まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

いわゆる「自由意志」論(1)

目次

はじめに

 今回はいわゆる「自由意志」論について書きたいと思います。前回の記事でヘーゲルの意志論についてちょろっと書きましたが、「自由意志」の概念史についてもう少し遡ってみようと思います。

 ちなみに余談ですが、先日トーマス・ピンクの『自由意志』(岩波書店)を買いました。この本は分析哲学的に叙述が進められていくので、内容を辿っていくことができ、非常に好感を持てます。第四章以降ではホッブズへの言及が非常に多くなっていますが、ピンクのホッブズ解釈も面白いと思います。

ピンクは「自由意志」について次のように述べています。

「自由意志の問題の長い歴史は、その名前のうちに表れている。自由意志という言葉は、日常生活の中で、自分の行為に対するコントロール、つまり、行為が私たち次第だということについて話す場合に、普段はあまり用いられない言葉である。それにもかかわらず、この二千年以上もの間、自身の行為を私たちが本当にコントロールできるかどうかについての問題を議論するために、西洋の哲学者たちは、まさにこうした言葉を使用してきたのだ。彼らが自由意志という言葉を選んだということは、私たちが行為をコントロールできるかどうかがなぜ重要なのか、そして、行為する仕方をコントロールすることが何を意味するかについて教えてくれる。」(ピンク [2017]、3頁)

「自由意志」は哲学史上の重大な探究テーマでした。ただしピンクは「自由意志の問題の長い歴史」それ自体にはほとんど言及しておらず、極めて近代的な意味での「自由意志」について論じています。

近代よりも前の「自由意志」を扱っているものとしては、アーレント『精神の生活』「第二部 意志論」が挙げられます。

 

いわゆる「自由意志」論

「自由意志」*1とは何か。これに答えるのは容易ではないです。とはいえ、「自由意志」を論ずるにあたって、今後も常に参照されるであろう文献があります。それはアウグスティヌスのいわゆる『自由意志論』(De libero arbitrio)という著作です*2。ここで「いわゆる」と付けたのは、これが日本語で『自由意志論』と訳されているからですが、実際には「意志の自由な選択」(Liberum arbitrium voluntatis)すなわち「選択意志」として理解する方が適切かもしれません。この本はエヴォディウスとアウグスティヌスの対話篇という形式をとっており、対話であるがゆえに、その内容は弁証法的に展開されます。

アーレント『精神の生活』の中には「アウグスティヌス意志の最初の哲学者」(アーレント [1994]、102頁)という項目があるのですが、注意しなければならないのは『精神の生活』が草稿であり、この項目がアーレントではなく、便宜的に編者によって付加されたにすぎないかもしれないという点です。アーレントが、アリストテレス使徒パウロエピクテトスらの意志論を検討していることからも分かる通り、アウグスティヌスを「意志の最初の哲学」と呼ぶことには文献学的に丹念な裏付けが必要だと思うのです。

少なくともアーレントアリストテレスのプロアイレシス(proairesis)を選択能力として読み取ったようですが、これを直ちに、自己決定するものとしての自由意志と結びつけることまでしなかった点で、非常に注意深いです。

ラテン語では、アリストテレスの選択能力は、リベルム・アルビトリウム(liberum arbitrium)である。意志に関する中世の議論においてリベルム・アルビトリウムにでくわす場合には、我々は、何か新しいことを始める自発的な力や、それ自身の本性によって規定され自らの法則に従うような自律的な能力を扱うわけではない。」(アーレント [1994]、74頁)

 (続く)

 

文献

*1:ドイツ語テクスト上の「自由意志」(liberum arbitrium)の変遷については、丑田 [1992]を参照。丑田によれば、「ドイツ語で「自由意志」の概念を本格的に考察したのは、ノートカー(ca. 950-1022)が最初である」(丑田 [1992]、82頁)が、ノートカー自身はまさにアウグスティヌス詩篇注解に基づいて、「アウグスティヌス的な人間の(自由)意志と恩寵との関係を表す考え」(同前、87頁)を述べたとされる。

*2:この著作についてのアウグスティヌス自身のコメントは以下の通り。「まだローマでグズグズしていた時、私たちは討論によって、悪がどこから来るのか探究しようと望んだ。この問題について私たちが髪の権威に服して信じている事柄を、私たちの理解するところへも、神助のもと私たちの論証しうる限りにおいて、かなうことなら理性による熟慮と論究とが至らしめるようにと、私たちは討論した。そして理性によって入念に議論して、悪は正に意志の自由決定力(liberum arbitrium voluntatis)からだけ生じるということが私たちの間で確定したゆえ、その討論の生み出した三巻はDe libero arbitrioと呼ばれている。」(アウグスティヌス『再考録』より、訳は松﨑 [1991]、18頁)。

カーネマンとヘーゲルの意志・思考論

目次

はじめに

今回は、ダニエル・カーネマンヘーゲルの意志・思考論、およびこれらの接合を試みたいと思います。

日本で普通に研究していたら通常はカーネマンとヘーゲル哲学とは接合されないはずです。僕もこのような内容を大学の紀要などに載せようとは思いませんし、もしそんなことをすれば他の研究者から叩かれることは目に見えているからです。なので、あくまでこのような異分野との接合はブログ記事のお遊びとしてお読みください*1

