まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ウンベルト・エーコの著作(邦訳)の暫定的なまとめ

はじめに:エーコ追悼

 本日2月19日は、ウンベルト・エーコ(1932-2016)の命日である。三年前の2月19日22時30分に彼は息を引き取った。死因はがんであった。

 ウンベルト・エーコは、稀有な才能をもつ"文学者"であった。それは、彼が記号学などの分野で学者として傑出した才能を発揮するとともに、数々のベストセラー作品を生み出す小説家でもあったという意味においてである。

 彼の有名な小説『薔薇の名前』("Il Nome della Rosa", 1980年発表)は、後にショーン・コネリー主演で映画化もされた(1986年)。

wired.jp

courrier.jp

 以下に謹んでエーコの著作一覧を掲げておく。この機会に是非手に取られたい。

 

ウンベルト・エーコ著作一覧(邦訳)

*外国語文献についてはこちら*1を参照のこと。

*雑誌・紀要に収録されている著作についてはこちら*2を参照のこと。

2018年に書いた記事まとめ

目次

2018年に書いた記事まとめ

 今日は今年最後ということで、2018年に書いた記事を振り返ります。

1月(仮想通貨)

 1月は仮想通貨ネタでした。

  1. アルトコインあるいはビットコインのオルタナティブについて

2月(仮想通貨)

 2月も仮想通貨ネタですね。もう遠い過去のように思います。

  1. イタリアの仮想通貨取引所BitGrailで盗まれたNanoについて(DAGとブロックチェーン)

3月(投資、効率、家族、ブルデュー

 3月から記事の趣向が変わっていますね。

  1. 採用と投資 ー投資人材と消費人材ー
  2. 「手抜き」のススメ

  3. 家族というメタファー

  4. ブルデューに学ぶ

4月(ヴィトゲンシュタイン西周、大学、ドイツ通俗哲学、権利)

 4月から明らかに哲学や思想方面の記事にシフトしています。ドイツ通俗哲学について言及したことによって、その記事が小谷さんの進捗報告会に参加するきっかけにもなりました。

  1. テクスト解釈の多様性
  2. ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』はシュールな思考の本だ
  3. 西周「百学連環」とencyclopedia
  4. 大学の図書館は重要な存在
  5. 大学とはメディアなのか
  6. 通俗の弁証法 あるいはカント・ドイツ通俗哲学・西周
  7. 「権利」という翻訳語
  8. 田上 孝一[編著]『権利の哲学入門』(社会評論社、2017年)

5月(ホッブズヘーゲル、権利、正義、EC、アマゾン)

 5月はホッブズの観点から「権利」を捉え直し、ヘーゲルの観点から「正義」を捉え直す試みでした。

  1. ホッブズの権利論──自然権と自由
  2. 家庭用POSシステムについて ーEC市場・潜在的在庫・レコメンド機能問題への一寄与ー
  3. ヘーゲルの「正義」論
  4. ヘーゲル『法の哲学』における「正義」の用例集
  5. アマゾンについての新刊3冊
  6. ホッブズの「哲学=科学」論

6月(イェーリングヘーゲル

 6月は、僕としては珍しくヘーゲルの『精神の現象学』を扱っています。科学哲学のコンテクストの中でヘーゲル精神の現象学』の「序言」を読み直しました。

  1. イェーリングの「権利感情」論
  2. ヘーゲル『精神の現象学』「序言」における《哲学》と《科学》

7月(ヘーゲル

 7月はヘーゲルをテーマに書いています。

  1. ヘーゲル体系における完全性?
  2. カーネマンとヘーゲルの意志・思考論

8月(ヘーゲルヴィーコ

 8月からやや新しいテーマに挑戦し始めています。自分としては初めてヴィーコに言及しました。

  1. いわゆる「自由意志」論(1)
  2. 不満について

  3. ヘーゲルの「倫理」について

  4. ヴィーコの「共通感覚(常識)」論

  5. ヘーゲル『世界史の哲学』講義録における文献学的・解釈学的問題

  6. ヴィーコの文献を読むなど

9月(健康診断)

