まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

「権利」という翻訳語

今回は「権利」という翻訳語について書きたいと思います。

 

 目次

 

「権利」の「利」

一昨年、私は「ヘーゲルの権利論」(荒川 [2017])について執筆していました。その際に「権利」という言葉について色々調べてみたのですが、それによってふと気になったことは、「「権利」という翻訳語は、ドイツ語のRechtの訳語としてはふさわしくないのではないか?」ということでした。というのも、「権利」の「利」、すなわち「利益」の「利」に該当する意味が、ドイツ語のRechtには含まれていないということに気づいたからです。

かつて福澤諭吉は、rightに対して「権理」や「通義」という翻訳語を用いていました。「権」よりも「権」の方がまだ訳語として筋が通っていると思います。

しかし、「権利」よりも「権理」の方が適切だということを説明するためには、「理」の字についても十分に考察を深めなければなりません。儒教思想に通暁していた西周には、このことが十分認識されていたと言えるでしょうし、じじつ西周は「理」の字について何度か説明をしています。*1

もっとも私が論じるまでもなく、「権利」という翻訳語が適切ではないということはすでに先行研究にて示されておりました*2

 

翻訳語としての「権利」以前/以後

「権利」という語は、rightなどの翻訳語として用いられる以前に、すでに中国の古典において「権勢と利益」という意味で用いられていました(市原 [2010b])。

「是故権利不能傾也、群衆不能移也……。」(『荀子』巻第一 勧学篇第一)

「大史公曰、語有之以権利合者、権利尽而交疎。 」(『史記』鄭世家 第十二 賛)

このように「権利」という語は、rightの翻訳語として用いられるずっと前に、「権勢(power)」と「利益(interest)」という意味で用いられていたといえるでしょう。

では、「権利」という言葉をrightの翻訳語として使い始めたのは、一体誰なのでしょうか。

rightの訳語として「権利」や「権」を使用した例は、漢語訳『万国公法』(ウィリアム・マーティン=丁韙良訳、1864-1865年頃)*3にみられるそうです。そしてそれを日本明治の啓蒙知識人が転用したといわれています。

日本人による「権利」の最初の使用は、津田真道訳によるシモン・ヒッセリング著『泰西国法論』(1866年)に見られるようです*4。この翻訳書の「凡例」において津田は「ドロワ〔仏: droit〕ライト〔英: right〕レグト〔蘭: regt〕」について次のように説明しています。(ただし文字が読み難く書き起こしが面倒なので、本書からの引用は画像で示します。)

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(上の画像は国立国会図書館デジタルコレクション - 泰西国法論. 巻1から)

 『泰西国法論』の「凡例」では、「権」の一文字だけが登場し、「権利」の二文字は用いられていません。同書で「権利」がはじめて登場するのは、以下の部分です。 

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上の画像の3行目の「人民の権利平安を保護を可き事」という箇所に「権利」の使用が確認できます。とはいえ原語を確認していないので、この「権利」がregtの訳語かどうかは注意が必要です。私の直観的な推測に過ぎませんが、「人民の権利平安」はSalus populi*5のことを意味しているのかもしれません。

 

また津田真道と同時代に「権利」の二文字を使用した例は、加藤弘之『立憲政体略』(1868年)にもみられます(市原 [2010b])。

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(上の画像は加藤弘之『立憲政体略』近代書誌・近代画像データベースから)

 

ここで一旦、西周の「権利」に注目してみましょう。

大野達司は、西周功利主義に依拠した「人世三宝説」*6で、rightを「権利」とした、と述べています(大野 [2016]、11頁)。西による「権利」の使用例をみてみましょう。

「政府という会社は他の会社をも管轄するの権利を有す。」(人世三宝説5)

「然り而して三宝の道学に在ては人世社交を認めて個々人々交互に同一権利を有するものとす。」(「人世三宝説」7)

上の2つの引用文を見ると、「政府」の権利と「個々人」の権利の2つが出てきます。一見すると「政府が権利をもつ」という西の主張は、よくわかりませんね。「政府」の権利があるとすれば、それはright(権利)ではなくpower(権力)ではないかという気がします。現代においても「権力」の「権」(例えば立法権の「権(Gewalt)」)と「権利」の「権」(所有権の「権(Recht)」)は混用されるのが通常ですが、西周は「権利」を「権力」として用いているのでしょうか。私にはよくわかりませんが、少なくとも鈴木修一先生は、この箇所を解釈して、西周は「権利」が「義務」の意味で使われているように思われると述べています。

