tropes»に「文彩」の訳語が採用されている。しかし、修辞学の伝統においては«Trope»が「転義(法)」と訳されてきたのであって、他方で«figuré»が「文彩」や「比喩的なもの」と訳されてきた。内容的には、この章でルソーが「比喩的なことばづかい la langage figuré」について論じていることを考慮すると、ここで«Tropes»を「転義(法)」*2と訳しても良いのではないだろうか。

raisonnerも「理論的に」というよりは「理屈で」という感じではないだろうか。「理論的」と訳すと、その対として「実践的」が想起されるのだが、ここではそうではないであろうから。

f:id:sakiya1989:20200219145549j:plain

こうして情念がわれわれの目をくらませ、情念によって与えられる最初の観念が真理のものではないとき、比喩的なフィギュレ語は本来の語よりも先に誕生する。私が語や名前について言ってきたことは、言い回しについても何の問題もない。情念によって提示された幻想のイメージは最初に示されるので、それに対応する言語も最初に発明された。精神が啓蒙されその最初の間違いを認め、誤りを生み出したのと同じ情念でのみそれらの表現を使うようになり、その言語はそれから比喩的なメタフォリックものになった

(Rousseau1781: 366, 訳27頁, 下線引用者)

ここで«figuré»と«métaphorique»はどちらも「比喩的」と訳されているが、本来であれば両者を区別して後者(«métaphorique»)を「隠喩的」と訳すべきであろう。両者を混同してしまっては、それこそルソーの「文彩(ことばのあや)」を理解できなくなってしまうおそれがあるからである。少なくとも「隠喩」は修辞学の伝統において厳密に取り扱われてきたのであり、その区別はアリストテレス詩学』にまで遡ることができる*3

 情念により不明な対象に対して抱かれた最初の観念によって付けられた名前が、その内実が明らかになるや否や実は不適切な名前だったことがわかり、訂正されて言葉が差し替えられる。初期の言語に見られるこのような言葉の転用から、最初の言語は「比喩的なものになった」とルソーはいう。

 この箇所をよく読むと、〈比喩的な言語〉よりも前の段階として、情念によってもたらされた間違った観念に基づく暫定的な言語こそが最初の言語であったことがわかる。〈比喩的な言語〉が可能となるのは、その表現が誤りだと気づいてからのことであり、誤りだと気づくまでは誤りは認識されていないのだから、話者にとってその表現は比喩ではなかったはずである。まさしく「その言語はそれから比喩的なものになった」のである。比喩的な言語以前の原初的な言語は、情念がもたらした最初の観念によって発明された言語であり、しいていうなら〈情念的な言語〉であろう。

 このことを表で示すと以下のようになる。

f:id:sakiya1989:20200114024044j:plain

 時間軸として見れば、システム1(情念的)からシステム2(理性的)へと移行する。

 システム1は情念によってイメージが喚起されることによるものである。システム1の段階での判断は最速だが、ゆえに誤りが伴う可能性を常に秘めている。

 これに対してシステム2はシステム1の検証に基づく(エラー訂正的な)判断である。システム2はシステム1の後にやってくるため遅行性だが、理性的である。

sakiya1989.hatenablog.com

文献

*1:訳注では「ここでいう「オリエント」とは、古代の地中海世界東部、すなわち中近東を指す」とある(訳25頁)。

*2:ルソーがこの『言語起源論』を書いていたのとちょうど同じ頃に、バウムガルテンは『美学』(第二巻、1758年)の中で文彩 figura と転義 tropus について述べている(バウムガルテン2016、第47節「転義」§783以下)。ちなみにこの書によれば、「転義(法)」とは修辞学の伝統において「その固有の意味から別の意味への、利点を伴う語、語法の変化」(クインティリアーヌス『弁論家の教育』8.6.1)と解されてきたが、それにとどまらない意義を持っているとされる(§780)。この点について詳しくは井奥2016をみよ。

*3:「隠喩(metaphora)は、非本来的な意味へと適応される語の転用である。たとえば、類から種への、種から類への、ある種から他の種への、あるいはまた、類比に即しての転用である」(アリストテレス詩学』1457b10)。