 9月は1記事しか書いてないですね。忙しかったんでしょう。

  1. 健康診断結果を分析する

10月(本居宣長、検索、Googleなど) 

 10月も忙しかったと思いますが、Googleの機能を百科事典や検索の歴史から考察しました。

  1. 熊野純彦『本居宣長』(作品社、2018年)
  2. 検索と参照──L'Encyclopédie・Cyclopædia・Wikipedia
  3. Google+の閉鎖とユーザーの情報流出について
  4. 松岡正剛『情報生命』(角川ソフィア文庫、2018年)

11月(Instagramベンヤミン

 11月はInstagramを始めてみました。そしてベンヤミンの写真論を読もうと思っているうちにいつの間にかベンヤミンの「歴史哲学テーゼ」を読み解いていました。

  1. 【音楽】よく聴く好きな曲【相川七瀬・茅原実里・MANISH】
  2. Instagram──スクエアのうちに表現されし美学
  3. Instagram(2)──調理としてのフィルター
  4. ベンヤミンの遺稿「歴史の概念について」

12月(ベンヤミン、リキッドバイオプシー、YouTube Music)

 12月は引き続きベンヤミンを読むとともに、医療技術やYouTube Musicのようなサービスについて書きました。

  1. ベンヤミンのいわゆる『複製技術時代の芸術作品』
  2. ベンヤミンの遺稿「歴史の概念について」(2)

  3. 文献表の作成について

  4. ガーダントヘルスとリキッドバイオプシー

  5. 「YouTube Music」について

  6. 架空のインタビュー

おわりに

 さて、いかがでしたでしょうか。

 僕が2018年に書いた記事のテーマが多岐にわたるため、僕の興味関心が一貫性のないもののように思われたかもしれません。実際そうかもしれませんし、実は通奏低音のように一貫したものが垣間見えたかもしれません。

 兎にも角にも、以上が今年1年間自分が書きたいように書いてきた結果です。もともと僕自身の興味関心が多岐にわたるため、大学で一つの専門に絞って研究を続けていくのが難しいから在野研究という形をとって書き散らしているのです。

 来年も今年同様に、自分の興味関心の赴くままに研究を続けたいと思います。

 今年一年お読みいただきありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。

架空のインタビュー

目次

自分に架空のインタビューを仕掛けてみました。 

架空のインタビュー

あなたの長所と短所は?

 長所は興味があることにトコトン集中して取り組むことができるところ。短所は興味持てないことにはなかなか取り組むことができないところ。 

趣味やストレス発散方法は?

 ブログを書くこと。休日や仕事終わりに興味あるテーマについて本を買って読んだり、論文を読んで調べ、それをブログに書いてまとめている。一つの記事を書き上げた達成感は何事にも代えがたい。 

ストレスは感じやすい方?

 ほとんど感じない。いままで上手く行かなかったことが多かったので、ちょっとやそっと結果が出なくても動じない。ただ、毎日、本を読んだり調べ物をしたりして常に情報をインプットしていないとストレスを感じる。

これだけは一番だと言えることは?

 にわかに興味を持ったことを調べて短期間でまとめる力。 

あなたを漢字一文字で表すと?

 名前の中にも入っている「幸」。 

あなたにとって仕事とは?

