まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

Wikipediaを利用した学習法

はじめに

最近、知らない言葉が増えてきました。

いや、正確に言うと、以前から少しずつ見聞きしていたのですが、改めて考えると説明できないし、よく分かっていない言葉が沢山あったのです。グラント*1、ハーマン、レイ・ブラシエ*2、加速主義、ゼノフェミニズム…などなど。

というわけで、しばらく普通に勉強してみようと思います。

 

ところで勉強っていっても、どうやって勉強するのでしょう。

普段私はフルタイムで働いています。独学で新しい用語を覚えていくのは、意外と大変です。本を買ってなんとな〜く読んでいても、頭に入ってこないこともあります。

そこで僕はWikipediaを活用して、自分専用の用語集を作ることにしました。

Wikipediaを利用した学習法

Wikipediaから気になる言葉をピックアップしてGoogleドキュメントにコピペし、そしてそれを紙に印刷して批判的に読む。知らない言葉には印をつけてさらに調べる。ーーたったこれだけですが、個人的にはものすごく学習効果が高いと感じています。

具体的に「加速主義」の項目を例に取ってみましょう。

ja.wikipedia.org

Wikipediaの「加速主義」の項目には次のように書いてあります。

「1848年の「自由貿易問題についての演説」と題する演説におけるカール・マルクスを含め、多くの哲学者が明らかに加速主義的態度を表明している。  」(下線引用者)*3

この箇所を読むだけでも、次のような疑問が湧いてきます。

  • 「多くの哲学者」って具体的に誰なのか?
  • 「明らかに」って書いてあるけど、本当に明らかなのか?
  • マルクス自由貿易問題についての演説」から引用しているけど、この引用は適切なのか?
  • 「加速主義」がただ単に加速度の増大を問題とするのみならず、常に資本主義との関連において語られるとするならば、「自由貿易問題についての演説」よりも、むしろ『経済学批判』や『資本論』およびその諸草稿からも引用し、これらのうちにマルクスの加速主義的態度をみるべきではないのか?
  • マルクス一人取り上げたとしても、その加速主義的態度は初期マルクスから晩期マルクスまで一貫しているのか否か。

とまあ、こんな感じで批判的に読んでいく感じです*4

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文献

 

  

*1:Ian Hamilton Grant (1963-). 主著に『シェリング以降の自然哲学』(Philosophies of Nature After Schelling, London and New York, 2006)がある。「『シェリング以後の自然哲学』においてグラントが行っているのは、ドゥルーズ哲学の源泉の一つであるシェリングの自然哲学に遡り、それ位よってドゥルーズとそのカント主義の残滓を除き去ろうとする試みであった。」(浅沼 2019、107頁)。

*2:Ray Brassier (1965-). 主著に『ニヒル・アンバウンド:啓蒙と絶滅』(Nihil Unbound: Enlightenment and Extinction, London, 2007)がある。ブラシエは「思弁的実在論 Speculative Realism (SR) 」という概念を考案したとされる。「ブラシエの思想の核心を乱暴にまとめると次のようになるだろう。すなわち、我々は人類が絶滅した後の世界について思考することができるだろうか?あるいは言い換えれば、人間にとってのあらゆる意味や目的が滅却された地点においても、それでも思考は可能だろうか?そしてもし可能であるとするならば、それはどのような思考なのだろうか?等々……。」(木澤 2019、189頁)。

*3:「加速主義」Wikipedia、2019年6月27日閲覧。

*4:マルクスと加速主義については、小泉 2019を参照のこと。「現代の左派加速主義は、愚直なまでにマルクスの古典的図式に立ち返ろうとする一面をもっている。そしてこの回帰は、七〇年代・九〇年代の過剰な内在主義を緩和して、資本の論理を「外在化」したという一点において重要なものである。」(小泉 2019、131頁)。