『音楽思想史』への取り組み(1)——ルソーとアドルノを中心に

目次

はじめに

 私は『音楽思想史』に取り組むことにしました。

 『音楽思想史』に取り組むきっかけとなったのは、小学館がWeb上で公開していた小学館の図鑑NEOメーカー*1で、ふと『音楽思想史』という表紙の画像を作成したことでした。

 不思議なことに表紙のイメージができたことでその中身を自分で書いてみたくなりました。もちろんどんな内容となるのかは今のところまだ自分でもよく分かっていません。しかし、自分にとって未知のことを書こうとするからこそ、この取り組みは面白いのです。

 『音楽思想史』目次(予定)をnoteで公開しておりますので、是非ご覧ください!

note.com

 

『音楽思想史』のために最近買った本

 私は音楽についてはズブの素人ですから、『音楽思想史』について書くためには多くの参考書籍を揃えなければなりません。さしあたってアタナシウス・キルヒャー『普遍音樂』(工作舎、2013年)、ジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑』(工作舎、1986年)、Th. W. アドルノ音楽社会学序説』(平凡社、1999年)、アドルノ『不協和音』(平凡社、1998年)の四冊を購入しました。

 

アタナシウス・キルヒャー『普遍音樂 調和と不調和の大いなる術』(菊池賞訳、工作舎、2013年)

 

ジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑 よみがえる普遍の夢』(川島昭夫訳、澁澤龍彦中野美代子荒俣宏解説、工作舎、1986年)

 

Th. W. アドルノ音楽社会学序説』(高辻知義・渡辺健訳、平凡社、1999年)

 

Th. W. アドルノ『不協和音 管理社会における音楽』(三光長治・高辻知義訳、平凡社、1998年)

 

『音楽思想史』に関する先行研究——ルソーとアドルノを中心に

 『音楽思想史』に取り組むにあたって、読まなければいけない先行研究がたくさんあります。ネットで検索すると関連する文献が芋づる式で出てきます。それらの文献を効率的に捌くために、Twitter上で論文の一部を抜粋してツイートしてみました。

抜粋ツイートのメリットは、総じて読むスピードが上がることです。140文字におさまるように一箇所だけ論文から大事な箇所を探すのですが、その際に頭の中で「この箇所は周知の事実を辿っているだけなのか」「この箇所は著者独自の考えが述べられたところなのか」を区別しながら読んでいきます。その上で、自分にとって重要だと思った箇所を抜粋します。ただし、140文字で抜粋することが難しい場合もあります。その場合には簡潔なコメントを残すのが良いかもしれません。

 

ルソー関連文献

内藤義博「ルソーの音楽思想の形成 その三 『百科全書』の《音楽》について」(仏語仏文学 26巻、1999年)

 

内藤義博「ルソーにおける音楽模倣論の系譜と展開(前編)」(仏語仏文学 27巻、2000年)

内藤先生の研究を読むと、ルソー音楽論の背後にあるコンテクストがはっきりと浮かび上がってきます。ラモーの『和声論』と対照的に、ルソーの音楽思想が自身の中でいかにして形成されてきたのかが明らかにされています。

 

アドルノ関連文献

小川博司「反ノリの理論家としてのアドルノ ——ノリの社会学に向けて——」(関西大学社会学部紀要、2016年)

小川先生はこの論文の中でアドルノの音楽論とポピュラー音楽との対立図式という既存路線を立て直すことを試みています。

「ポピュラー音楽研究者には、一般にアドルノはポピュラー音楽を批判していると理解されている。しかし、アドルノが批判しているのはポピュラー音楽だけはでなく、芸術音楽も含めて20世紀社会における音楽のあり方全般である。アドルノの議論をポピュラー音楽批判家として読んでいくと、どうしても芸術音楽とポピュラー音楽がそれぞれの本質を備えているかのように考えてしまう。例えば、ポピュラー音楽には快楽が伴うが、芸術音楽には快楽が伴わないといった落とし穴にはまってしまう。本節においては、アドルノの音楽についての議論をポピュラー音楽対芸術音楽という二項対立図式で読み解くのではなく、言語としての音楽と容器としての音楽という二項対立図式の中で読み解くことにする。」(小川2016、8頁)