 「最高の暇つぶし」。仕事をしないと一日中暇でしょうがないから。逆に「お金をあげるから働かないでくれ」と言われても、たぶん何かしら仕事をすると思う。

「YouTube Music」について

目次

 今回はGoogleの新サービス「YouTube Music」について書きたいと思います。

YouTube Musicの登場

 11月に個人用スマホをPixel 3 XLにしました。Pixel 3の購入者にはいくつかの特典があり、特典の一つとして「YouTube Music Premium」の6ヶ月間無料トライアルがありましたので、早速利用してみました。

mobilelaby.com

 「YouTube Music」は日本では2018年11月14日に公開されたばかりのサービスです*1

 「YouTube Music」には有料版と無料版があり、有料版を「YouTube Music Premium」と言います。無料版には広告があり、有料版には広告がありません。ユーザーにとっては広告がない方が良いですが、Googleにとっては無料版なら広告収入によって、有料版ならサブスクリプションによって収益化が可能です。

 なお有料版の金額はGoogle Playから申し込んだ場合とAppleApp Storeから申し込んだ場合とで異なっており、Google Play経由の場合が月額980円であるのに対して、App Store経由の場合は月額1,280円と少し割高に設定されています。

YouTube動画×バックグラウンド再生=最強

 「YouTube Music Premium」の大きなウリはバックグラウンド再生ができることです。残念ながら、無料版の「YouTube Music」ではバックグラウンド再生はできません。

 バックグラウンド再生のメリットは、画面をオフにしても音楽を聞くことができる点です。

 通常、YouTubeにアップロードされている音楽を聴く場合、画面を常にオンにしていなければなりません。これだと、ただ音楽を聴きたいだけなのに、画面オンのためにバッテリーを消耗してしまいます。

 これに対して、有料版の「YouTube Music Premium」では、「YouTube Music」で配信されている音楽だけでなく、YouTubeにアップロードされている動画も含めて、バックグラウンド再生が可能となります。これによって、以前と比べてバッテリー持ちを気にせずに音楽を気軽に楽しめるようになりました。

www.businessinsider.jp

SpotifyにとってYoutube Musicは脅威

 「YouTube Music」の競合他社としてすぐに思い浮かぶのがSpotifyです。両方のサービスを利用したことがある人ならすぐに分かりますが、「YouTube Music」のプレイリストは、明らかにSpotifyのそれを模倣し、アレンジしています。

 「YouTube Music」とSpotifyは有料版と無料版がある点で似ていますが、細かいサービス内容は異なっています。Spotifyは無料版でもバックグラウンド再生が可能です。音質(ビットレート)の点では「YouTube Music」*2よりもSpotify*3の方が優れていると言えます。

 しかしながら、両者には決定的な違いがあります。それは「YouTube Music」だけが、YouTubeにアップロードされた豊富な音楽コンテンツ*4を再利用できるという点です。これだけは同業他社が絶対に真似できない点です。

www.businessinsider.jp

試用期間の長期化戦略:フリーミアムとサプスクリプション

 「YouTube Music」のように無料版と有料版があるようなビジネスモデルを「フリーミアム*5と言います。フリーミアムは、フリー(無料)とプレミアム(有料)の組み合わせで成り立っており、一般的にフリーからプレミアムに切り替わる割合は非常に小さいと言われます。

 ここで一つ気づくことがあります。「YouTube Music Premium」はサブスクリプションというビジネスモデルが巧みに導入されています。特にGoogleサブスクリプションが他のサービスと違うのは、無料で試用できる期間が長いことです。通常のサブスクリプションは、1ヶ月間無料や30日間無料というように期間が短いことが多いのですが、Googleの「YouTube Music」の場合は3ヶ月や6ヶ月と通常の倍以上長い期間、無料で試用できます。

 長い試用期間の効果はおそらく絶大です。なぜならユーザーは「忘れないうちに早く解約しなきゃ」と心配する必要がないので、安心してサービスを利用してしまいます。従来の1ヶ月間だけの試用期間では、サービスを使うことが習慣化しないまま解約されてしまっていたかもしれません。しかし、3ヶ月や半年と長く試用すればするほど、ユーザーはそのサービスを使うことが生活の一部となってしまい、やめることができなくなってしまうかもしれません(ニコチン中毒のように…)。

  

*1:YouTube Music」は、日本に先んじて、2018年5月22日にアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、メキシコの4カ国で公開された。