スマホ決済サービスについて

目次

スマホ決済サービス

さて、今回は「スマホ決済サービスについて」というテーマで書こうと思います。

今一番ホットな話題が「〇〇pay」というスマホ決済サービスではないでしょうか。有名なスマホ決済サービスとしてはLINE PayPayPay楽天ペイd払いなどが挙げられます。

xn--nckuag2b3koa3c.com

スマホ決済のブランドがあまりにも乱立し過ぎており、追いかけるのも面倒な印象を受けます。僕は最初に慣れたブランドを使い続ける事になりそうです。

 

中国では、2014年以降キャッシュレス化が進んでいると言われています。

中国で主に使用されているのは微信支付ウェイシンジーフーWeChat Payウィーチャットペイ*1支付宝ジーフーバオAlipayアリペイ*2です。

とりあえず日本でAlipayを使えないものかとアプリをインストールしてみたのですが、表記が中国語だったので一旦見送る事にしましたw

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ネットで検索すると、開設方法を解説しているサイトもありますね。

clifehack.com

 

WeChat Payの利用者を爆発的に増加させた「红包」機能

中国には「红包ホンバオ」という文化があります。 これは、春節(中国の旧正月)や誕生日などの記念日に、紅い袋にお金を入れてプレゼントする文化のことらしいです。

日本で言えば「祝儀袋(あるいはボーナス)を渡す」のに近い概念かもしれません。(もちろん厳密にいうと、日本の「祝儀袋」という文化は、「红包」とは違う歴史的背景を持っているので、両者を同義とみなす事は出来ませんが…。)

中国のLINEともいうべきWeChatが決済サービスにおいてユーザー数を爆発的に増やしたのが「红包」という機能を実装したからだという話があります。

「2014年春節にはウィーチャットのお年玉機能「微信紅包」が爆発的な人気を博した。ウィーチャットは市場獲得のために特別にリソースをつぎ込んだわけではなかったにもかかわらず、微信紅包は想像をはるかに超えるスピードでウィーチャットユーザーに広がり、それに伴ってテンセントの時価総額は1兆香港ドルを突破した。」(廉薇ほか2019、92頁)

西村友作によると、この「ホンバオ」機能によってユーザーはゲーム感覚でウォレットにお金を手に入れ、これを機会にQRコード決済へのハードルが低くなったということです。

「「ホンバオ」は一対一のチャット上で渡すのが基本だが、グループチャット内で複数の相手に送ることもできる。面白いのは、グループチャット内で「ホンバオ争奪戦」ができる機能を搭載したことだ。この場合、「ホンバオ」の送り手が、総額と「ホンバオ」数(もらえる人の数)を決めて送る。もらう側は早くタップした人から順番に獲得できるが、もらえる金額はランダムに決まる。」(西村2019、29〜30頁)

「このプロモーションにより、それまでウィーチャットペイを使ったことのなかったユーザーの「ウォレット」(アプリ内の口座)に、急にお金がたまり始めた。実は私もそうだった。この年の春節に、中国人の同僚や友人たちとのグループチャットの中で、よく意味を理解しないままゲーム感覚で遊んでいたら、気が付いたら「ウォレット」のなかに数十元(数百円)のお金が入っていた。」(同前、31頁)

微信红包」の特徴は「拼手气红包」というランダムな金額を複数の人々に送金できる点です。WeChat Payでは同額を複数人に送信することもできるのですが、獲得できる金額をランダムにする事によって、送金機能がゲーム性を獲得したのです。ユーザーがゲーム感覚で残高を獲得していったことで、WeChat Payのシェアは大きく拡大したと言われています。

 

「全員にあげちゃう300億円祭」(LINE Pay)

同じようなゲーム性を狙ってシェアの拡大を目論んでいるのが、ちょうど昨日から始まったLINE Payの「祝!令和 全員にあげちゃう300億円祭」(5/20(月)〜5/29(水))だと思われます。