「政府という会社は三宝のすべてを貴重増進するのを保護することを目的として設けられたのだから、「此由縁ヲ以テ」「他ノ会社ヲモ、管轄スルノ権利ヲ有スルナリ、譬ヘバ貨殖ノ会社モ、工業ノ会社モ、教法(=教門)ノ会社モ、三宝保護ノ権義ニ渉ル丈ノ所ニテハ、他ノ会社ヲ、管理スヘキノ義務アルナリ」(同右)と言われるが、少々解りにくい。ここに「権利」「権義(=権利義務)」「義務」ということばが出てくるが、「管轄スルノ権利」が「三宝保護ノ権義」となり、「管理スヘキノ義務」となるに至って、「権利」と「義務」ということばが、同じ意味で無差別に使用されているが、ここではむしろいずれも「義務」の意味で使われているように思われる。そうでないと、保護することが政府の機能である以上、それを義務でなく権利とすることは、政府の統制機能を強め、保護機能を逸脱してしまうことになるだろう。もっとも、当時の明治専制政府は、それを権利として行使し、殖産興業をはかり、富国強兵化を目指そうとしていたことから、現実は権利だったのかもしれないが。」(鈴木 [2005]、32〜33頁)。

西周が生きていた当時、明治啓蒙知識人たちにはハーバート・スペンサーの社会有機体説や社会進化説、J.S.ミルのいわゆる「功利主義」が受容されつつあり、実際にJ.S.ミルの『利學(Utilitarianism)』*7を翻訳していた西周としては、「権利」という翻訳語によって、儒学においてネガティブに捉えられていた「利」*8をポジティブなものへと転化しようとしていたのではないかと考えられます。

ちなみに「利」という言葉で観念されるのは、「利益(interest)」という意味と「功利(utility)」という意味の2つがありますが、西周が「権利」という言葉を用いた際に、「利」のなかに込めた意味はinterestとutilityのどちらでしょうか。おそらく両方でしょう。まず「人世三宝説」には「私利(self-interest)」の追求と、社会目的としての「公益(public interest)」が登場しますので、西が「利益(interest)」の意味を意識していなかったとは言い切れないでしょう。そして同時に、大野が指摘するように、西は功利主義的な意味での「利」を観念していたでしょう。

ここで「権利」の「利」の字に対する私の違和感を解消する手がかりとして、功利主義的な意味での「利」に注目してみます。功利主義における「利(utility)」には、「政府」すなわち統治の観点が入ってきます。

「効用原理(principle of utility)とは、その利害が問題となる人々の幸福を増加させる見込みがあるか、もしくは減少させる見込みがあるかどうかに基づき、[…]すべての行為を是認ないし否認する原理である。すなわち、私の言うすべての行為には、私的な諸個人のすべての行為だけでなく、政府のすべての政策もが含まれる。」(ベンサム [1967])。

ここではベンサムの「功利原理」を引きましたが、「政府のすべての政策」をも含意する「功利原理」は、おそらくJ.S.ミルにも多少違った形で引き継がれていると思われます。

このように「権利」の「利」を、中国古典に見られる「権勢と利益」の系譜ではなく、功利主義の系譜に位置付けると、あらためて違った見方ができるのではないでしょうか。

 

「権利」の「権」

先に述べたように、私は「権利」の「利」の字に対して、翻訳語として違和感を覚えていたのですが、最近は「権利」の「権」の字にも違和感を覚えるようになりました。

「権利」の「権」はもともと「権勢」の「権」すなわち「力(power)」を意味します。しかし、柳父章は「rightは力ではない」(柳父 [1982]、161頁)と述べているのです。もし柳父が指摘するように「rightは力ではない」のであれば、「権利」の「権」は翻訳語としてふさわしいのかという疑問が生まれます。

「権」は、例えば「君主権」「立法権」「統治権」の訳語として用いる場合にはふさわしいと言えるでしょう。なぜならこれらの「権力(英語のpower、ドイツ語のGewalt)」はまさに「力(power/Gewalt)」に他ならないからです。

このように「権」という言葉は、「権力」の「権」としてはふさわしいと言えますが、では「権利」の「権」としてはふさわしいと言えるのでしょうか。

この点を考察するためには、我々は「力(power/Gewalt)とは何か」について考える必要があると思いますし、また「権利」の概念史に遡って考える必要があると思います。

そこでまず手引きとして、西欧近代における「権利」の用例を見ていきましょう。

 

以下の記事に続く。

sakiya1989.hatenablog.com

 

文献

*1:西周「尚白箚記」及び「理ノ字の説」。

*2:詳しくは、柳父 [1982]、大野 [2016]を参照せよ。

*3:Henry Wheaton, Elements of International Law, 1836.

*4:市原 [2010b]。ちなみに細かい点を指摘しておくと、市原は「「権利」という言葉が日本語のなかに登場するのは幕末から明治維新にかけての頃である。フィッセリング口述・津田真一郎(真道)訳『泰西国法論』(初版 1866)の「凡例」のなかで用いられたのがもっとも早い例として知られている。」(市原 [2010a]、16頁)と述べているが、私見では『泰西国法論』(明治八年=1875年、文部省)の「凡例」のなかで用いられていたのは「権」の一文字であって、「権利」ではなかった。この点では、市原自身による次の説明の方が正確であると思われる。「日本における近代的「権利」の使用例としては、「権」という一語を使っている例ではあるが、ヒッセリング著・津田真道(真一郎)訳『泰西国法論』(初版1866年)の「凡例」における用例が先にあ」る(市原 [2010b])。

*5:"Salus populi suprema lex." Cicero, De legibus, 3.8.