*2:YouTube Musicの音楽はAACエンコードされている。無料版では標準音質128kbpsで再生される。有料版のYouTube Music Premiumユーザーは音質を選択することができるようになり、高音質では256kbpsで再生できる。アプリ初期設定では標準音質になっている為、うっかり標準音質のまま有料版を使い続けないように注意されたい。もしあなたが有料版のYouTube Music Premiumを利用しているなら、「常に高音質」に設定しておくことをおすすめする。

*3:Spotifyの場合、一部AACで配信されるという例外を除いて、基本的にはOgg Vorbisエンコードされており、標準音質では160kbps、最高音質では320kbpsで再生される。

*4:ただし、「YouTube Music」で再生できるのは、YouTubeにアップロードされた全ての動画ではない。YouTubeのあらゆる動画をバックグラウンド再生したければ、「YouTube Premium」に申し込む必要がある。

*5:クリス・アンダーソンは、フリー(無料)のビジネスモデルを四つに分けた上で、次のように述べている。「『フリーミアム』[Freemium]は、ベンチャー・キャピタリストのフレッド・ウィルソンの造語で、ウェブにおけるビジネスモデルとしては一般的だ。それは多くの形態をとりうる。無料から高額のものまでさまざまなコンテンツをそろえるところもあるし、無料版にいくつかの機能を加えてプロ用の有料版をそろえるところもある(無料のフリッカーと、年間二五ドルを払うフリッカー・プロがその例だ)。」(クリス・アンダーソン『フリー [ペーパーバック版]:〈無料〉からお金を生みだす新戦略』NHK出版、2016年、44頁)。

ガーダントヘルスとリキッドバイオプシー

目次

 今回はガーダントヘルスとリキッドバイオプシーについて書く。

はじめに

 株式市場が全体的に下落している。最近はボラティリティが大きく、1日で数十万資産額が変動することに鈍感になってしまったが、それでも運用に関して反省すべき点がたくさんあった。いい機会なので、不要な銘柄を売って、新しい投資先を探すのが良いかもしれない。

 問題はどこに投資するかである。

ガーダントヘルス

 最近、新たな投資先としてガーダントヘルスが気になっている。今年まだ上場したばかりの会社だ。血液からがんの遺伝子検査をする会社である。

f:id:sakiya1989:20181220224726j:plain(ガーダントヘルスのチャート、赤線は筆者)

チャートに線を引いてみたが、特に意味はない。

リキッドバイオプシー

 筆者はがんについて詳しいことは知らないが、あえて簡単な説明に挑戦してみる。間違っていたら許してほしい。

 がんを診断する際には、ふつうバイオプシー、すなわち生体検査(以下、生検)という方法をとる。これは腫瘍組織の一部を採取して、顕微鏡で詳しく調べ、がんの診断を下す方法だ。従来の生検は、人体の一部を切除する侵襲的検査なので、患者の身体への負担が大きい。身体への負担の大きさが分からないという人は、シャイロックに一ポンドの肉片を切り取られる苦しみを想起されたい。

 これに対して、ガーダントヘルスが提供するのがリキッドバイオプシー、すなわち血液生検という方法である。これは血液を採取して、がんの診断を下す方法だ。リキッドバイオプシーは、血液の採取だけで済む非侵襲的検査なので、従来の生検と比べて患者への負担は軽い。小さい試験管2本分の血液をガーダントヘルスに送付して、検査結果を1〜2週間程度待つだけだ。

 がん患者の体内では、がん細胞が腫瘍から血液へとわずかに漏れ出したり、漏れ出したがん細胞から発生したDNAが体内を循環していることがある。前者をCTC(血中循環腫瘍細胞)と呼び、後者をctDNA(血中循環腫瘍DNA)と呼ぶ。これらのサインをバイオマーカー*1として利用することができる。

 がんが肺がんや前立腺癌などの多様な部位で腫瘍を発生するのと同じく、がんのDNAも発生部位によって異なるとされる。ガーダントヘルスの提供する「Guardant360」では、73ものがん遺伝子を識別することができるので、それぞれのがん遺伝子に合わせて適切な治療法を行うことができるのである。