 

カーネマンの意志・思考論の2類型(システム1・システム2)

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』では、なぜ人はしばしば合理的な選択をしないのかが分析されており、この本に登場する二つの意思決定プロセスは有名です。

カーネマンによれば、人の意志決定プロセスには「速い思考」と「遅い思考」の二つがあります。カーネマンは「速い思考」をシステム1と呼び、「遅い思考」をシステム2と呼んでいます。

「速い思考と遅い思考のちがいは、過去二五年にわたって多くの心理学者が研究してきた。私はこれをシステム1とシステム2という二つの主体になぞらえて説明する。速い思考を行うのがシステム1、遅い思考がシステム2である。そして直感的思考と熟慮熟考の特徴を、あなたの中にいる二人の人物の特徴や傾向のように扱うつもりだ。最近の研究成果によれば、経験から学んだことよりも直感的なシステム1のほうが影響力は強い。つまり多くの選択や判断の背後にあるのは、システム1だということである。そこで本書では、システム1の仕組みおよびシステム1と2の相互作用を論じることに大半のページを割く。」(カーネマン [2014]、上31頁)

「速い思考」であるシステム1は、直感に基づく意思決定であり、これは感情を伴っています。それゆえ、システム1による判断にはバイアス(偏向)がかかっており、投資の観点から見ると、システム1は合理的に正しい判断を下さないことがある点をカーネマンは指摘しています。カーネマンの『ファスト&スロー』はこのシステム1の分析に多くが割り当てられています。

カーネマンのいうこのシステム1は、ヘーゲル意志論における選択意志と非常に近い性質を持っているように見えます。そこで次にヘーゲルの意志論を見ていきましょう。

 

ヘーゲルの意志・思考論の3類型(自然意志・選択意志・自由意志)

ヘーゲルは『法の哲学』の中で意志を自然意志、選択意志、自由意志の三つに分けています*2

ざっくりいうと、自然意志とは自然な欲求に左右される意志であり、選択意志とは感情に左右される意志であり、自由意志とは自らの思考に基づく意志です。ヘーゲルによれば、自然意志と選択意志は本当の意味では自由な意志ではなく、最も重要視されるのは自らの思考に基づく自由意志です。なぜなら権利の基本はこの自由意志にこそあるからです*3

たとえば、ヘーゲルによれば、民主主義的な選挙とは選択意志に基づくものであるがゆえに、民主主義では政治が人々の感情によって左右されていると捉えることができます。この感情による意思決定プロセスは、カーネマンの言うシステム1に該当します。システム1という速い思考は、我々の日常生活に欠かせないものですが、その結果が合理的であるということを保証するわけではありません。むしろ投資理論においては不合理な結果をもたらすのがシステム1だといえます。民主主義的な選挙がシステム1に基づく意志決定プロセスだということは、実は民主政治が必ずしも合理的であるとは言い切れないことを意味します。

<選択意志=システム1>に基づく意志決定は、日常生活のあらゆる場面で行われていると同時に、マーケティングはこの人々の<選択意志=システム1>の分析に基づいて行われています*4。例えば、A/Bテストのように、二つの異なるデザインを比較し、これらの売上への影響を統計的に分析して、より効果的なマーケティングを行うということは、別の側面から述べるならば、<選択意志=システム1>がマーケティングに利用されているということです。

 

カーネマンとヘーゲルの意志・思考論の違い

カーネマンとヘーゲルの意志・思考論では、分類の仕方が異なっていることがわかります。

まずカーネマンは「速い思考」と「遅い思考」という思考の速度に着目しました。これは、ヘーゲルには見られない点です。ヘーゲルの場合は思考の速度について触れられていませんが、ヘーゲルのいう自然意志と選択意志の方を「早い思考」とみなし、ヘーゲルのいう自由意志を「遅い思考」とみなすことはできるかもしれません。

またカーネマンの意志論を単純にヘーゲルの意志論と接合できない点もあります。カーネマンの意志論は基本的に投資理論における合理性の観点から述べられたものであり、ヘーゲルの考える合理性とは異なっているということができます。もっというと、投資理論は期待値という数値的に還元可能な指標によって分析されていますが、数値に還元できるということは場合によっては、同じ事象でもKPIのようにどこに重点を置くかによって結果の良し悪しの判断が変わってきてしまう恐れがあります。

カーネマンは意志を二つのシステムに区別しましたが、ヘーゲルの場合は三つに区別されています。ヘーゲルの意志の類型の方がカーネマンのそれよりも区別の段階が一つ多い分、質的に多様だと言えるかもしれません。カーネマンの意志論では、自然意志と選択意志との判断が区別されていないように思われるので、ここで逆にヘーゲルの意志論を持ち込んでみるのも良いかもしれません。

 