*6:西のいう「三宝」とは「健康(マメ)」「知恵(チエ)」「富有(トミ)」の3つのことである。「人世三宝説」(『明六雑誌』第三八号、明治八年=1875年)の読解については、後藤 [2000]や、菅原 [2002]をみよ。

*7:原著は1861-63年出版。西周訳は1877年出版。

*8:「利によりて行へば恨み多し」「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る」(孔子論語』)

通俗の弁証法 あるいはカント・ドイツ通俗哲学・西周

目次

 

はじめに

小谷英生さんが博論出版に向けて準備をしているようだ。

 小谷さんはカントの専門家だが、ドイツ通俗哲学についてものすごくよく調べている。小谷さんの博論が出版されれば、ドイツ通俗哲学の必須参照文献になるはずだし、ドイツ通俗哲学が明らかにされることによって、ライプニッツ=ヴォルフ学派の講壇哲学を自覚的に継承したカントの批判哲学の独自性がよりいっそう際立って見えるようになるだろう。この辺りに小谷さんの博論出版の意義があると個人的には理解している。

出版タイトル案を一つ挙げるならば、『ドイツ通俗哲学の思想圏ーカント批判哲学の黎明期ー』とかどうでしょう。コモンセンスをタイトルに入れるセンスが、僕にはない。

 

ドイツ通俗哲学 ガルヴェとカント

さて、今回はドイツ通俗哲学についてざっと調べてみた(30分ぐらいで)。

まず「通俗的」という言葉について。ガルヴェは「通俗的」について次のように述べている。

「私は通俗的という言葉を二重の意味で受け取る。通俗的に書かれた本とは、学者のみならず広く大衆にとって理解しやすく大衆の気にいる本である、あるいは民衆の低い層向けに書かれその理解力に適した本である。」ガルヴェ『論議の通俗性について』(渡辺 [1976]、446頁)。

つまり、通俗化には、内容のレベルを落とさずにわかりやすくしたものと、内容のレベルを落としてわかりやすくしたもの、という二重の意味がある。このようにガルヴェは考えた。したがって、ドイツ通俗哲学とは一種の啓蒙活動といえるかもしれない。ある事柄が通俗化されることで、広く大衆が理解できるようになれば、それはそれで素晴らしいことである。

啓蒙とはやや異なるが、翻訳にはある種の通俗化の精神が必要だといえる。ガルヴェは、アダム・スミス国富論』ドイツ語訳の最初の訳者であり、またファーガソンの著作を翻訳した。ガルヴェがかなり難しい外国の本をドイツ語に翻訳し民衆が読めるようにした功績は大きい。この意味で、ガルヴェはスコットランド哲学をドイツの民衆に向けて通俗化したと言える。

ちなみに、私見によれば、通俗化は、ある程度一般化すると逆転現象が起こる。民衆がわかりにくいものを受け入れず、わかりやすさを求めるようになるのだ。これすなわち通俗の弁証法Dialektik der Popularisierungである*1。健全な理性が、いつの間にか民衆の感性の奴隷となる。学校の教師も同じかもしれない。わかりにくい教師は糾弾され、わかりやすい教師が重宝される。最近の日本の出版物を見ると「これでわかる〜〜」とか、とても「通俗的な」ものが多いように感じられる。テレビ番組の「池上彰の〜〜」も通俗的だ。 日本の教養番組とはいわば通俗番組なのだ。

カントによると、形而上学という学の進歩を考えると話は別である。カントは「通俗的な」やり方に限界を感じざるを得なくなり、その結果、カントが『純粋理性批判』において採用したのは「講壇的な」やり方だったという。

「批判は学としての基礎的形而上学を促進するために予め必然的になされるものであり、この形而上学は必然的に独断的に、もっとも厳密な要求にしたがえば体系的に、したがって講壇的に schulgerecht通俗的にではなく)遂行されねばならない。」カント『純粋理性批判』第二版序文(小谷 [2015]、10頁)。

ドイツ通俗哲学の存在を現代の我々に伝えているのは、ドイツ通俗哲学者の著作それ自体というよりも、むしろカントの記述によるものである。カントの批判哲学は哲学史に名を残したが、ドイツ通俗哲学はほとんど忘れ去られた。しかし、講壇的に遂行されたカントの批判哲学は、当時はほとんど理解されなかった。 

 

西周の通俗性

ところで、通俗哲学を西周の話に引きつけると、西は日本の通俗哲学者だといえるかもしれない。例えば、西の講義録である「百学連環」のなかで、西は「自在(liberty)」を説明する際に、魚が自由に泳ぎ回る例を用いて、通俗的に説明している*2

「西洋も古昔は皆演繹の學なりしか、近來總て歸納の法と一定せり。今物に就て眞理の一二を論せんには Politics 政事學なるあり。其中一ツの*3眞理は liberty 卽ち自在と譯する字にして、自由自在は動物のみならす、草木に至るまて皆欲する所なり。譬えは茲に魚あり、之を一ツの小なる溝に育ふ。然るに今其溝と他の川河と相通せしむるときは、魚尚ホ其小なる溝に在ることを欲せすして必す他の廣き川に逃れ出るなり。又草木の枝の既に延んとする所に障りあるときは、必す其障りなるものを避けて他に延ひ出るなり。」「百學連環」第39段落第16文~21文、下線引用者(山本 [2016]、292頁)。*4