おわりに

 筆者はかつて修士論文執筆中に体の調子が悪くなり、「もしかして自分はがんじゃないか」と疑った時がある。その後、無事治ったからよかったものの、自分ががんかもしれないと思った時の恐怖は筆舌し難いものがある。

 がんは死亡要因の代表的なものであり、人生100年時代にはいつか誰もがなっておかしくない病気だ。リキッドバイオプシーのように患者の身体への負担を減らす有効な対処法がテクノロジーによって実現されることは望ましい。さらなる進展に期待したい。

文献

*1:バイオマーカーとは「通常の生物学的過程、病理学的過程、もしくは治療的介入に対する薬理学的応答の指標として、客観的に測定され評価される特性」のことである。

文献表の作成について

 今回は、文献表の作成ついて書きたいと思います。

 私はこのブログで関心のあるテーマについて記事を書いていますが、記事を書く前には必ずと言って良いほど文献表を作成しています。「まだ先行研究で消耗してるの?」*1というふざけたタイトルを採用していますが、私は決して先行研究を無視していいとは考えていません。

 論文を書く場合、当然のことながら先行研究を無視することはできません。先行研究を踏まえた上で、自分の研究が新たに付け加える意義を自ら明らかにしなければなりません。

 このブログ記事は論文ではありませんが、時間が許す限りで先行研究に当たることを常としています。先行研究に当たる前段階として、私は文献表を作成しています。

 私が文献表を作成するにあたって参考にしているサイトは、主にCiNii ArticlesとJ-STAGEAmazon、そしてGoogle検索です。

これらのサイトで検索したものを、Googleドキュメントで文献表として手入力でリストアップします。

f:id:sakiya1989:20181218184947j:plain(文献表の例。Googleドキュメントでクラウド上に保存してある。)

 手入力で文献表を作成するのはだいぶ骨が折れます。「もしかしたら文献表を作る必要などないかもしれない」とさえ思うこともあります。というのも、CiNiiやJ-STAGEで「ヘーゲル」や「ベンヤミン」と入力すると、そのワードで引っかかった論文が一気に表示されるのですから、読む必要に応じてその都度検索すれば良いような気もします。実際、文献表を作るだけならば、Webスクレイピングで自動化すれば事足ります。

 しかし、注意しなければならないのは、文献表を作ることそれ自体が目的なのではなく、文献表の作成は関心のあるテーマについて適切に書くために必要な通過儀礼であるということです。というのも、私は文献表の作成という過程を通じて、その関心のあるテーマの文献表を常に頭の中に思い浮かべることができるようになり、しかもこの想起が原動力となってふと「あの文献を読もう」という意欲が生まれてくるからです。このような効果を期待して手入力で文献表を作成しているのですから、文献表の作成を自動化することは(それが可能であるとしても)できないのです。

 文献を作成し保存するのはGoogleドキュメントがおすすめです。どういうわけか、毎年恒例Twitterでは卒論の時期になると「バックアップを取りなさい」というツイートがTLに流れてくるのですが、ドキュメントファイルをパソコンやUSBメモリにのみ保存するというのは過去のやり方であって、今後はGoogleドライブのようなクラウド上に保存し、書き進めたら自動で保存されるというのが現代のやり方です。

 余談ですが、かつて私が在籍していた一橋大学大学院社会学研究科修士課程では、M2以降の在籍者は全員「リサーチワークショップ(RW)」というものを行うことになっています。RWでは、社会学研究科の指導教員たちを前に自分の研究テーマについて発表します。事前にレジュメを2〜3ページほどでまとめて提出するのですが、レジュメは修士論文目次・概要(3〜4ページ程度)・参考文献から成ります。私が書くために参考文献をリストアップするという習慣を身につけたのは、このRWを通じてだったと思います。