文献

*1:カーネマンの二つの意思決定プロセスは、おそらく哲学分野にとっても興味深い内容を含んでおり、最近では植原 [2017]の中で取り上げられているので参照されたい。植原によれば、哲学と科学とをひとつながりのものとして扱おうとする運動のことを自然主義あるいは哲学的自然主義と呼ぶようである。「自然主義に立つ哲学者は、哲学を科学と緊密に結びつけようとする。この世界は自然的世界であり、そこには自然を超えるものは何も含まれていないし、人間も、したがって人間の心もまた、それを構成している部分にほかならない。だとすれば、哲学が人間を含むこの世界を理解しようとする試みであるなら、どの側面についても科学の方法を用いるべきだろう。なぜなら、世界について現在われわれが手にしている最良の認識は科学によってもたらされており、その意味で自然を探究するうえで最も信頼できるのは科学の方法だからであるーー。」(植原 [2017]、1頁)。この記事ではヘーゲルの哲学と他分野の科学的知見の接合を試みるが、これはある種の哲学的自然主義の試みと言えるかもしれない。ただし、この場合「自然主義」の「自然」はヘーゲル的な意味ではない。ヘーゲル的な意味での「自然」も慣習化された「第二の自然」も、哲学的自然主義の「自然」とは区別されるべきである。ヘーゲルの「自然」については中島[2015]、163〜164頁を参照されたい。ヘーゲル自然主義については大河内 [2017]を参照されたい。ちなみにマクダウェルの「第二の自然の自然主義」(詳しくは川瀬 [2018]を参照)は、ヘーゲルの「第二の自然」と絡めて理解する必要はないように思われるが、その代わりにマクダウェルのそれとコモンセンス(常識・共通感覚)とを絡めて議論する方が生産的かもしれない。

*2:ヘーゲルの意志論について詳しくは田中 [1989]を参照。

*3:この点、詳しくは荒川 [2017]を参照。

*4:マーケティングとシステム1の関係については、友野典男が『ファスト&スロー』に付された「解説」のなかで次のように触れている。「人々の欲望を作り出し、商品を売ろうとするマーケティングの力も現代の資本主義の特徴の一つである。昔からしばしば用いられているマーケティング手法は、コマーシャルやアンカリング効果を利用した値付けから、陳列棚の配置法、限定品、お買い得、店内のBGMに至るまで、消費者のシステム1を最大限に刺激して、利用することにある。資本主義はまさに認知的錯覚の上に成り立っているのである。資本主義は幻想の上に成立するという主張は目新しいものではないが、この主張に科学的な根拠を与えたと言うことができよう。」(カーネマン [2014]、下341頁)。

ヘーゲル体系における完全性?

目次

はじめに

 今月初めてのブログ更新です。最近ブログの更新が滞っていたのは、ヘーゲルのテクストと真面目に格闘していたからです。真面目に格闘していたと言っても、正直頭が疲れるだけで全然前に進んでいないのですが、今回は思い切って書き下ろしの状態でヘーゲル哲学について書いてみます。そもそもこのブログはそういうやり方を取っているのだし。

 

ヘーゲル体系における完全性?

 さて、今回「ヘーゲル体系における完全性?」という少し妙なタイトルを付けましたが、このテーマで念頭に置いているのは、加藤先生によるヘーゲルは自身の体系を完成させなかったという主張です。

ヘーゲルには体系を完成する可能性がなかった。自己の体系についての、さまざまなイメージを思いつくままに語り続けていた。すべての学問を有機的に体系化したはずの「哲学的百科事典」の表面的な整合性を作ることができないばかりか、ヘーゲルには、自然科学の素材の増大の行きつく先を予見することなどできるはずがなかった。たとえヘーゲルが体系の記述を完成したとしても、それは根源一者が自己を対立のなかで変容させて、そこから統一を回復するという物語を、巧みに描き出すという意味にしかならない。それはせいぜい「上出来の」ファンタジーではあろう。」(加藤 [2010]、28頁)

そもそもヘーゲルの哲学が体系的に記述されているということが、ただちに完成されていることを、あるいはその完全性を意味するものではないにも関わらず、従来のヘーゲル解釈者が完成された体系ないしは体系の完全性というヘーゲル像を要求してきたことそれ自体が不当であると私は考えます。なぜなら、以下で見るようにヘーゲル自身は「どんな学問も知識も完全ではありえない」と述べているからです。

 まず「学問の体系」として叙述し続けたヘーゲルが「自己の体系についての、さまざまなイメージを思いつくままに語り続けていた」とまで言えるかどうかは疑問の余地があります。というのも、ヘーゲルは「学問とは、いやしくも学問であるならば、決して私見や主観的見解を基盤とするものでもない」(ヘーゲル [2001]、396頁)と述べているのであって、もしヘーゲルが「イメージを思いつくままに語り続けていた」のだとすれば、その行いは自身の学問観に反するからです。さもなくば、いかにして解釈者がヘーゲルの完成された体系という観念を抱くに至ったのかが明らかにされる必要があるのかもしれません。

 加藤先生が言うような「ヘーゲルが自身の体系を完成させなかった」という主張がある種のインパクトを持つのは、従来の解釈者が総じてヘーゲル体系のうちに哲学の完成を見てきたという認識を前提としているからです*1

 ここで興味深いと思われるのは、「何故従来のヘーゲル解釈者がヘーゲルの著作のうちに完成された体系を見出(そうと)してきたのか」という問題と、「そもそもヘーゲル自身が完成された体系というものを主張しているのか」という問題です。これらの問題に答えるのは簡単ではありませんが、ここでは後者の問題に多少なりとも答えてみたいと思います。

 ここで参考になるのは、ヘーゲルによる「完全性(Vollständigkeit)」の説明です。ヘーゲル法哲学講義録を元に弟子のガンスが追加した「補遺(Zusatz)」によれば、法典の完全性と関連して、ヘーゲル自身が哲学や学問体系の完全性について次のように述べています。