西洋の言葉を説明するにはある程度の通俗化はやむなし、ということだったのかもしれない。しかしながら、西による魚が泳ぐ例を注意深く読んでみると、「障り」という、「自由」にとって重要なキーワードが浮かんでくる。実は「障り」というのは政治哲学者ホッブズが「自由(liberty)」を説明する際に用いたキーワードなのである。

「自由(liberty)とは、このことばの固有の意味によれば、外的障碍が存在しないこと(absence of external impediments)だと理解される。」(ホッブズ [1992]、216頁)。

西は「自由」を説明する際に泳ぐ魚というわかりやすいイメージに訴えてはいるが、魚が「障り(impediment)」を避けて泳ぐという説明は、「自由(liberty)」の本義に照らしても適切なのである。 

 

文献

*1:すいません、こんな言葉ありませんw。

*2:西の通俗的な説明は「演繹を猫とネズミに譬える」(山本 [2016]、276頁)ところにも見える。

*3:原文ママ。「無二の」ではないか?

*4:この部分はウェブでも読める。

大学とはメディアなのか

 前回の記事で大学についてちょろっと書いたので、久しぶりに吉見俊哉『大学とは何か』(岩波新書、2011年)を読み直してみました。大学の歴史についてとてもコンパクトにまとまっていて、とても820円で買える内容とは思えないほど素晴らしいです。

 僕がこの本を読んで大学について再度学んだことは多いです。しかしながら、「大学とは、メディアである」という吉見氏の結論だけは、どうにも解せないのです。

「大学とは、メディアである。大学は、図書館や博物館、劇場、広場、そして都市がメディアであるのと同じようにメディアなのだ。メディアとしての大学は、人と人、人と知識の出会いを持続的に媒介する。その媒介の基本原理は「自由」にあり、だからこそ近代以降、同じく「自由」を志向するメディアたる出版と、厭が応でも大学は複雑な対抗的連携で結ばれてきた。中世には都市がメディアとしての大学の基盤であり、近世になると出版が大学の外で発達し、国民国家の時代に両者は統合された。そして今、出版の銀河系からネットの銀河系への移行が急激に進むなか、メディアとしての大学の位相も劇的に変化しつつある。」(吉見 [2011]、258頁)。

メディアとは媒介のことです。大学が「人と人、人と知識の出会いを持続的に媒介する」がゆえに、大学とはメディアであるというわけです。

 言い得て妙ですが、個人的には、大学とメディアを一旦区別して、(良くも悪くも)大学はメディアと一蓮托生なのだと言った方が良さそうな気がします。日本の大学は岩波書店というメディアを支え、また支えられてきました。中央公論や世界といった論壇メディアもまた然りです。

 もし吉見氏の述べるように図書館や劇場、広場といった場所や空間がメディアであるということは、かつて近代市民社会の世論を形成する社交場としての役割を果たしたコーヒー・ハウスやカフェはメディアであったと言えそうです。このような主張は比喩的で興味深いのですが、しかしメディアの概念がやや広がりすぎているように思います。なにせ「人と人、人と知識の出会いを持続的に媒介する」というだけなら、どんな場所でもメディアになり得ますから。町の商店街でも、井戸端会議でも、出会い系チャットでもメディアになり得ます。なので、試しにこう考えてみましょう。メディアを支えるのはテクノロジーであると。

へーリッシュ『メディアの歴史』(法政大学出版局、2017年)という本があります。

この本の目次を参考にすると、例えば「ノイズ、声と像の生成、文字の発明、活版印刷、新聞雑誌・郵便、写真、録音、映画、ラジオ、テレビ」などがメディアの歴史として取り上げられています。活版印刷や、新聞雑誌、写真、録音、映画、ラジオ、テレビは、何らかの知識・情報を媒介するテクノロジーに支えられています。

 もし吉見氏の述べる通り大学がメディアなのだとすれば、大学というメディアの中で、教員と学生が文字や印刷物、写真、映像音声といったメディアを通じて知を媒介しているのだということになります。そうすると、大学という大きなメディアの中に、個別のメディアが存在するという入れ子構造になります。この入れ子構造こそが、何だか落ち着きが悪く、僕が腑に落ちない理由です。なので、個人的にはメディアという語をもう少し限定して使いたいです。メディアとは媒体ですが、それは何らかのテクノロジーに支えられており、道具のようなものだと思います。

 コミュニケーションあるところにメディアあり。この「はてなブログ」もメディアですし、Mediumもメディアですし、noteもメディアです。メッセージや写真を発信し、見知らぬ人と人とを媒介するTwitterFacebookのようなSNSは、現代の代表的なメディアです。Youtubeのように大学の講義をコンテンツとしてネットで共有できるプラットフォームもまたメディアだと言えます。これらが全てメディアなのは、そもそもインターネットが本質的にメディアだからです。スマートフォンの普及とそのモバイルデータ通信の利用によって、今、メディアはとても広がっているのです。現代とはメディアが遍く存在する時代であり、陳腐な言葉で言えばユビキタスの時代です。

