まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

『葬送のフリーレン』における〈尊さ〉

『葬送のフリーレン』(原作:山田鐘人・アベツカサ、小学館

 『葬送のフリーレン』(原作:山田鐘人・アベツカサ、小学館)が人気を博している。

 なぜ人は『葬送のフリーレン』に心惹かれるのか。『葬送のフリーレン』の核心は何であるか。この点について筆者は陳腐な言葉で語ることしかできない。『葬送のフリーレン』を通じて読者・視聴者が体験するであろう心揺さぶられる〈尊い〉感情は、容易く文字にすることを許さないほどに儚く脆いからである。

 それでも誤解を恐れずに言うと、『葬送のフリーレン』とは、いわば未来への配慮が描かれた追憶の物語である。主人公であるフリーレンは、かつて勇者一行(ヒンメル、ハイター、アイゼンという仲間たち)とともに魔王を退治した。それから80年以上の時を経た現在のフリーレンは、フェルンやシュタルクらとともに旅する中で、勇者一行の追憶に想いを馳せるのだが、その追憶の中で描かれるのは、過去のキャラクターたちが未来のフリーレンへと向ける配慮の眼差しなのである。なぜそれが〈尊い〉ものとして人々の眼に映るのかといえば、ヒンメルやハイターをはじめとする人間の寿命を超えてなおそこに込められた想いが、フェルンやシュタルクといった次世代の人々の時代に受け継がれ、実現されているからである。

『独仏年誌』「1843年の交換書簡」覚書(1)

目次

はじめに

 以下ではマルクス&ルーゲ編『独仏年誌』所収の「1843年の交換書簡」(以下「交換書簡」と略記)を読む。「交換書簡」の邦訳は、マルクス城塚登訳)『ユダヤ人問題によせて/ヘーゲル法哲学批判序説』(岩波文庫、1974年)に収められている。

 『独仏年誌』には、マルクスが書いたものとしてこの「交換書簡」のほかに「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判序説」が掲載されている。「交換書簡」は手紙という形式を取っているがゆえに、マルクス自身の個人的な意見が述べられているが、同時にマルクスその個人的な見解を「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判序説」の中で論考の形式へと昇華させているのである。したがって、「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判序説」を読み解く鍵は「交換書簡」の中にあるといっても過言ではない。

「1843年の交換書簡」

オランダから見たドイツ人

 マルクスからルーゲへ

           D行の引船上にて 1843年3月

 私は今、オランダを旅行しています。当地とフランスとの新聞から見た限りでは、ドイツは深く泥のなかにはまりこんでおり、今後もますますひどくなっていくことでしょう。国民的自負など一向に感じないひとでも、オランダにいてさえ、国民的羞恥を感ぜずにはいられないのは請けあいです。もっとも卑小なオランダ人ですら、もっとも偉大なドイツ人とくらべてみても、なお一個の公民なのです。しかもプロイセン政府にたいする外国人たちの判断はどうか!そこには驚くべき一致があり、もはや誰一人としてこの体制とその単純な性質について目をくらまされるものはありません。ですから新学派は少しは役に立ったのです。自由主義の虚飾ははげ落ちて、この上なく憎々しい専制主義が赤裸々な姿で万人の目の前に立っているのです。

(Marx et al 1844: 17,城塚訳99頁)

ここでマルクスがオランダという外国から見た場合のドイツ市民への眼差しについて述べている。マルクスは「オランダにいてさえ、国民的羞恥を感ぜずにはいられない」と述べているが、ここからマルクスドイツ国民としてのアイデンティティを強く持っているように思われる。