*1:このタイトルはイケダハヤトさんの「まだ東京で消耗してるの?」をもじったものです。

ベンヤミンの遺稿「歴史の概念について」(2)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

はじめに

 前々回に引き続き、ベンヤミン「歴史の概念について」の第一テーゼについて書きたいと思います。

第一テーゼ

f:id:sakiya1989:20181212135204j:plain

周知のように、チェスを指す自動人形が存在したという。この自動人形は、相手がどのような手を指しても人形側にその一局の勝利を保証する応手でもって答えられるように組み立てられていたという。この人形はトルコ風の衣装を纏い、水パイプを口にして、大きなテーブルの上に置かれた盤の前に坐っていた。数枚の鏡を組み合わせたシステムによって、このテーブルはどの方向からも透けて見えるような錯覚を与えていた。ところが本当は、チェスの名人であるせむしの小人がその中に坐っていて、人形の手を紐で操っていたのである。哲学においてもこの装置に相当するものを想像することができる。〔なぜなら〕<史的唯物論>と呼ばれる人形は常に勝たなければならないからだ。この<史的唯物論>と呼ばれる人形が進学を〔味方につけて〕自分のために働かせることができるならば、この人形はどんな相手とも十分互角に張り合うことができるのだ。〔神学が自動人形を操るせむしの小人に擬せられる理由は〕神学が今日では小さく醜い存在となっており、そのうえ自分の姿を人目に曝すことが許されていないことは、周知のことだからである。

(Benjamin 1991: 693、平子2005: 2)

第一テーゼは「韜晦的表現による問題提起」(鹿島2013: 10)と言われ、つまり理解するのが難しいと言われることが多いのですが、その難しさは、西欧の文脈において理解されうるイメージを、時間と空間において遠く離れた我々が、ほとんど活字だけで理解しようとするところに起因するのかもしれません。少なくともこの第一テーゼに関しては、補助的に画像を用いたほうが圧倒的に理解しやすいと思われます。とりわけ日本でこの第一テーゼの読解を難しくしているのは、おそらくベンヤミンが「トルコ人」と「せむしの小人」という二つの喩えを用いて、史的唯物論と神学の関係を巧みに表現している点であると思います。

トルコ人

 まず「トルコ人」について簡単にみていきましょう。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/Tuerkischer_schachspieler_windisch4.jpg

(ケンペレンの「トルコ人」のスケッチ、Category:The Turk - Wikimedia Commonsより)

上の画像は「トルコ人」という自動人形のイラストです。「トルコ人*1は1770年にケンペレンが発明した自動人形(だと人々は思い込んでいた)です。その中に人間としてのチェスの名人が入っていることを知られることなく、「トルコ人」は84年間にわたってチェスの試合で勝ち続けてきました。

 テーゼⅠでは「口に水煙管をくわえた(eine Wasserpfeife im Munde)」と記述されています。しかし、上のスケッチでは「トルコ人」は水煙管を口にくわえていません。水煙草をくわえた「トルコ人」が確認できるのは、Racknitz [1789]の巻末付録のイラストです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5d/Tuerkischer_schachspieler_racknitz1.jpgRacknitz [1789]の巻末付録のイラストCategory:The Turk - Wikimedia Commonsより)

 「トルコ人」についてはWindisch 1784の記述をもとに三枝2014: 11以下で詳しく描かれています。興味深いことに、当時の人々はこの「トルコ人」を見て不気味に感じたそうです(三枝2014: 13〜14)。AIについての議論が盛んになったちょうど昨年頃に、我々がAIに対して脅威を抱いたのと同じように、ゼンマイ仕掛けの自動人形が知能を持っているように見えるその姿は、当時の人々にとって恐ろしいものだったのかもしれません。

 今となっては、ディープニューラルネットワークによってチェスを習得したAIは、人間に必ず勝って当然の存在となってしまいました。もはや「トルコ人」の喩えはもはや単なる喩えとして通用しないような状況になってしまったと言えるかもしれません。