 このような状況下で、「大学とは、メディアである」という吉見氏の結論は、大学というものを、大学の固有性を、大学の種差を説明していると言えるでしょうか。

 ここであえて述べるならば、僕にとって、大学とは教育のサークル*1・コミュニティ*2であり、知の制度的空間です*3

 文字や印刷物、映像などのメディアを媒介として伝達されるのは、何らかの情報です。大学においては、教師の所有物である知の情報、知の技法が、そのようなメディアを通じて人々に受け継がれます。これは教師の知的財産を譲渡したと言えます。教科書や書籍は、教師の知的財産を外化したものです。ただしデジタル化とインターネットの普及によって、この点での独自性は薄れています。

 他方で、近年、大学の危機が叫ばれているのは、大学に市場経済システムが導入されたからです。大学は研究によって、知の遺産を拡大再生産しなければなりません*4。しかし、知の遺産の拡大再生産は、時とともにその生産性を減らしていきます(逓減の法則)。生産性の低い分野に見切りがつけられるようになると、その分野によっては知の遺産の単純再生産さえもままらなくなって来るでしょう。

 先に述べた通り、大学がメディアと一蓮托生であり、現在最も普及的なメディアがインターネットになりつつある以上は、大学はインターネットというメディアを媒介として生き残っていくことになるかもしれません。 

文献

*1:古典ギリシアのエンキュクリオス・パイデイアを念頭に置いている。

*2:大学がコミュニティであるがゆえに、移動が可能である。中世イタリアの大学(教師と学生のウニベルシタス)は自治都市を移動できた。

*3:ちなみに綾井によれば、これまでに「メディアとしての大学(吉見氏)」「知的組織体としての大学(松浦氏)」「古典的学問観の担い手としての大学(金森氏)」という3つの大学像が示されてきた(綾井 [2013]、190頁)。

*4:大学が研究中心という考え方はいわゆる「フンボルト理念」あるいは「ベルリン・モデル」によるものだが、最近ではフライブルク大学パレチェク教授によってその神話性が指摘されているようだ。詳しくは、潮木 [2007]をみよ。「神話」とはいえ、「フンボルト理念」が後にアメリカや日本の大学に対して影響を与え続けてきたことは疑いようがない。

大学の図書館は重要な存在

Twitterで以下のエントリーが流れてきました。

bonotake.hatenablog.com

この記事をきっかけに、あらためて冨山和彦さんの提言を読んで見ました。

冨山氏が大学をG型(グローバル型)とL型(ローカル型)に分けよと提言したのが2014年です。L型大学とは、要するに大学を専門学校か職業訓練校にしてしまえという提言として私は受け取りました*1

上のリンク先でbonotakeさんは冨山氏が提唱する「職能教育のレベルが低すぎる」と述べています。冨山氏の提唱する「実践力」ある教育例として挙げられているのは「弥生会計ソフトの使い方」(その前に大原簿記学校かTACに行け!)「道路交通法や大型二種免許の取得」(大学ではなく自動車学校に通え!)「工作機械の使い方」(それは工場で教えてもらえ!)などです。私も「こんなの本人を現場に3ヶ月もぶち込んどけば(よほど筋の悪い奴じゃない限り)すぐ覚えるんじゃないか」と思うような内容でした。わざわざ大学でやることですらないです。それだったらピーター・ティールが推奨するように大学を辞めることを応援する方がまだ理にかなっています。

また個人的には、G型とL型という二分法がもはや陳腐化した言説と化しているように思います。冨山氏のいう稼ぐ力が重要なのは理解しますが、G型とL型に分けることが、稼ぐ力を養うための適切な解だとは思えません。東京大学を中心とした国立大学をG型、他の大学をL型にするという発想は、結局のところ、既存の大学ヒエラルキーの観念を無自覚のうちに引き継いでしまっており、大学改革にすら値しない言説だと思います。どうせなら地域空間で区別するのではなく、職能的にG型(ジェネラル型)とP型(プロフェッショナル型)で区別する方がすっきりします。

 

ところで、私は最近、西周について調べています。西周の文献は、そのあたりの本屋には基本的に売っていません。大久保利謙編『西周全集』(全四巻揃い)は古書店で買うと10万円します(「日本の古本屋」調べ)。書籍を買うのに10万円は、誰でも手軽に買える値段ではないですよね。

しかし、大学図書館に行けば、西周全集が読めるのです。他の文献もありますし、デジタル化されていない紀要論文も読めます。もちろん学費は10万円の書籍を買う以上にもっとかかりますが、大学図書館でしかアクセスできない知の集積というものがあります。本当は全てデジタルデータ化されていれば良いのですが、今のところそうはなっていません。