これは「友だち」に1,000円相当のLINE Payボーナスを送金するキャンペーンだそうです。送金金額を「1,000円相当」と固定したのは、日本で金額をランダムにしたらクレーム沢山来そうだからかも知れません。

www.itmedia.co.jp

 

文献

 

*1:腾讯(Tencent、テンセント)が運用する中国のメッセンジャーアプリ「微信ウェイシンWeChatウィーチャット)」に決済サービスを追加したもの。

*2:蚂蚁金服Ant Financialアント フィナンシャル Services Group)が運用するサービス。

ジャック・デリダ『弔鐘 (Glas)』について

今日はジャック・デリダ『弔鐘 (Glas)』を読んでおりました。

ジャック・デリダの『弔鐘』は、完訳が待望される著書の一つです。左欄にヘーゲル論が、右欄にはジュネ論が同時並行で展開された、そのデザインが極めて斬新で挑戦的な構成の本です。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/e/e8/Derridaglas.jpg(Derrida 1974, Glas

 とりあえず今日さらっと眺めて気づいたことですが、『弔鐘』は割と引用が多用されたテクストなんですね。中盤ではヘーゲルの書簡(ニートハマーとのやりとり)が長々と引用されてますし、後半ではマルクスのパリ手稿からの引用から一転してフォイエルバッハの『キリスト教の本質』からの引用が続きます。しかし、元ページ数を記載しない点はアカデミックな形式に従ってないですし、そもそもページの構造が従来の書籍の形式をかなり逸脱しています。こうした形式の逸脱こそがデリダの「脱構築」なのかもしれませんが、発想の起源を辿れば、タルムードの書籍のデザインに似ている気がしなくもないですね(下図参照)。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f2/First_page_of_the_first_tractate_of_the_Talmud_%28Daf_Beis_of_Maseches_Brachos%29.jpg

 かつて90年代に『批評空間』(浅田彰柄谷行人編集、太田出版)という雑誌がありました。『弔鐘』はこの雑誌の巻末に鵜飼哲訳で連載されていたのですが、連載中に雑誌が廃刊となり、部分訳のまま途絶えました。

 『弔鐘』の研究は十分になされているとは言えないと思うのですが、一応スチュアート・バーネット編『デリダ以後のヘーゲル』(ルートリッジ、1998年、未訳)は目を通しておいた方が良さそうですね。

 日本語の文献だと、『弔鐘』はまだほんの僅かに言及されている限りですが、青柳悦子デリダで読む『千夜一夜』』の中で扱われており、また鵜飼哲『ジャッキー・デリダの墓』所収の「デリダにおけるヘーゲル──『弔鐘』における〈晩餐〉の記号論を中心に」でも扱われています。そして2015年に出た『現代思想』「総特集 デリダ」所収のマイケル・ナース「デリダ最盛期」では、デリダの死刑論講義と合わせて言及されています*1

sakiya1989.hatenablog.com

文献

*1:「しかし二年目の死刑論講義では、デリダは『弔鐘』に出てくるこれらのテーマすべてを想起するのみならず、実際に『弔鐘』そのものを参照する──そしてこれはこの講義においては非常に稀なことである。それはまるで、四半世紀後に『弔鐘』が──そしてジュネが──デリダ自身の著作と思考のうちで、再生ないし再盛を、新たな最盛期〔floruit〕を迎えたかのようである。」(現代思想 2015、49頁)。

「マンスプレイニング」について──レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』を中心に

はじめに

 今回は「「マンスプレイニング」について──レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』を中心に」というタイトルで書きたいと思います。

 皆さんは「マンスプレイニング」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「マンスプレイニング」とは、男性を意味する"man"と、「説明すること」を意味する"explain"をかけ合わせたかばん語です。この言葉は2008年以降に使用されたとみられています。