§216補遺「完全性とは、ある圏域に属するいっさいの個々のものがすっかり集められていることである。そしてこの意味ではどんな学問も知識も完全ではありえない。ところが、哲学もしくは何かある学問が完全でない、と人々が言うときには、彼らの考えていることは明らかに、「それが完全なものにされてしまうまでわれわれは待たなくてはならない、と言うのも最善のものがまだ見つかるかもしれないから」ということなのである。しかしこういう態度ではなにひとつ前進させられはしないのであって、幾何学もそうであるし、哲学もそうである。幾何学はそれ自身まとまった体系のように見えるが、それでもなおそこには新しいもろもろの規定が出てきうるし、哲学もなるほど普遍的理念と取り組むものではあるが、それでもやはりどんどん専門化されうるからである。」(ヘーゲル[2001]、155〜156頁)

(Hegel [1833], S.280-281.)

 ヘーゲルはいわば「梗概」として自らの哲学的な著作をいくつか刊行しましたが、その際に自身の哲学や学問体系として叙述したものは、決して「完全性」を伴うものではなく、それゆえそれが完成されたものではないことを自覚していたのであり、もっと言えば、完全無欠で完成された体系というものはあり得ないということを認識していたと言えるでしょう。というのも、完全なものを待っていてはいつまでも前進しないからです。ここでヘーゲルはある意味実践的であって、今回のブログ記事もヘーゲルの研究を完璧にしてから書こうと思ったらいつまでも記事をアップできないという認識から生まれたものです。

 以上のような認識からすると、ヘーゲル研究において重要なスタンスは、晦渋なヘーゲルのテクストと格闘しつつヘーゲルの著作をピンからキリまで調べ上げた上で完璧なヘーゲル理解を示そうとするよりは、むしろ多少荒削りでもヘーゲル哲学の輪郭を粗描していく方がヘーゲル的だと言えるのかもしれません。

 

文献

*1:浅学菲才のため、いつ頃から解釈者がヘーゲル体系のうちにその完成を認めてきたのかは知らない。が、少なくともフォイエルバッハの著作(1842〜1843年)にはすでに、ヘーゲルによって哲学が完成された旨の文章が散見される。「近世哲学の完成は、ヘーゲル哲学である。」(フォイエルバッハ [1967]、42頁)。「スピノザは現代の思弁哲学の本来の創始者であり、シェリングはその再興者、ヘーゲルはその完成者である。」(同前、97頁)。厳密にいえば、哲学史上の、あるいはドイツ古典哲学の完成者としてのヘーゲル体系と、ヘーゲル体系それ自体の完全性(あるいは完成度)とは区別されるべきかと思われるが、この点についての考察は別稿に委ねたい。

ヘーゲル『精神の現象学』「序言」における《哲学》と《科学》

目次

はじめに

今回は、ヘーゲルにおける《哲学》と《科学》について書きたいと思います。

前々回、私は「ホッブズの「哲学=科学」論」という記事を書きましたが、この記事以降も私は「哲学」と「科学」の概念史に興味関心を持ち続けており、科学哲学などの関連書籍を読んでいます。

そんな中、今回の記事は、ヘーゲルの『精神の現象学』(1807年)を読み直したらどうなるのかという試みです。

「哲学が科学に高まる」とはどういうことなのか

 科学哲学史を学びながらヘーゲルを読むと、『精神の現象学』の「序言(Vorrede)」でヘーゲルが「哲学が科学に高まる時がきている」という言い方をしている点が、私には妙に引っかかりました。

真理が存在する真なる形態は、真理の科学的な体系を措いてほかにはありえない。哲学〔愛智Philosophie〕が科学〔学問Wissenschaft〕の形式に一層近づくために、──つまり、知識〔智〕へのというその名を捨てることができ、現実的な知識であろうとする目標に一層近づくために、──努力を人々と分かとうとするのが、私の企てたことである。知識ヴィッセンとは科学ヴィッセンシャフトである、という内的必然性は、知識の本性のうちにある。そしてこの点についての満足な説明は、哲学そのものの叙述以外にはない。しかし、外的必然性にしても、個人や個人的機縁やの偶然性を別にして、一般的な仕方で考えられる限り、内的必然性と同じものである。つまり、時代が、この内的必然性の契機の現存する姿を表象する形から言えば、同じである。それゆえ、哲学が科学へと高まる時がきていることを示すことこそ、このような目的をもった試みを是認するただ一つの真の途であろう。というのは、時代はこの目的の必然性を述べるであろう、否、同時にこの目的を実現するであろうからである。

(Hegel [1807]:VI-VII、訳20〜21頁)

この箇所をざっくり理解するとこうなるでしょうか。すなわち、哲学は(他の諸科学と異なって)まだ科学の形式を備えていない(なぜなら知識が体系化されていないから)。「知識への愛」だけでは、知識は単なる寄せ集めに過ぎない。そうではなく、知識が体系化されたものとしての哲学(科学としての哲学)こそが「現実的な知識」である。「知識への愛」から「現実的な知識」への転化という目的が果たされるためには、哲学そのものの叙述(すなわち結果だけではなく過程も含めての叙述)が遂行されなければならない。