省略された固有名の問題

 翻訳だけ読んでいては気づかなかった点として、「誰から誰へ」という手紙の宛名が原文では「M.」や「R.」といったように省略されていることがわかる。城塚登訳(岩波文庫)ではご丁寧に「マルクスからルーゲへ(M. an R.)」「ルーゲからマルクスへ(R. an M.)」「バクーニンからルーゲへ(B. an R.)」「ルーゲからバクーニンへ(R. an B.)」「フォイエルバッハからルーゲへ(F. an R.)」といったように、「誰から誰へ」宛てられた手紙なのかが、その固有名によって明らかにされている。だが、原文のニュアンスを尊重するならば、本来こうした固有名は、それとなくほのめかされる程度に省略され、文字通りには隠されるべきものではなかったのだろうか。換言すれば、宛名として書かれた固有名(マルクス/ルーゲ/バクーニンフォイエルバッハ)は、そこに掲載された手紙の内容ほどは重要ではなかったと言えるのではないか。

その手紙はどこで書かれたか

 それぞれの手紙には書かれた場所が記載されているが、この情報はけっして無視されるべきではない。というのも、例えばマルクスは自身からルーゲに宛てた手紙を三つ、この「交換書簡」に掲載しているが、そのいずれも同じ場所で書かれた手紙は存在しないからである。マルクスからルーゲ宛の最初の手紙は「1843年3月にD行の引船上にて」書かれており、二つ目の手紙は「1843年5月にケルン」で、三つ目の手紙は「1843年9月にクロイツナハ」で書かれている。ここからマルクスが半年の間に場所を転々と移動していることがわかるのだが、手紙が書かれた時期も違えば場所も違うのであるから、その間にマルクスの思想が変容を遂げて深化していると考えることも可能である。それゆえ我々は、マルクスの思想的発展を裏付けるに値するような、それぞれの手紙にみられるマルクス独自の見解を捉える必要があるであろう。

(つづく)

文献

マルクス『資本論』覚書(26)

目次

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マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

有用労働は合目的的な生産活動か

(1)ドイツ語初版

 上着は,ある特殊な欲望を満足させる使用価値である.それを生産するためには,ある特定種類の合目的的な生産的活動が必要である.この活動は,その目的,作業様式,対象,手段,および結果に従って規定されている.このようにその〔労働の〕有用性が,その〔労働の〕生産物の使用価値のうちに,あるいはその〔労働の〕生産物は一つの使用価値であるということのうちに表現される労働を,ここでは単純化のために,略して有用労働と呼ぶ.この観点のもとでは,労働はつねに,その目的としてもたらされる有用効果との関連において考察される.

(Marx1867: 7)

(2)ドイツ語第二版

 上着は,ある特殊な欲望を満足させる使用価値である.それを生産するためには,一定種類の生産的活動が必要である.この活動は,その目的,作業様式,対象,手段,および結果によって規定されている.このようにその有用性がその生産物の使用価値のうちに,あるいはその生産物が使用価値であるということのうちに表現される労働を,われわれは簡単に有用労働と呼ぶ.この観点のもとでは,労働はつねにその有用効果に関連して考察される.

(Marx1872a: 16)

(3)フランス語版

(Marx1872b: 16)

(4)ドイツ語第三版

 上着は,ある特殊な欲望を満足させる使用価値である.それを生産するためには,一定種類の生産的活動が必要である.この活動は,その目的,作業様式,対象,手段,および結果によって規定されている.このようにその有用性がその生産物の使用価値のうちに,あるいはその生産物が使用価値であるということのうちに表現される労働を,われわれは簡単に有用労働と呼ぶ.この観点のもとでは,労働はつねにその有用効果に関連して考察される.

(Marx1883: 8,『資本論①』83頁,訳は改めた)

このパラグラフで「有用性 Nützlichkeit」という言葉が出てくるが,この「有用性」は,労働生産物がもっている使用価値それ自体の「有用性」のことではなく,生産物に使用価値をもたらすという点において労働それ自体がもつ「有用性」である.したがって,自分自身の使用価値であれ社会的使用価値であれ,生産物に使用価値をもたらさない労働は「有用労働」とは見做されないことになる.