マンスプレイニングとは何か──ソルニットの違和感

 Googleで「マンスプレイニング」を検索してみると、「男性が、女性を見下すあるいは偉そうな感じで何かを解説すること」を意味する言葉として解説されています。

 「マンスプレイニング」という言葉ができたのは最近のことです。レベッカ・ソルニットによれば、2008年4月にソルニットが書いたオンライン記事のエッセイが広く読まれたことがきっかけとなり、後に「マンスプレイニング」という語が使用されるようになったといいます。ただし、「マンスプレイニング」という語そのものは、ソルニット自身が考案したものではないと本人は述べています。

エッセイが公開された直後に「マンスプレイニング mansplaining」という語も使われ出した。私が考え出した語だと言われることもあるが、実はまったくかかわっていない。エッセイと、それを具現化した〔そのアイデアを体現した〕ような男たちがインスピレーションになっているのは確かだが(個人的にはどうもしっくりこない語なので〔私はその語に疑念を抱いているし〕、自分で使うことはあまりない。「マンスプレイニング」だと、説教したがるのは男の内在的な欠陥だと強調しているような感じがする〔私にはそれが、男たちがそのような欠陥を(男の属性として)本来的に持っているという考えに少しばかり重きをなしているように見える〕。私が言いたいのはあくまで、説明できもしないことをしたがったり、人の話を聞かない男たちもいる、ということ。記事の中では明確に書いていなかったかもしれないが、興味はあるけどよく知らない事柄をだれかに説明してもらうのは好きだ。でもこちらがよく知っていて、むこうが何ひとつ知らないことについて説教されても、まともな会話にならない)。

(ソルニット2018:22、〔〕は引用者による補足、強調は引用者によるものである)

 

原文

The term "mansplaining" was coined soon after the piece appeared, and I was sometimes credited with it. In fact, I had nothing to do with its actual creation, thought my essay, along with all the men who embodied the idea, apparently inspired it. (I have doubts about the word and don't use it myself much; it seems to me to go a little heavy on the idea that men are inherently flawed this way, rather than that some men explain things they schouldn't and don't hear things they should. If it's not clear enough in the piece, I love it when people explain things to me they know and I'm interested in but don't that the conversation goes wrong.)

「個人的にはどうもしっくりこない語なので」の原文は"I have doubts about the word"となっています。ソルニット自身は「マンスプレイニング」という語を用いることについては戸惑いを感じており、「マンスプレイニング」という語を用いることによって伝えたいこととは別のことが伝わってしまうことに対して危惧を予見している、というようなニュアンスでしょうか。つまり、ソルニットは、「マンスプレイニング」という語が表現している内容(「説教したがるのは男の内在的な欠陥だと強調している」こと)と、ソルニット自身が訴えたい内容(すなわち「説明できもしないことをしたがったり、人の話を聞かない男たちもいる」こと)とは微妙にズレていると感じているようです。どうしてこのようなズレが生じてしまっているのでしょうか。

 このズレをヨリ明らかにするために、まずソルニット自身が記述しようとした「説明できもしないことを〔説明〕したがったり、人の話を聞かない男たち」が一体どのような人たちなのかを確認しましょう。それは彼女が体験した次のエピソードを読めば、一発で理解できます。

 マイブリッジの名前を出すや、彼は私を遮った。「今年出たばかりのマイブリッジ関連のとても重要な本を知ってるかね」。

 無邪気な娘役を演じることに夢中になっていた私は、自分の本と同じ主題の本がその年に出ていたのに見落としていた、と危うく信じかけた。男はすでにそのとてもインポータントな本とやらについて、ああだこうだとまくし立てていた──その表情にはすごく既視感があった──はるか彼方までおよぶ自分の権威、そのぼんやりと霞む地平線をじっと見つめながら滔々と長話をする男の、満足しきった表情。

 念のためにいっておくと、私のまわりはこんな男ばかりではない。若い頃からずっと私の話を聞き、激励し、著作を出版してくれた編集者たち。どこまでも寛容な弟。そしてペレン先生のチョーサーの授業で聞いて以来忘れられない『カンタベリー物語』の学僧のように、「学び教えることを惜しまない」すばらしい友人たち。といっても、碌でもないのもまたいるわけだ。ミスター・インポータント氏が、私が当然知っているべき件の本について自慢げに語っていると、サリーが「それ、彼女の本ですけど」と割って入った。というか、とにかく男を黙らせようとした。