さて、ヘーゲルのテクストに内在して読もうとしてしまうと、ついつい視野が直近のドイツ哲学の内部に留まってしまいがちです*1。なので、ここでは科学哲学の本を参照してみましょう。アレックス・ローゼンバーグは「アリストテレスにとって哲学は科学を意味していた」といいます。

哲学は、アリストテレスいわく、驚きから始まる。そして、アリストテレスにとって哲学は科学を意味していた。アリストテレスは正かった。科学は、こうした驚きを鎮めるために説明を求めるのである。

(ローゼンバーグ [2011]、45頁)

ここで確認しておきたいのは、アリストテレス以降、常にすでに「哲学は科学を意味していた」ということです*2。「驚き」とはタウマゼインのことだと思いますが、今回はヘーゲルに焦点を絞りたいので、アリストテレスの〈哲学〉と〈科学〉の内容についてはここでは深く追いません。

さて、ヘーゲルが「哲学が科学へと高まる時がきている」ということができるためには、哲学と科学とが異なることが前提とされます。しかしながら、もともと哲学とは科学のことなのですから、「哲学が科学へと高まること」それ自体が、普通に考えるとそもそもおかしいわけです。

「哲学が科学に高まる時がきている」というヘーゲルの先の論法*3が成り立つのは、ヘーゲルが「智(ソフィア、σοφία)への愛(フィレイン、φιλεῖν)」としての〈哲学〉(古典的な意味でのPhilosophie、ピロソピアー、φιλοσοφία)を捨てて、「現実的な知識」としての《哲学》を目指すからです*4。そうすると、古典的な意味での〈哲学〉と〈科学〉の同一性とは違う意味での《哲学》と《科学》の同一性がヘーゲル哲学において成り立つことになります。否、もっと言うと、『精神の現象学』においては〈哲学〉の《科学》への移行がなされており、かくして〈哲学〉はもはや〈哲学〉ではなくて、《科学》としての《哲学》となるのです。(ここで便宜上、古典的な意味での哲学と科学には〈〉を付け、ヘーゲル的な意味でのそれらには《》を付けて区別しました。)

「序言(Vorrede)」は哲学的著作にとって余計なものなのか

ヘーゲルは自らの見解がいわば常識に反して受け取られることを十分に理解していました*5。そこで次のパラグラフを見ると、ヘーゲルの見解が、通常の考え方とは異なるがゆえに、ヘーゲルは「序言」を書く必要があったことが解ります。

真理の真の姿が科学性〔学問性〕に置かれるとき、──同じことであるが、真理は概念においてのみその現実存在のエレメントを持つと主張されるとき、──私は、この考えが、現代の人々の確信のなかに拡まっているとともに、極めて僭越なものとなっている一つの考え、およびその帰結と矛盾して相入れないように見えるということはよくわかっている。それゆえ、この矛盾について説明するのは、余計なこととは思われない。たとい、いまここ〔序言〕においては、この説明も、自らが反対するものと同じように一つの断言でしかありえないとしても、余計なこととは思われない。

(Hegel [1807]:VII、訳21頁)

ここの部分は、「序言」冒頭の「哲学的著作の場合には余計であるだけでなく、事柄の性質から言って適当ではなく、目的に反するようにさえ思われる」ところの一般通念としての「序言」に対する一つの解答になっています。つまり、「序言」は必ずしも余計なものではない、というのがヘーゲルなりの解答です。

次回以降で、ヘーゲルがかような常識に反して「序言」を付し、いかなる《哲学》《科学》論を展開したのかを見ていきたいと思います。(多分続く)

文献

*1:神山は「「哲学」が「学問」だとするのは、ヘーゲルの創見によるものではない」(神山 [2015]、29頁)と正しく述べているが、そこで参照されるのは(フィヒテ、カント、シェリングという)あくまで直近のドイツ哲学にすぎない。しかしながら、「哲学」が「学問」(ここでドイツ語のWissenschaftに英語のscienceの文脈を読み込むならば)だとするのを、十八世紀のドイツ哲学よりもっと以前に、すでにホッブズがずばり述べていることについては、拙稿「ホッブズの「哲学=科学」論」で論じた。

*2:ここで、おそらく「科学(science)」とはギリシャ語のエピステーメーέπιστήμη)のことであろうから、「哲学とはエピステーメーを意味していた」と言えるだろう。エピステーメーとは、ドクサ(臆見)ではない学問的知識のことであり、プラトンにとって真実在を認識する能力であった。ヘーゲルにおいても「科学」(独:Wissenschaft, 英:science, 希:έπιστήμη)はいわば「真実在」に関わる問題である("Die wahre Gestalt, in welther die Wahrheit existirt,…", Hegel [1807], S.VI.)。

*3:アーレントはこの箇所のPhilosophieを古典的な文脈の中で解釈している。「「哲学が科学へと高まる時がきた」と宣言し、哲 - 学、智への端的な愛〔philo-sophy〕を智(sophia)へと変えようと願ったのは、ヘーゲルである。このようにして、彼は自分自身に「思考することは活動なのだ」と説得することに成功した。しかし、活動こそ、この孤独な営みが決してなし得ないものである。」(アーレント [1994]、107頁)。「思考」と「活動」の関係については今はさておき(これはこれで興味深いが)、アーレントの解釈で興味深いのは、科学に高まる以前のPhilosophieを「愛智」として理解するだけではなく、「現実的な知識」にも「智(sophia)」を読み込んでいる点である。