なので、西周について調べる中で、私は大学図書館の重要性を思わず意識せざるを得なくなったのです。もちろん西周について研究したところで、稼ぐ力はつかないかもしれませんけれども、大学の存在意義というのは、冨山氏の考えるような稼ぐ力をつける場というところにあるのではなくて、むしろ冨山氏がL型大学から排除しようとしている学知を保護するところにあるのではないかと思うのです。

ちなみに英語のScienceやドイツ語のWissenschaftは日本語で「科学」や「学問」と訳されますが、これらの原義は「知ること(羅: scientia、独: Wissen)」にあるわけです。「科学」や「学問」が「知ること」であるならば、大学とは「知ること」を行う人々の「団体(universitas)」であるというのが本義です。

*1:大学がサイエンス(学)とアート(術)の場であるとするならば、L型大学はサイエンスを削ぎ落としてアートだけを残すということになる。ちなみに冨山氏は福沢諭吉を援用して、「L型は、福澤諭吉の「学問のすすめ」に立ち戻るべきだ。諭吉が簿記・会計を学べと書いていることを忘れていないか。実学こそ、教養だ。大学人はリベラルアーツの背景も意味も理解していない。」と述べている。実際には「実学」も「教養」も時代と地域によってその意味が変化している。例えば、「教養」には、労働を通じて形成されるドイツ的な意味での「教養(Bildung)」と、日本の旧制高校教養主義における読書を通じた人格形成としての「教養」などがあると思われるが、もし冨山氏のいうように「実学こそ、教養だ」ということになれば、L型大学はドイツ的な「教養」(これは、ヘーゲルが考えたような、労働を通じての陶冶である)を目指していると言えるかもしれない。しかし、少なくとも「リベラルアーツの背景も意味も理解」するために「立ち戻るべき」なのは、福沢諭吉という日本の「民」間の、すなわち私塾の先生が書いた『学問のすすめ』ではなく、ヨーロッパの伝統における自由七科(これは文法学・修辞学・論理学の3科と算術・幾何・天文学・音楽の4科から成る)であろう。

西周「百学連環」とencyclopedia

最近、「西周賞」というものが創設されました。

応募資格は40歳以下の若手研究者で、「ひろく西周にかかわる学術論文」というテーマで募集しています。締め切りは平成30年7月20日(必着)。賞金は10万円です。

www.tsuwano.net

僕はこの西周賞の募集を見て、すでに西周(1829-1897)*1について調べ始めています。半分ぐらい本気で書いてみようかなという感じです。

とりあえず書店で手にとって買えた文献は、山本貴光『「百学連環」を読む』(三省堂、2016年)でした。

山本さんの本を読むと、途中から西周の「百学連環」について学んでいるのか「ウェブスター英語辞典」について学んでいるのか分からなくなってきます(笑)*2

育英社での西周の講義を弟子の一人である永見裕が筆記したものが「百学連環」と呼ばれているのですが、この「百学連環」というタイトルは西洋のencyclopediaからきています*3西周ギリシア語の語源に遡り、「円環」(kuklos)と「子供」「教育」(paidos)という語を意識して、「英国のEncyclopediaなる語の源は、希臘のΕνκυκλιοζ παιδειαなる語より来りて、即其辞儀は童子を輪の中に入れて教育なすとの意なり」*4と述べています。

ところで、encyclopediaについて考察する際に、西洋哲学史上重要なものとして真っ先に思いつくのは、ディドロダランベールの手によって編集された『百科全書』*5と、ヘーゲルの『エンチクロペディー』*6です。

ディドロダランベールの『百科全書』は複数の文化知識人の書き手による記事の集大成という性格を持っていますが、これに対して、ヘーゲルの『エンチクロペディー』は知識が体系的に記述されている(そしてこれこそがWissenschaftである)点が特徴的です*7西周は一般的には明治の啓蒙思想家と紹介されており、この点で前者すなわちフランスの啓蒙思想家に接点があるように見えます。が、しかしながら、「百学連環」の体系性という面に着目すると、西周が思想的に近いのはむしろ後者すなわちドイツの哲学者ヘーゲルであるような気がします*8

もっとも西周が学問の体系を重視するようになったのは、西周がオランダに留学し学んだライデン大学のフィッセリング*9教授による影響が強いと思われますが、この辺りをもう少し調べてみなければと思う次第です*10

 

文献

*1:「日本近代哲学の父」とも呼ばれる明治期の重要な啓蒙思想家。最初に「哲学」の語を用いた学者として知られる。西曰く、他に「理性(reason)」「悟性(understanding)」「感性(sensibility)」「覚性(sense)」「演繹(deduction)」「帰納induction)」「観念(idea)」「命題(proposition)」「主観(subject)」「客観(object)」「総合(synthesis)」「分解(analysis)」「実在(being)」などの訳語を造語した。西周の用いた訳語の列挙について、詳しくは小泉 [2012]をみよ。

*2:小玉齊夫によれば「Noah Webster による『A Dictionary of the English Language』の初版は1828年であるが, 西周が依拠したのは, おそらく, Ch. A. Goodrich 及び N. Porter によって増補改訂された1864年版である」(小玉 [1986]、57頁)。

*3:この点、詳しくは渡辺 [2008]をみよ。

*4:西周「百学連環」『西周全集』第四巻、11頁。

*5:正式なタイトルは『百科全書、あるいは学問と技芸・工芸の総辞典』である。L'Encyclopédie, ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers, par une société de gens de lettres. 1751-1772. 逸見 [2006]も参照のこと。

*6:G.W.F. Hegel, Enzyklopädie der philosophischen Wissenschaften im Grundrisse. 1817.