(ソルニット2018:8〜9)

ここを読む限り、「ミスター・インポータント氏」と呼ばれる男の説明する行為は、言ってしまえば自己満足的な行為です。つまり、相手のもつ知識水準に合わせて会話することをせず、一方的に自分の知識を披瀝するという行為は、双方的な会話というよりもただの演説に近いかもしれません。そこにあるのはコミュニケーション上の機能不全だと言えそうです。

 ソルニットが感じているように、もし「マンスプレイニング」という語が「説教したがるのは男の内在的な inherently 欠陥だ」ということを強調するものだとすれば、それはすなわち「説明すること」が男性に顕著にみられる一般的な傾向ということになってしまいます。英語の"inherently"は「本来的な」という意味です。もし「マンスプレイニング」が男性が生まれ持って備えている男性特有の性質であるならば、男性が男性をやめないかぎり自分自身から「マンスプレイニング」という属性を除こうとすることは困難であることになります。

 もし「マンスプレイニング」が男性の社会的役割によって構成されたジェンダーの問題だとすれば、その発生の起源を解明することによって解決の糸口を探ることはできるでしょうし、それによって「マンスプレイニング」が解決不可能ではなく解決可能な問題であるという見通しを持てることこそが重要だと思います*1

 少なくとも、「説明する」という行為が言語活動であるという点から、「マンスプレイニング」が男性に本来的に備わっている属性ではないと考えられます。というのも、言語というものは学習を通じて後天的に獲得されたものであり、したがって言語使用によって為される「マンスプレイニング」もまた後天的に獲得された性質だと考えられるからです*2

 ソルニット自身は、「念のためにいっておくと、私のまわりはこんな男ばかりではない」と釘を刺し、「マンスプレイニング」の一般化には否定的なようです。そして、そうであるがゆえに「マンスプレイニング」という語に対してソルニットが違和感を抱いていると言えるかもしれません。

おわりに

 もし「マンスプレイニング」が男性一般にみられる傾向ではなく、ある特定の男性にみられる傾向だとすれば、その傾向は何に起因するものなのでしょうか。

 今回は「マンスプレイニング」を取り上げましたが、日本ではあまり聞かれていないように思います。日本ではむしろよく用いられるのは、「マンスプレイニング」に似た言葉で、男女共に見られる「マウンティング」かもしれません。「マウンティング」については別の機会に述べたいと思います。

文献

*1:とは言うものの、「マンスプレイニング」がジェンダーの問題だからその解決が"容易だ"ということにはならない。むしろジェンダーの問題だからこそ拘束力が強く解決し難いという可能性も大いにある。「マネーとタッカーの業績は、次の二点にまとめることができる。第一に、生物学的還元説に対して、セックスとジェンダーとは別なものだとあきらかにしたこと、第二に、だからといってジェンダーが自由に変えられるようなものでなく、その拘束力が大きいことを証明したことである。」(上野2015:11)。

*2:そもそもジェンダーと言語とは、根本的なところで結びついている。「「性自認」は二歳までの言語習得期に形成されると言われている。ホルモンと同じく、この臨界期を過ぎるとその後は変化しない。心理学的な性差研究にはおびただしい蓄積があり、幼児の時から、男児は空間能力にすぐれ、女児は言語能力にすぐれているといった調査結果があるが、マネーとタッカーによれば、被験者が調査に応じられるようになるまでには、「性自認」は形成されてしまっていることになる。したがって言語によっておこなわれるあらゆる心理学的性差研究は、一種の「予言の自己成就」、すなわち言語によって形成された性差を言語によって追認するという作業になる。…(中略)…マネーとタッカーは、生物学的性差の基盤のうえに、心理学的性差、社会学的性差、文化的性差が積み上げられるという考え方を否定し、人間にとって性別とはセックスではなくジェンダーであることを、明瞭に示した。人間においては、遺伝子やホルモンが考える、のではない。言語が考える、のである。」(上野2015:10〜11)。