 さて,ここではドイツ語初版だけにみられる特徴として,生産的活動すなわち労働が合目的性(Zweckmäßigkeit)という観点から言及されている.マルクスが初版において,生産物に使用価値をもたらす「特定種類の合目的的な有用労働」と述べる際に念頭にあったのは,ヘーゲルが『法の哲学』で述べているような職人の熟練労働ではなかろうか.実際,ヘーゲルは『法の哲学』第三部「人倫」第二章「市民社会」b「労働の様式」において,「労働」を「価値と合目的性」の観点から次のように述べている.

 第196節

 もろもろの特殊化された欲求にふさわしく,同様に特殊化された手段をしつらえたり,獲得したりする媒介作用が,労働である.労働は,自然から直接にあたえられる材料を,きわめて多様な過程を通して,これらの種々の目的に合うように細別化することである.ところで,この形成が手段に価値と合目的性をあたえるのであり,その結果として,人間はその消費において,主として人間によって生みだされた産物に関わるのであり,人間が消費するのは,このような人間の努力〔の成果〕なのである.

(Hegel1820: 198,上妻ほか訳(下)97頁)

マルクスはドイツ語第二版ではこの合目的性の観点を文章から削除しているが,しかしだからといってマルクスが有用労働から合目的性の観点を退けたことにはならない.というのも,ドイツ語第二版においても,少し先のパラグラフでは「こうして,どの商品の使用価値にも,一定の合目的的な生産活動または有用労働が含まれているということがわかった」(『資本論①』84頁)と述べているからである.

(つづく)

文献

マルクス『資本論』覚書(25)

目次

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マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

「W」で表わされる等式

(1)ドイツ語初版

 二つの商品,たとえば一着の上着と10エレのリンネルをとってみよう.前者は後者の二倍の価値をもっており,したがって,10エレのリンネル=Wならば,一着の上着=2Wであるとしよう.

(Marx1867: 7)

(2)ドイツ語第二版

 二つの商品,たとえば一着の上着と10エレのリンネルをとってみよう.前者は後者の二倍の価値をもっており,したがって,10エレのリンネル=Wならば,一着の上着=2Wであるとしよう.

(Marx1872a: 16)

(3)フランス語版

 二つの商品,たとえば,一着の上着と,10メートルのリンネルをとってみよう.前者は後者の二倍をもっており,したがって,10メートルのリンネル=xならば,一着の上着=2xであるとしよう.

(Marx1872b: 16)

(4)ドイツ語第三版

 二つの商品,たとえば一着の上着と10エレのリンネルをとってみよう.前者は後者の二倍の価値をもっており,したがって,10エレのリンネル=Wならば,一着の上着=2Wであるとしよう.

(Marx1883: 8,『資本論①』83頁)

ここで注意しなければならないのは,「一着の上着」と「10エレのリンネル」の価値を表すのに記号「W」(「商品 Waare」の頭文字)が用いられている点である.ここで「W」は,上着でもなくリンネルでもない第三の商品である.貨幣形式としての商品が予告されているともいえる.

 なおドイツ語のRockは「スカート」を指す言葉だが,古い用法では「長いジャケット」を指す言葉であった.『資本論』では「上着 Rock」と訳されるのが通例となっている.

 「エレ Elle」は長さの単位で,ドイツ語圏では通常50〜60cmの長さを表すが,地域によっては90cmの長さを表す場合もあったようである.

 「リンネル Leinwand」は,亜麻布,つまりリネン繊維で作られた布地のことであり,キャンバスにも用いられている.「10エレのリンネル」ということは,およそ5〜6m程度の長さになる.

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文献

マルクス『資本論』覚書(24)

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マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

ポリティカル・エコノミー理解のコペルニクス的転回

(1)ドイツ語初版

 もともと商品は,われわれにとって一つの二面的なものとして,使用価値および交換価値として,現象した.より詳しく考察すると,商品に含まれている労働もまた二面的であることが示される.私によってはじめて批判的に考察されたこの点は,ポリティカル・エコノミーの理解を転回するための跳躍点である.