*7:「哲学体系をこのように「エンチュクロペディー」として表す仕方は、近代ドイツ哲学においてひとつの主流であったと言えるが、ヘーゲルの右の定義にも示唆されているように、この構想はしばしば、フランスの百科全書 百科全書 アンシクロペディに代表されるような知の集合体(Aggregat)を構築するプロジェクトへの批判を含んでいる。周知のように〈エンチュクロペディー〉という語は〈知の円環〉を意味するギリシア語に由来するが、この言葉に関連させていうなら、百科全書と近代ドイツの哲学的エンチュクロペディーとでは、〈円環〉という言葉のもとで理解される意味が決定的に異なる。すなわち、百科全書において円環が、諸学問の対象や方法を委細を尽くして網羅する(einschließen)という、内容的な完結性を表す意味をもつとすれば、カントやヘーゲルたちが試みた哲学的エンチュクロペディーにあって、円環は、広汎な哲学的諸学問の内容をそれらの「根本概念」に限定し、概略ないし輪郭(Grundriss, Umriss)という形で表すという、形式に関わる意味をもっている。この形式に関わる意味として何より、〈全体が部分に先立つ〉という体系固有の概念構造が前提におかれていることはもはや言うまでもない。」(阿部 [2018]、98〜99頁)。この後に続けて阿部はエンチュクロペディーの「教授法的な視座」についても説明しているので、ぜひ参照されたい。

*8:この点は井上 [2017]も参照のこと。井上は、西周が常にヘーゲル、とりわけ彼の『歴史哲学講義』を意識しつつも、西周ヘーゲル評価が徐々に高評価から低評価へと移り変わっていると分析している。ちなみに「性法」とは「自然法」のこと、「利」はミルのいわゆる「功利」のこと(西周は1877年にジョン・スチュワート・ミル"Utilitarianism"功利主義)を『利学』というタイトルで翻訳出版している)。西周津田真道とともにフィセリング教授から性法(自然法Natuurregt)・万国公法(国際法Volkenregt)・国法学(Staatsregt)・制産之学(経済学Staathuskunde)・政表之学(統計学Statistiek)の五科を体系的に学んでいる(渡部 [2008]、24頁)。

*9:Simon Vissering, 1818-1888. 長尾龍一「フィセリングと自然法」も参照のこと。

*10:渡部は「百学連環」の体系よりもむしろ分節性に着目している。「一般に「百学連環」は西洋学問を体系的に紹介したと言われる。確かにそれは間違ってはいない。だが注意しなくてはならないのは、西が力点を置いているのは体系の包括性ではなく、むしろ分節性である。「結びついている」というよりも「切れている」ことの重要性である。」(渡部 [2008]、32頁)。

ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』はシュールな思考の本だ

今日、オリックス推しプロ野球評論家比較政治学朝鮮半島地域研究で有名な木村幹(@kankimura)先生がTwitterで次のようにつぶやいているのを見かけました。

 確かに歴史学者が頭の中で「ドラえもん」の主題歌を流して落ち着かせている光景を想像するだけで、極めて「シュール」だと言わざるを得ません。

日常的には「奇妙なこと」を意味するものとして使われているこの「シュール」という言葉は、元々はアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスムsurréalisme)」宣言(1924年)に端を発するフランスの芸術運動の略であり、例えば、無意識下でしか起こり得ない奇妙な世界を描いた絵画はシュルレアリスム絵画と呼ばれています。その意味で、木村先生が述べたような光景は「シュール」だと言えます。

僕が今読んでいるヴィトゲンシュタインの『哲学探究』という本もまた極めてシュールな思考に富んでいます。一例を挙げると、ヴィトゲンシュタインが、道で出会った人々がみな痛みを抱えていると想像する一節がそれです。

391 もしかしたらこんなことが想像できるかもしれない(といっても、簡単なことではないが)。つまり、道で出会うどの人も、ものすごい痛みをかかえているのだが、痛みをうまく隠している、と。ここで重要なのは、うまく隠していることを私が想像しているにちがいないという点だ。つまり軽々しく私が、「あ、あの人は心の痛みをかかえてる。けれどそのことはあの人のからだとどんな関係があるんだろう!」とか、「そのことは結局、からだにはあらわされてないぞ!」などと言わないという点である。ーそしてもしも私がそのことを想像するならー私はなにをしているのだろう? 私は自分になにを言っているのだろう? 道で出会う人たちをどんなふうに見ているのだろう? たとえばひとりの人をじっと見て、「そんなにひどい痛みをかかえているのに、笑うなんて、むずかしいにちがいない」などなどのことを想像をしているのだ。いわば私は役を演じているのである。ほかの人が痛みをかかえているかのように、ふるまっているのである。私がそのようにふるまっている場合、私は……と想像している、と言われたりするわけである。」(ヴィトゲンシュタイン哲学探究』兵沢静也訳、岩波書店、2013年、230頁、強調は原文ママ