ウンベルト・エーコの著作(邦訳)の暫定的なまとめ

はじめに:エーコ追悼

 本日2月19日は、ウンベルト・エーコ(1932-2016)の命日である。三年前の2月19日22時30分に彼は息を引き取った。死因はがんであった。

 ウンベルト・エーコは、稀有な才能をもつ"文学者"であった。それは、彼が記号学などの分野で学者として傑出した才能を発揮するとともに、数々のベストセラー作品を生み出す小説家でもあったという意味においてである。

 彼の有名な小説『薔薇の名前』("Il Nome della Rosa", 1980年発表)は、後にショーン・コネリー主演で映画化もされた(1986年)。

wired.jp

courrier.jp

 以下に謹んでエーコの著作一覧を掲げておく。この機会に是非手に取られたい。

 

ウンベルト・エーコ著作一覧(邦訳)

*外国語文献についてはこちら*1を参照のこと。

*雑誌・紀要に収録されている著作についてはこちら*2を参照のこと。

2018年に書いた記事まとめ

目次

2018年に書いた記事まとめ

 今日は今年最後ということで、2018年に書いた記事を振り返ります。

1月(仮想通貨)

 1月は仮想通貨ネタでした。

  1. アルトコインあるいはビットコインのオルタナティブについて

2月(仮想通貨)

 2月も仮想通貨ネタですね。もう遠い過去のように思います。

  1. イタリアの仮想通貨取引所BitGrailで盗まれたNanoについて(DAGとブロックチェーン)

3月(投資、効率、家族、ブルデュー

 3月から記事の趣向が変わっていますね。

  1. 採用と投資 ー投資人材と消費人材ー
  2. 「手抜き」のススメ

  3. 家族というメタファー

  4. ブルデューに学ぶ

4月(ヴィトゲンシュタイン西周、大学、ドイツ通俗哲学、権利)

 4月から明らかに哲学や思想方面の記事にシフトしています。ドイツ通俗哲学について言及したことによって、その記事が小谷さんの進捗報告会に参加するきっかけにもなりました。

  1. テクスト解釈の多様性
  2. ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』はシュールな思考の本だ
  3. 西周「百学連環」とencyclopedia
  4. 大学の図書館は重要な存在
  5. 大学とはメディアなのか
  6. 通俗の弁証法 あるいはカント・ドイツ通俗哲学・西周
  7. 「権利」という翻訳語
  8. 田上 孝一[編著]『権利の哲学入門』(社会評論社、2017年)

5月(ホッブズヘーゲル、権利、正義、EC、アマゾン)

 5月はホッブズの観点から「権利」を捉え直し、ヘーゲルの観点から「正義」を捉え直す試みでした。

  1. ホッブズの権利論──自然権と自由
  2. 家庭用POSシステムについて ーEC市場・潜在的在庫・レコメンド機能問題への一寄与ー
  3. ヘーゲルの「正義」論
  4. ヘーゲル『法の哲学』における「正義」の用例集
  5. アマゾンについての新刊3冊
  6. ホッブズの「哲学=科学」論

6月(イェーリングヘーゲル

 6月は、僕としては珍しくヘーゲルの『精神の現象学』を扱っています。科学哲学のコンテクストの中でヘーゲル精神の現象学』の「序言」を読み直しました。

  1. イェーリングの「権利感情」論
  2. ヘーゲル『精神の現象学』「序言」における《哲学》と《科学》

7月(ヘーゲル

 7月はヘーゲルをテーマに書いています。

  1. ヘーゲル体系における完全性?
  2. カーネマンとヘーゲルの意志・思考論

8月(ヘーゲルヴィーコ

 8月からやや新しいテーマに挑戦し始めています。自分としては初めてヴィーコに言及しました。

  1. いわゆる「自由意志」論(1)
  2. 不満について

  3. ヘーゲルの「倫理」について

  4. ヴィーコの「共通感覚(常識)」論

  5. ヘーゲル『世界史の哲学』講義録における文献学的・解釈学的問題

  6. ヴィーコの文献を読むなど

9月(健康診断)