ただし小川先生の読解は既存の図式を、すなわち従来の「ポピュラー音楽対芸術音楽という二項対立図式」を「言語としての音楽と容器としての音楽という二項対立図式」へと置き替える試みであって、アドルノ音楽論の読解において二項対立図式そのものが捨てられているわけではない点については、再検討する必要があるのではないかと思いました。

 

菊池由美子「〔書評〕Th. W. アドルノ著『音楽社会学序説』渡辺健・高辻知義共訳——十二の理論的な講義——」

評者の菊池先生は、アドルノの著作ほど要約困難なものはあるまいという訳者のことばを引きつつも、アドルノの『音楽社会学序説』の要約を試みています。

 

高安啓介「アドルノの講演「不定形音楽に向けて」への注釈」(愛媛大学法文学部論集 人文科学編 30巻、2011年)

不定形音楽にとって逸脱されるべき形式は伝統的な音楽のうちにあるわけで、換言するならば、不定形音楽は伝統的な芸術音楽の形式を前提条件としているのであり、その意味では不定形音楽は真の意味で自由とは言えないのかもしれません。

 

内藤李香「初期アドルノにおける音楽とキッチュをめぐる考察——イデオロギーとしての「キッチュ理念」の解明——」(早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第1分冊 哲学 東洋哲学 心理学 社会学 教育学 57巻、2012年)

東口豊「〔書評〕テオドール・W・アドルノ著, 高橋順一訳『ヴァーグナー試論』」(音楽学 59巻1号、2013年)

(以下につづく)

sakiya1989.hatenablog.com

*1:タイトルと画像を任意に設定して自分だけの「小学館の図鑑NEO」の画像を作成できるコンテンツ。

図書館としてのコーヒー・ハウス

 現代の多くの喫茶店からはとっくの昔に失われてしまっていますが、かつてコーヒー・ハウスには、図書館ライブラリーとしての機能があったそうです。

多くのコーヒーハウスでは、パンフレットや山積みにされた小冊子(tract)のみならずニュースレター(news letter)や、後には多数の新聞が置いてあった。人々はここで各種の情報を入手することができた。また「コーヒーハウス以外の場所で新聞を読むことは可能であったけれども、ずっと不便であった」のである。

中島純一「マスコミュニケーション史への一考察(Ⅱ)—コミュニケーションチャネルとしてのコーヒーハウスとLibrary—」横浜商大論集第21巻第2号、1988年、63頁

基本的には喫茶店に図書は見られなくなりましたが、例外的に、岩波書店の書籍を設置したカフェとして「神保町ブックセンター」があります。

www.jimbocho-book.jp

また蔦屋書店はスターバックスのようなカフェを意図的に併設しているようです。

president.jp

これらの喫茶店は、ある意味で図書館としてのコーヒー・ハウスという原点への回帰を、そのコンセプトにしているのかもしれません。

規定性の捨象と創造性——喫茶店の源流としてのコーヒー・ハウス——

はじめに

 今回は「規定性の捨象と創造性」と題して、喫茶店の源流としてのコーヒー・ハウスについて取り上げたいと思います。

 前々回の「喫茶店と資本主義の精神——喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか——」をリリースした直後、いくつかのコメントをいただきました。それらのコメントについては、前回の「「喫茶店と資本主義の精神——喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか——」へのコメントとそのリプライ」で紹介した通りですが、それらのコメントの中には哲学者・永井均先生による「挙げられていないもっと根源的な理由があるような気がしてならない」という考えさせられるコメントがありました。

 このコメントをもらったことがきっかけで、僕はその「もっと根源的な理由」とは一体何だろうと考えを巡らしました。

 その結果「もっと根源的な理由」を明らかにするためには、コーヒー・ハウスの歴史にまで遡る必要があるのではないか、と僕は思い当たりました。——もしかすると、従来は主に17世期以降の社交性や公共性、世論形成の観点から考察されてきたコーヒー・ハウスの歴史まで遡り、どこかの時代で、喫茶店やカフェといった場所が、公共性を有する社交の場所から個人が集中して作業する場所へと構造転換を果たしたのではないかということが解明されると面白いのではないか。そして同時に喫茶店は、現代人の生活スタイルを支え、生活地域や所属組織のネットワークの切断と接合を兼ねている場所としてもあらためて考察されることによって、より根源的な理由が見つかるのではないか。——このような直観を僕は抱きました。