ヴィトゲンシュタインの「想像」はあくまで仮定の話ですが、ヴィトゲンシュタインの想像する内容が極めて「シュール」だと思いました。この本には他にもシュールな思考がたくさん繰り広げられています。ヴィトゲンシュタインヤバイ…。

ヴィトゲンシュタインはかつて「人は語り得ないことについては沈黙しなければならない」*1と述べておりましたが、晩年ライフワークとして推敲し続けた『哲学探究』にはおよそ「語り得ない」であろうことがたくさん書かれています。その意味で、『論理哲学論考』と『哲学探究』は相互補完的な役割を持っていると言えるかもしれません。

 

*1:ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考』命題7。>>Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.<< Wittgenstein, Logisch-Philosophische Abhandlung, 1921.

テクスト解釈の多様性

今回はテクスト解釈について書きたいと思います。

 

まずはこちらの画像をご覧下さい。

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このイラスト何に見えますか?

目があるから、多分動物ですね。

カモかしら。アヒル?ウサギにも見えますね。

どうでしょう。どちらにも見えるし、書き方が結構曖昧じゃないですか。

この絵は「ウサギ-アヒル錯視(rabbit-duck illusion)」と呼ばれるものです。

この絵がウサギとアヒルのどちらにも見える(そして僕にはカモに見える)ということは、言い換えると、これは多様な解釈が成立しうる絵だということです。

ちなみに、この絵が多様な解釈を成立させている要因は、目や鼻が詳細に書き込まれておらず、細部が捨象されているからではないかと僕は思います。

さらにこの画像を2つ並べて「アヒルがウサギを食べている」という文脈を与えることで、同じ画像であるにも関わらず同時にアヒルとウサギという別々の種類の動物として認識する見方が成り立つようです。これは非常に面白いですね。(詳しくは下のリンク先をご覧下さい。)

karapaia.com

さて、ここまでイラストがどう見えるかのお話をしてきましたが、このような解釈の複数性はイラストだけでなく、テクストの中でも起こりうると思うのです。

例えば、著者はアヒルのつもりで書いたものが、同時にウサギが描写されていると読者が理解することもあるかも知れません。著者本人は決してウサギを書いたつもりはなかったとしても、テクストとしては著者の手を離れて読者に届けられている以上、そこにウサギが表現されているかも知れないのです。

この場合、テクスト解釈としては、著者の意図通りにアヒルが描かれている事を確認しつつも、そこにウサギが描写されている事を指摘することが新たな発見となります。特に哲学書のようにテクストの内容が難しい場合、その基本線や輪郭を正確に捉えるだけでも難しい場合があります。つまり、そこにアヒルが描かれているという事をまとめるだけでも大変なのですが、そこに描かれている事をまとめるだけでは面白くないわけです。普通の人がそこに何が描かれているのか理解できず、頑張ってようやくアヒルが描かれている事を理解できるような次元でありながら、なおかつ実はウサギもそこに描かれているという事を指摘できた時がテクスト解釈の面白いところというか醍醐味だと思うのです。

そしてテクスト解釈で注意しなければならないのは、「これがウサギに決まっている」とか「アヒルに他ならない」というように、解釈を1つに決め込もうとする態度です。「こうであるべき」というような規範を持ち込むと、本来あり得たはずのテクスト解釈の多様性が見失われてしまうかもしれないからです。 どちらにも見えるのだから、どちらも認めてしまっていいのです。

しかしながら、人間はしばしば二元論で考えてしまうので、「Aか、さもなくばB」という狭い考えに陥りがちです。割と自信家ほどそういう態度ですので、僕はそういう人が嫌いだったりします。もちろん実在のウサギはウサギであり、実在のアヒルはアヒルであり、ウサギであると同時にアヒルでもあるという事態は現実的には考えにくいのではありますが、見方としてはウサギであると同時にアヒルであるようにも見えるということは可能なのであって、実在の事物と認識の仕方をそれぞれ区別しつつも、認識の仕方を柔軟に変えていく発想こそが、テクスト解釈上は重要なのだと思う次第であります。

 

ところで今回この「ウサギとアヒル」の絵を取り上げたのは、ヴィトゲンシュタインがこの絵を『哲学探究』で取り上げたことを僕が知っていたからです。その絵がこちら(↓)。

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んん〜、元ネタのリアルな描写のイラストから、随分ゆるふわ系のイラストに変わってないか〜?

こういうのLINEスタンプにありそうですね〜。

この絵についてヴィトゲンシュタインは「当初、私にはウサギにしか見えなかった」とコメントしています*1

 

*1:「以前、この絵を見せられたことがあったはずだが、そのとき私にはウサギにしか見えなかったと思う。【*118】」ヴィトゲンシュタイン哲学探究』兵沢静也訳、岩波書店、2013年、379頁。