*4:西周の「哲学」という翻訳語についての考察は、石井 [2018]を見よ。西周は当初「希哲学」という翻訳語を用いた(1861〜1870年頃)が、後に「希」を削ぎ落として「哲学」とした(1870〜1874年頃)。西が、ほかに見られるような儒学的理解に陥りがちな翻訳語(「理学」)を採用せず、これにより儒学的伝統を断ち切り、さらにヘーゲル以後の「哲学」観(「智への愛」ではないという)を咀嚼・反映させた結果、当初の「希哲学」から「希(philein)」を削ぎ落としたのだとすれば、そこには一定の合理性が認められるのである。

*5:アーレントがいみじくも指摘しているように、『精神の現象学』「序言」は、ヘーゲルによる「常識」(コモンセンス)に対する挑戦とみなすことができる。「私がヘーゲルについて述べたのは、彼の仕事の大きな部分を常識に対する絶えざる挑戦として読むことができるからである。とりわけ、『精神の現象学』の序言はそうである。」(アーレント [1994]、105頁)。「ヘーゲルが我々の脈絡で重要なのは、彼が、たぶん、他のどの哲学者よりも哲学と常識の間の内輪争いのことを公言したという事実のためだからであるが、これは彼が、天性、歴史家でありかつ哲学者の才を等しく与えられていたということによるのである。」(同前)。

イェーリングの「権利感情」論

目次

 

今回はイェーリングの「権利感情」論について書きたいと思います。

 

イェーリング『権利のための闘争』

イェーリング(Rudolph von Ihering, 1818-1892)の代表作に『権利のための闘争』(Der Kampf um's Recht)という本があります。僕はこのタイトルを見ると思わず「権利をめぐる闘争」と訳してしまいます。というのも、このタイトルがアクセル・ホネットの『承認をめぐる闘争』(Kampf um Anerkennung)というタイトルと似ているからです*1。「承認をめぐる闘争」はもともとヘーゲルの著作に出てくるものです。

 

「権利感情」と「力」

さて、イェーリングは『権利のための闘争』の中で「権利」についてどのように語っているのでしょうか。少し長いですが著作から引用してみます。

「権利の力(Kraft des Rechts)は、愛の力と全く同様に、感情(Gefühl)にもとづく。理解も洞察も、足らない感情に置き換わることはできない。だが、愛がしばしば自覚されぬままであり、それがはっきりと意識されるには一瞬をもって足りるのと同様に、権利感情も、傷つけられていない状態においてはそれが何であるかを自覚することがないのだが、権利侵害という責苦によって問い質されてはじめて、権利感情が何であるかが自覚され、真実が顕れるとともに力が示されるのである。」(イェーリング [1982]、74頁)。

(Ihering [1894], S.41-42)

ここでイェーリングは「権利感情(Rechtsgefühl)」という語をキーワードとして用いています。イェーリングは権利も愛もその「力」の源泉がどちらも「感情」にあると考えます。感情が力を誘発するのです。

「権利感情がそれでもって自己に加えられた侵害行為に対して実際に反応するところの威力が、権利感情の健全さ(Gesundheit)の試金石である。権利感情がこうむる苦痛の程度は、危険に曝されている価値をどれだけ大きいものと考えていたかを、権利感情じしんに教えてくれる。感じている苦痛を危険から身を守れという警告として受けとめず、苦痛を耐え忍びながら立ち上がらずにいるならば、それは権利感情をもたないということだ。そうした態度も事情によっては宥恕できる場合があるかもしれない。しかし、それが長続きすれば、権利感情そのものにとってマイナスにならざるをえない。けだし、権利感情の本質は行動(That)に存するのだから──行動に訴えられないところでは権利感情は萎縮し、しだいに鈍感になり、ついには苦痛をほとんど苦痛と感じないようになってしまう。敏感さ、すなわち権利侵害の苦痛を感じとる能力と、行動力(Thatkraft)、すなわち攻撃を斥ける勇気と決意が、健全な権利感情の二つの標識(zwei Kriterien des gesunden Rechtsgefühls)であるように見える。」(イェーリング [1982]、75頁)。

(Ihering [1894], S.42-43)

イェーリングによれば、「健全な権利感情」は「敏感さ」と「行動力」との二つから成ります。イェーリングは「行動力」を「攻撃を斥ける勇気と決意」と言い換えています。

確かに攻撃を受けた際に、何も対抗しないのならば、ある意味で攻撃を容認したと受け取られかねません。「健全な権利感情」を示すには、苦痛に対して「嫌なことは嫌」*2と主張する「勇気と決意」が必要なのです。

とはいえ、「健全な権利感情」は歴史的にみて常に抑圧されてきたといえるでしょう。最近では「#Me Too」という運動が起きていますが、インターネットを通じて個人が自分の意見を公開できるようになったことで、これまで抑圧されてきた「健全な権利感情」が人々の間に徐々に取り戻されつつあるといえるのかもしれません。

 