 以下では、このような直観を抱きつつ僕がコーヒー・ハウスについて調べ考えたことを取り留めもなくまとめておきたいと思います。

 

茶店の源流としてのコーヒー・ハウス 

 喫茶店の源流として考えられるコーヒー・ハウスとは一体何でしょうか。少し長いのですが、引用します。

コーヒーハウスは新しい飲み物を提供する単なる飲食店ではなかった。これが人気を博した大きな要因は、勃興しつつある活字文化、ニュースや時事的印刷物、「ニュース革命」と結びついた点にあった。そこには新聞が常備され、新たに出版された本屋、商品の市況に関する情報が提供されることもあった。コーヒーハウスは人々の新しい社交の場であっただけでなく、知識・情報を集め、交換し、意見を交わす場でもあった。その意味で、コーヒーハウスはきわめて都市的な、、、、空間だったと言える。それは教会や市場、ギルド仲間や近隣社会などの伝統的な、、、、社交の場とは異なった、人と人を結びつける新たな場——「市民的社交圏」と呼んでおこう——を提供するものだった。

(中野 2007:41、傍点引用者)

つまりコーヒー・ハウスとは、当時流行しつつあった活字文化に支えられて、様々な身分・階級の人々が商取引と情報と意見をくみ交わす社交の場所であり、したがってそれ以前に存在したギルドのような閉鎖的集団の中でのつながりとは異なるネットワークを生み出していたのです。

 これを現代的に言い換えるなら、人々は会社員であったり、大工職人であったり、芸術家であったり、大学教員であったり、はたまた所属組織の中で様々な役割を与えられ、何らかの規定性を有しています。喫茶店では、そのような自身の規定性を捨象して、いったん括弧に入れて措いておくことができるのです。

初期のコーヒー・ハウスには、身分・職業、上下貴賤の区別なく、どんなぼろを着た人間だろうと、流行の衣裳に身を固めた伊達男だろうと、誰でも店に出入りすることができた。いわば一種の「人間の〈るつぼ〉」的性格を持っていたのである。

(小林 2000:50)

一方でイギリスは階級社会と言われており、上から下までに様々な社会階層が存在します。他方、日本では人々がファストファッションブランドに身を包み、一見すると社会階層が見えにくくなっているようにも思いますが、しかし時にその人の立ち居振る舞い、言語表現の仕方によって、何らかの育ちや社会階層、あるいは世代間格差による見解の違いが表面化せざるを得ない場面もあります。喫茶店では、とりあえずそのような違いをいったん無視して、様々な社会階層の人々が同じ場所に居ることができるわけです*1

 

規定性の捨象と創造性

 このような没階級性という喫茶店の特徴は一体何を意味するのでしょうか。前回取り上げたビジネス・インサイダーの記事によれば、オープンオフィスでは生産性を損ねるのは、知り合いへの対応に注意を払わなければならず、そこにリソースを割かなければいけないから、という理由が挙げられていました。が、そもそもオープンオフィスはあくまで社内に対してオープンであるに過ぎず、その建物自体は社外の人間に対しては閉鎖的であり、その閉鎖空間の中で創造的な課題を行う場合、人間は無意識のうちに組織の中で自分に与えられた役割やポジションの中で遂行可能な範囲でしか発想できず、このような心理的な壁が創造的な課題において生産性を下げる要因になっているのではないでしょうか。あるいはオープンオフィスはある意味でコーヒー・ハウス以前のギルド的な社交性に留まっているに過ぎないと言えるかもしれません。

 これに対して喫茶店では、自身の組織内での役割やポジションといった規定性を捨象して、いったん括弧に入れて措いておくことができる。これにより自身の有する規定性によって形成された心理的な壁を壊して、より自由な発想を持てるようになる。だからこそ喫茶店では創造的な課題において生産性を高めることができるのではないでしょうか。

文献

*1:ただし、当時のコーヒー・ハウスは誰でも入れたわけではなく、現代のジェンダー観からすれば不当であろうが、そこでは女性の存在が排除されていたのである。「コーヒー・ハウスの利用についてもうひとつ指摘しておきたいことは、男性以外の客は立ち入りを許されなかった点である。「人間の〈るつぼ〉」といっても、人間の半分のみが許されて入ることのできる世界で、その点では明らかな差別が行なわれていたといえるかもしれない」(小林 2000:55)。