 そして今日、我々がよく考える必要があるのは、まさにこの点にあります。我々人間がAIとチェスで対局する場合、AIは自動人形のような身体性を持ち合わせる必要がなく、せいぜいディスプレイ上で戦うぐらいです。チェスの名手としてのAIは身体性を持たない知性であり、そこに見つかるのはせいぜいアルゴリズムです。いわゆるAIは、「自動人形」(物質性・身体性)と「せむしの小人」(人間、中の人)の両方から解放された存在のようにも見えます。

japan.cnet.com

 せむしの小人

 次に「せむしの小人」についても簡単にみておきましょう。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c0/Offterdinger_Schneewitchen_%282%29.jpg(Carl Offterdingerのイラスト"Schneewittchen und die sieben Zwerge"

ゲーマーであれば、「ドワーフdwarf)」というキャラクターを知っていると思いますが、dwarfという英語は元々はドイツ語のZwerg(小人)に由来します。周知のように、19世紀の代表的な文学者であるグリム兄弟が編集した「グリム童話」には「白雪姫」が収められています。「白雪姫」はディズニーのアニメーションを通じて我々にとっても非常に身近な童話ですが、「白雪姫」に登場する「7人の小人(sieben Zwerge)」こそが我々にとって最もイメージしやすい侏儒かもしれません。

 要するに「小人(Zwerg)」とはちっちゃいおじさんのことであり、しかも「せむし(buckliger)」つまり背が曲がって醜い姿をしているようなちっちゃいおじさんが、先にみた「トルコ人」のテーブルの中に隠れてチェスを行なっていた、ということです。

 以上、ほとんど前置きみたいな話ばかりでしたが、一見すると不要にも思われることをわざわざ取り上げたのは、ベンヤミンの第一テーゼを取り上げて語る論文がほとんど画像を用いずに論じているからです。しかしながら、画像(Bild)は、「歴史の概念について」の他のテーゼでは極めて重要な概念をなしており、したがって我々はこのテーゼを論じる際に画像を用いても良いはずなのです。ベンヤミンの第一テーゼの思想を文学的に読解するためには、少なくとも以上のような「トルコ人」や「せむしの侏儒」のイメージを膨らませて読むことが重要だと私は思います*2

おわりに

 ベンヤミンはこの第一テーゼの中で「人は、この装置に匹敵するものを、哲学において思い浮かべることができる」と述べています。これを真似して言うならば、「人は、この装置に匹敵するものを」、ITの分野においても「思い浮かべることができる」と言えるのかもしれません。昨今ではAIやビッグデータというものがバズワードとして用いられています。AIに任せれば上手くいく、という観念は、まるで「トルコ人」の自動人形のうちに人々が観ていたものを彷彿とさせます。AIやビッグデータといっても、実際には、アルゴリズムを組み直したり、常に問題がないようにインフラを整備している多くの人々の努力があってこそ成り立っています。ビッグデータ解析はとりわけ、データの集積だけで何かの役に立つというたぐいのものではなく、データサイエンティストによる解釈が必要です。女子高生AI「りんな」やBotチャットは自動的に返事をするバーチャルな「自動人形」です。が、深層学習が時としてウェブ上の情報に基づいて偏見を形成してしまう恐れがあるために、「自動人形」がチューリングテストに合格するためには、常に背後に人間が、もしかしたら表舞台には出てこない「せむしの侏儒」が常に見張っている必要があるのかもしれません。「歴史の概念について」の第一テーゼを読むと、AIやビッグデータなどのテクノロジーが、根源的には常にすでに人力に頼っているのだということを、私は想い起こさずにはいられないのです。

文献

*1:トルコ人」はder Schachtürke, der Türke, der Shachautomat, der Schachspielerなどと呼ばれたという(三枝2014: 18)。

*2:アレント2005や白井2012では、ベンヤミンに関連して「せむしの小人(侏儒)」が詳しく取り上げられている。こちらもぜひ読まれたい。