文献

*1:ちなみに同一タイトルの研究だとLudwig Siep [1974]の方が先。

*2:「何かおかしいなと思ったときに声を上げることっていうのは、次の被害者を生み出さないことにつながると思うんですよね。被害者が泣き寝入りしない社会にしたいと思っていて、嫌なことは嫌と指摘できる社会になってほしいなと思っています」(大学生 町田彩夏さん)TBS NEWS「被害女性が語った"就活セクハラ"の実態とは」2018/5/31(木)。

ホッブズの「哲学=科学」論

目次

はじめに

 先日TwitterのTLにより、隠岐さや香先生が新書を出版されるということを知りました。『文系と理系はなぜ分かれたのか』(星海社新書、2018年刊行予定)というタイトルからしてその内容が非常に気になっています。文系と理系がなぜ分かれたのかという点については、隠岐先生の本を読むことにして、今回この記事では文系と理系が分かれていなかった時代について簡潔にまとめたいと思います。

「文系」→「哲学」、「理系」→「科学」

 まず「文系と理系」という区別は、日本固有の文脈を持っているので、これを別の言葉に置き換えてみましょう。「文系」を「哲学」と置き換え、「理系」を「科学」と置き換えることによって、哲学史を遡って論じることができるように思います。今でこそ「哲学(科)」は文学部などの文系に位置しておりますが、哲学史上の哲学者が文系として活動していたかというと、全くもってそうではありません。

 18〜19世紀にかけて、例えばカント*1ヘーゲル*2のような大哲学者たちは自然科学についても論じていました*3。なので、少なくともこの時点で「文系」と「理系」とを分けるという発想はまだなかったと思われますし、むしろ両者を統一し総合することこそが重要だったと言えるかもしれません。

 もっと遡ってみると、17世紀にデカルトが『哲学原理』(1644年)で物体の運動法則について論じている(「哲学原理」第二部)のを眺めると、デカルトにとって哲学は科学だったと思います*4。またスピノザは『エチカ』で「幾何学的論証」という数学的手法を用いていました。ライプニッツ微積分の業績は言わずもがなです。

ホッブズの「哲学=科学」論

 ちなみに哲学者ホッブズにとって「哲学」とは「科学」の呼称に他なりませんでした。

(Hobbes [1651], Chap. 9, "Of the Severall SUBIECTS of KNOWLEDGE."の次ページに掲げられた表。「哲学=科学」の下位カテゴリーとして諸学が位置付けられていることが分かる。)

科学(SCIENCE)すなわち諸帰結についての知識、それは哲学(PHILOSOPHY)とも呼ばれる。

ホッブズ [1992]、148頁)

 では、ホッブズは「哲学」と「科学」について、具体的にどのように述べているのでしょうか。

「科学」

 まず「科学」について、ホッブズは『リヴァイアサン』第1部第5章「理性と科学について」で次のように述べています。

(Hobbes [1651], p.21)

(Hobbes [1670], p.23)

 このことによって明らかなのは、理性(Reason)は、感覚および記憶のように我々に生まれつきのものではなく、慎慮のように経験だけによって得られるものでもなく、勤勉によって獲得されるものだ、ということである。その勤勉とは第一に、名辞の適切な付与における勤勉であり、第二に、諸要素すなわち名辞から、名辞のうちの一つと他のものとの結合によって作られる断定へ、そして或る断定と別の断定との結合で或る三段論法へと進んで、ついに我々が当面の主題に属する諸名辞の全ての帰結に関する知識すなわち人々が科学(SCIENCE)と呼ぶところのものへと到達するための優れた秩序ある方法を得るための勤勉である。

ホッブズ [1992]、91頁)

ここでホッブズは「理性」について述べています。ホッブズによれば「理性」を勤勉によって獲得するという事は、アプリオリな生得物(感覚や記憶)でもなければ、アポステリオリな経験知(慎慮)でもないということです。ホッブズの文章を噛み砕いていうと、人が言葉の正確な用法を学び、これをもって三段論法のような論理学(これはアリストテレスまで遡ることができる)を勉強し、原因から結果について理解することで、ようやく「科学」と呼べる水準に到達できるということです。

 ちなみにここでホッブズは「慎慮」と「科学」という二つのターム*5によって、「科学」の位置付けを表現しています。「慎慮」は単に経験されただけに過ぎないものです。これが「科学」と区別されているのは、「慎慮」という経験知は未だ論証されておらず、それゆえ知が不確実なものに止まっており再現性が低いと考えられるからです。これに対して「科学」は論証された知識であり、それゆえ結果の確実性が高いものです*6

「哲学」

次に「哲学」についてはどうでしょうか。ホッブズは『リヴァイアサン』第4部第46章「空虚な哲学と架空の伝統に由来する闇」の中で「哲学」について次のように述べています。

(Hobbes [1651], p.367)

(Hobbes [1670], p.315)

哲学は、ある事物の生成の仕方から、その諸固有性Propertiesにいたり、あるいは、その諸固有性からそのものの生成の、ある可能な経路に至る、推論Reasoningによって獲得された知識であり、それは、物質と人間の力が許す限り、人間生活が必要とするような諸効果を、生み出しうることを目指しているものであると解される。こうして幾何学者は、諸図形の構成から、それの多くの固有性を見出し、そして理性によって、その諸固有性から、諸図形を構成する新しい筋道を見出し、ついには、水陸の測量ができるようになり、さらに無限の他の用途に役立つのである。同様に天文学者は、天の様々な部分における太陽や星の、上昇下降と運動から、昼夜及び年の様々な季節の、諸原因を見出し、そうすることによって彼は、時間を測るのである。他の諸科学に関しても同様である。