「喫茶店と資本主義の精神——喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか——」へのコメントとそのリプライ

はじめに

 昨日リリースした「喫茶店と資本主義の精神ーー喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか」には多くのアクセスがありました。

はてなブログアクセス解析によると、僕のブログの普段のアクセス数は一日20〜40程度なのですが、昨日一日のアクセス数は1343であり、今日もすでにアクセス数が300を上回っています。Googleアナリティクスによると、昨日のユーザー数は1069で、前月比3139.39%という異常な伸びを示しました。このような異常値は、Twitterでも書いた通り、最初に千葉雅也先生にRTされたことにより、多くの方々にアクセスしていただけたからだと思っています。

 今回は「喫茶店と資本主義の精神——喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか——」に頂いたコメントを紹介し、それにリプライしたいと思います。

 

「もっとめちゃめちゃ色々引用引っ張ってきて根源的な理由を指摘してくるかと思って開いたのにシンプルなことがひたすら理路整然と書いてあって肩透かしを食らった」(なかぬす)

 まず僕が面白いなと思ったコメントは、なかぬす(@ryoh60814)さんの一連のコメントです。なかぬすさんは「喫茶店と資本主義の精神——喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか——」を読んだ多くの人々が言語化せずに読んで思ったことを次のように言葉にしてくれています。

僕が特に面白いと思った部分が「もっとめちゃめちゃ色々引用引っ張ってきて根源的な理由を指摘してくるかと思って開いたのにシンプルなことがひたすら理路整然と書いてあって肩透かしを食らった」というなかぬすさんの次のコメントです。

 普段ブログを書くときは、引用とか参考文献を示すことが多いのです。やろうと思えば、そのタイトルがヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を捩ったものであることは容易に分かりますし、「集中力の強化」という概念の元ネタはマルクス資本論』にありますので、それらを脚注に載せても良いかもしれません。が、今回は本を開かずに一気呵成に書き上げたということもあり、最初は脚注を付けずにブログ記事をリリースしました(その後、2019年12月19日に脚注を追記しました)。

 今回は、脚注のようなエビデンス情報を重視するよりも、むしろブログ記事のリリースまでのスピード感を優先しました。「喫茶店と資本主義の精神——喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか——」を書くきっかけとなったのは、すでに申し上げている通り、千葉雅也先生による次のツイートでした。

このツイートがなされたのが「午後0:18 · 2019年12月18日」です。そして千葉先生のこのツイートに触発されて、その理由を箇条書きにしてツイートし、最終的にブログとして書き上げて、Twitter上でリンクを貼ってリリースしたのが「午後2:48 · 2019年12月18日」です。つまり、アイデアの大元となった千葉先生のツイートからわずか2時間半の間に、この原稿を書き上げて公開したことになります。僕としては、千葉先生のツイートが冷めきらないうちに、自分の中にあるものをある程度まとめて、世に送り出したかった。

 たった2時間半のうちに多くの人々が読んで耐えうるものに原稿を仕上げるというのは、どんなに内容が薄っぺらいものだとしても、その原稿が一つのまとまりとして書き上げられたこと自体が奇跡のようなものです。普通はテーマが与えられてもアイデアが浮かばず、グタグダ過ごしながら締め切りを迎え、そして締め切りすらも過ぎていく、なんてこともよくあるわけです。その奇跡を実現できたのは、まさにこの原稿を喫茶店で書いたからです。この原稿がわずか2時間半のうちに完成したというプロセスそのものが、実は「喫茶店で仕事が捗る」ことの証左にもなっているわけです。

 

「他者に見られる/他者が見える場所」(松田太希)

 次に、何人かの人に、僕が書いたものには「他者の視点」が欠けているとのコメントをいただきました。

 例えば、松田太希(@SchreibeinBlut)さんは、喫茶店で仕事が捗る理由として「他者に見られる/他者が見える場所」という要素を挙げています。

 僕自身は、あまり他者の視点を気にしないからこそ、喫茶店で集中できるという認識を持っていたのですが、思いの外、「他者に見られる」ことの重要性を何人かの(リアル友達も含めて)方々からコメントを頂きました。

 amamori(@rainywoods2001)さんも、他者の存在を意識していることが重要なのだと指摘しております。

amamoriさんのいう「知り合いではない他人と同席する軽い緊張感、同じ作業をしているわけではないが軽い連帯感、互いのパフォーマスをさりげなく見せ合っている高揚感」という視点は面白いですね。これは全く僕が書いていない要素です。