 9月は1記事しか書いてないですね。忙しかったんでしょう。

  1. 健康診断結果を分析する

10月(本居宣長、検索、Googleなど) 

 10月も忙しかったと思いますが、Googleの機能を百科事典や検索の歴史から考察しました。

  1. 熊野純彦『本居宣長』(作品社、2018年)
  2. 検索と参照──L'Encyclopédie・Cyclopædia・Wikipedia
  3. Google+の閉鎖とユーザーの情報流出について
  4. 松岡正剛『情報生命』(角川ソフィア文庫、2018年)

11月(Instagramベンヤミン

 11月はInstagramを始めてみました。そしてベンヤミンの写真論を読もうと思っているうちにいつの間にかベンヤミンの「歴史哲学テーゼ」を読み解いていました。

  1. 【音楽】よく聴く好きな曲【相川七瀬・茅原実里・MANISH】
  2. Instagram──スクエアのうちに表現されし美学
  3. Instagram(2)──調理としてのフィルター
  4. ベンヤミンの遺稿「歴史の概念について」

12月(ベンヤミン、リキッドバイオプシー、YouTube Music)

 12月は引き続きベンヤミンを読むとともに、医療技術やYouTube Musicのようなサービスについて書きました。

  1. ベンヤミンのいわゆる『複製技術時代の芸術作品』
  2. ベンヤミンの遺稿「歴史の概念について」(2)

  3. 文献表の作成について

  4. ガーダントヘルスとリキッドバイオプシー

  5. 「YouTube Music」について

  6. 架空のインタビュー

おわりに

 さて、いかがでしたでしょうか。

 僕が2018年に書いた記事のテーマが多岐にわたるため、僕の興味関心が一貫性のないもののように思われたかもしれません。実際そうかもしれませんし、実は通奏低音のように一貫したものが垣間見えたかもしれません。

 兎にも角にも、以上が今年1年間自分が書きたいように書いてきた結果です。もともと僕自身の興味関心が多岐にわたるため、大学で一つの専門に絞って研究を続けていくのが難しいから在野研究という形をとって書き散らしているのです。

 来年も今年同様に、自分の興味関心の赴くままに研究を続けたいと思います。

 今年一年お読みいただきありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。

架空のインタビュー

目次

自分に架空のインタビューを仕掛けてみました。 

架空のインタビュー

あなたの長所と短所は?

 長所は興味があることにトコトン集中して取り組むことができるところ。短所は興味持てないことにはなかなか取り組むことができないところ。 

趣味やストレス発散方法は?

 ブログを書くこと。休日や仕事終わりに興味あるテーマについて本を買って読んだり、論文を読んで調べ、それをブログに書いてまとめている。一つの記事を書き上げた達成感は何事にも代えがたい。 

ストレスは感じやすい方?

 ほとんど感じない。いままで上手く行かなかったことが多かったので、ちょっとやそっと結果が出なくても動じない。ただ、毎日、本を読んだり調べ物をしたりして常に情報をインプットしていないとストレスを感じる。

これだけは一番だと言えることは?

 にわかに興味を持ったことを調べて短期間でまとめる力。 

あなたを漢字一文字で表すと?

 名前の中にも入っている「幸」。 

あなたにとって仕事とは?

 「最高の暇つぶし」。仕事をしないと一日中暇でしょうがないから。逆に「お金をあげるから働かないでくれ」と言われても、たぶん何かしら仕事をすると思う。