ホッブズ [1985]、105頁)

ここで「哲学」は「推論によって獲得された知識」だと説明されていますが、これは先に見た「科学」についての説明と一致しています。加えて「幾何学者」と「天文学者」という科学者が取り上げられていますが、彼ら科学者と哲学者とは、理性をもって法則の発見にあたっていたという点で同義だったのです。

結語

 今回はとりわけホッブズに焦点を当て、近代初期において「科学」と「哲学」とが一致していたことを示しました。さらに冒頭で述べたように、ここで「文系」を「哲学」と置き換え、「理系」を「科学」と置き換えることによって、少なくとも近代においては「文系」と「理系」とが、また「哲学」と「科学」とが分離していなかったことを論じました。

 では、「文系」と「理系」とは、一体なぜ分かれたのかー、その答えは隠岐先生の新書を待つことにしましょう。

文献

*1:カント「天界の一般自然史と理論」「自然科学の形而上学的原理」(所収『カント全集 第十巻 自然の形而上学高峯一愚訳、理想社、1966年)。

*2:ヘーゲル「惑星軌道論」(所収『ヘーゲル初期哲学論集』村上恭一訳、平凡社ライブラリー、2013年)、ヘーゲル全集2『自然哲学』加藤尚武訳、岩波書店

*3:ただしアレントは、いわば文理融合の最後の哲学者をカントまでとしており、そこにヘーゲルを含めていない。「デカルトが近代哲学の父であるように、ガリレオは近代科学の祖である。そしてたしかに十七世紀をすぎると、主に近代哲学の発展によって、科学と哲学が、それ以前よりももっと根本的に袂を分かったことは事実である。たとえばニュートンは、自分自身の努力を「実験哲学」と考え、その発見を「天文学者と哲学者」の考察にゆだねたほとんど最後の人であり、同じようにカントは、ある種の天文学者であったと同時に自然科学者でもあった最後の哲学者であった。」(アレント [1994]、434頁)。

*4:「哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します、即ち医学、機械学(Mecanique)および道徳(Morale)、ただし私の言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする究極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。」(デカルト [2010]、29頁)。ここでデカルトが哲学全体を「樹木」に喩えているのは、ライムンドゥス・ルルスの「知識の樹」の思想的影響によるものである、と三中は説明している(三中 [2017]、46頁)。

*5:ホッブズは英語だけでなくラテン語でも思考している。「多くの経験が慎慮であるように、多くの科学は学識(Sapience)である。すなわち、我々は通常、双方に対して知恵という一語しか持たないが、ラテン人は常に慎慮Prudentia)と学識Sapientia)とを区別して、前者は経験に、後者は科学によるものとしたのである。」(ホッブズ [1992]、93頁)。

*6:なおホッブズの「科学的」という言葉について、髙橋秀裕は「彼〔ホッブズ:引用者注〕が用いた「科学的」という言葉が、古代・中世的な「論証学問的」、すなわち「厳密な証明を伴った学問の性質をそなえた」という意味をももっていたことは明らかである」(髙橋 [2010]、125頁)と述べている。

アマゾンについての新刊3冊

昨日、アマゾンについての新刊を買いました。

目次

 

佐藤将之『アマゾンのすごいルール』(宝島社)

 読んでいて感心した箇所を1つ挙げるならば、アマゾンが「ストック・オプション株ではなくRSU株を支給」(174頁)しているという点ですね。

「「RSU = Restricted Stock Unit」は、日本語で「制限付き株」と訳されます。要するに自社株のことですが、「権利行使(売る)タイミングが1年後、2年後など制限される」というのが大きな特徴です。」(佐藤 [2018]、175頁)。

「アマゾンにとってRSUは、ストック・オプションよりも使い勝手の良い株だと言えるでしょう。

 第1に、評価の高い功労者に「確実に」キャッシュ価値のあるものを渡せるという点。

 第2に、評価の高い功労者に「長く」会社にとどまってもらえるという点。」(佐藤 [2018]、177頁)。

アマゾンは社員に対してRSUのインセンティブを上手く活用していますね。このようにアマゾンが短期的ではなく長期的な目線で制度設計している点は素晴らしいと思います。

 

鈴木康弘『アマゾンエフェクト!』(プレジデント社)

このツイートをした直後、閉店間際の有隣堂に駆け込み、追加で2冊買いました。

この本はタイトルが素晴らしい。

つまり釣りです。完全にタイトルに釣られて買っちゃいました。

秀逸なのは「ほぉ赤字会社の社長が温泉旅行に行くとは?(大意)」と皮肉を言われる件です。

アマゾンというのはおそらく立ち向かうべき対象ではなく、そのインフラをみんなの為に利用開発すべきツールと考える方が生産的かと思います。

 

GAFAリサーチ・ジャパン『アマゾンがわかる』(ソシム)

この本はアマゾンページでは評価星3つとイマイチですが、実際はインフォグラフィックスが綺麗だし、内容もバランス良く配分されていて、アマゾン入門に丁度良いと思いました。僕は好きですね。

 

まとめ

 

文献