 喫茶店では、漫画喫茶とは異なり空間が仕切られておらず、オープンになっているということにより、他者の存在を意識せずにはいられません。これがもし漫画喫茶であれば、個室ですから、他者の存在を気にせずに仕事ではなく漫画を読むことやゲームすることが捗るようになってしまうかもしれない。

 もちろん喫茶店にいるときに自分が他者を注視したり、あるいは自分が他者に注視されているわけではないと思うのですが、実はそうであるかのような意識を抱いている。松田さんのいう通り、このように「他者に見られる環境/他者が見える環境」であることも、喫茶店で仕事が捗るための重要な要素の一つなのかもしれません。

 ちなみに、先日のビジネス・インサイダーの記事では、オープンオフィスが生産性に及ぼす弊害が、時折コーヒーショップと対比しながら、述べられていました。

www.businessinsider.jp

この記事の中では次のように述べられています。

コーヒーショップは生産性アップの助けになるのに、なぜオープンオフィスはその妨げになるのだろうか? この疑問には、科学的な答えがある。

カリフォルニア大学バークレー校の認知神経科学者で職場の生産性コンサルタントでもあるサハル・ユーセフ(Sahar Yousef)氏は、人間は「部族」だと言う。つまり、人間は自らの社会集団と心のつながりを築きがちなのだ。

オープンオフィスでは、人々は心のつながりのある同僚とコンスタントにやりとりをすると、ユーセフ氏は指摘する。心理学的に、人間は仕事上のタスクよりも自身の周りの「部族」に気を取られるのだ。

だが、コーヒーショップでは、周囲に自分と心のつながりのある人間はおらず、仕事により集中できる。

この記事によると、会社のオープンオフィスでは、知り合いの同僚とのやりとりにリソースを割かなければならず、それゆえに生産性を下げてしまうが、これに対して、喫茶店では知り合いがいないから、仕事の生産性を上げることができるとの見解が示されています。

 以上の点を考慮すると、喫茶店における他者との関係は、次のように説明できそうです。

 人は喫茶店で集中したいときに、知り合いではない他者には見られたい、そしてまた知り合いではない他者を自分の視野に入れておきたいが、知り合いには自身の姿を見られたくない。ある意味で開放性と内向性を両立させうるような要素が喫茶店には存在し、これこそが喫茶店で仕事が捗る要因の一つと言えるのかもしれません。

 

「挙げられていないもっと根源的な理由があるような気がしてならない」(永井均

  最後に哲学者・永井均(@hitoshinagai1)先生によるコメントを紹介します。

永井先生は「挙げれれている理由はすべて正しいと思う」と、一応僕の書いたところまでは同意した上で、加えて「挙げられていないもっと根源的な理由があるような気がしてならない」と述べています。つまり、僕は「喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか」という問いに対して、一定の諒解を得られるような暫定的な答えを述べてはいる。が、しかしながら、この問題に対してはより深く考察できるのではないか、という直観が永井先生の内にあるようです。

 そこで僕は永井先生に聞いてみました。

 「永井先生の考える「挙げられていないもっと根源的な理由」とは何でしょうか?」と。すると、永井先生からこのような返事をいただきました。

ですよねー!なるほど。「挙げられていないもっと根源的な理由があるような気がしてならない」が、それがまだ言語化されるに至っていない状態のようです。

 もし本当に「挙げられていないもっと根源的な理由がある」とすれば、僕もそれを知りたいと思います。 

 

おわりに

 「喫茶店と資本主義の精神——喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか——」が多くの人々の目に触れたというのは嬉しい限りです。

 今回紹介したコメント以外にもコメントをいただいておりますが、残念ながら網羅的には紹介できておりません。とはいえ、いずれも目を通してさらなる思考のための刺激を受けております。拙い原稿をお読み頂き、どうもありがとうございました。