(Marx1867: 7)

(2)ドイツ語第二版

 第二節 商品に表現されたる労働の二重的性格

 もともと商品は,われわれにとって一つの二面的なものとして,使用価値および交換価値として,現象した.それから,労働もまた,それが価値に表わされているかぎりでは,もはや,使用価値の生みの親としてのそれに属するような特徴をもってはいないということが示された.このような,商品に含まれている労働の二面的な性質は,私によってはじめて批判的に証明されたものである.この点は,ポリティカル・エコノミーの理解を転回するための跳躍点であるから,ここでもっと詳しく説明しておかなければならない.

(Marx1872a: 16)

(3)フランス語版

(Marx1872b: 16)

(4)ドイツ語第三版

 第二節 商品に表現されたる労働の二重的性格

 もともと商品は,われわれにとって一つの二面的なものとして,使用価値および交換価値として,現象した.それから,労働もまた,それが価値に表わされているかぎりでは,もはや,使用価値の生みの親としてのそれに属するような特徴をもってはいないということが示された.このような,商品に含まれている労働の二面的な性質は,私によってはじめて批判的に証明されたものである.この点は,ポリティカル・エコノミーの理解を転回する*1ための跳躍点であるから,ここでもっと詳しく説明しておかなければならない.

(Marx1883: 8,『資本論①』82〜83頁,訳は改めた)

資本論』がその副題に「ポリティカル・エコノミー批判」を持っていることは最初に確認したが,ここでマルクスは「ポリティカル・エコノミー批判」の論点が「商品に表現されたる労働の二重的性格」のうちにあることをずばり述べている.

 すでに見たように,使用価値と交換価値という二面的性質が,商品という形をとって我々の目の前に現れる.これは現象形態であった.だがその価値の内実をつくるのは,本質的には労働である.そして使用価値をつくる労働と,交換価値をつくる労働とは,その労働の性質が個人的なものであるか,あるいは社会的なものであるかによって異なるのである.こうした理解をマルクスがはじめて証明したのはいわゆる『経済学批判』においてであった.

ところで,ポリティカル・エコノミー〔politische Oekonomie〕は,不完全ながらも,価値と価値量とを分析し,これらの形式のうちに隠されている内容を発見した.しかし,ポリティカル・エコノミーは,なぜこの内容があの形式をとるのか,つまり,なぜ労働が価値に,そしてその継続時間による労働の計測が労働生産物の価値量に,表わされるのか,という問題は,いまだかつて提起したことさえなかった.

(Marx1872a: 57-58,岡崎次郎訳『資本論①』147頁,訳は改めた)

「なぜ労働が価値に,そしてその継続時間による労働の計測が労働生産物の価値量に,表わされるのか」という問題提起が,従来の「ポリティカル・エコノミー理解」に革命的なコペルニクス的転回をもたらすことを,マルクスは「転回する dich dreht」という語で表現している.

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文献

*1:内田はマルクスがカント哲学を摂取したことに着目し「旋回する sich dreht」という訳語を当てている(内田2016).

『源氏物語』覚書(2)

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源氏物語』(承前)

桐壺(承前)

(『校異源氏物語』巻一、5頁)

……はじめより、我は、と思い上がりたまへる御方、めざましき物におとしめそねみ給ふ。同じ程、それよりげらふの更衣たちはましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても人の心をのみ動かし、うらみを負う積りにやありけむ、いとあづしくなりゆき、物心ぼそげに里がちなるを、いよいよ飽かずあはれなる物に思ほして、人の譏りをもえ憚らせ給はず、世のためしにも成りぬべき御もてなしなり。

(『源氏物語(一)桐壺―末摘花』岩波文庫、2017年、14頁)

與謝野晶子訳で鮮やかに訳出されているように、ここでは「最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった」という「陽」の側面と、「宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた」という「陰」の側面との対比が描かれている。「そねみ」や「うらみ」を與謝野晶子が「嫉妬」と訳しているように、「嫉妬」がこの物語を動かす鍵となる感情として最初に登場している。

(つづく)

文献

『源氏物語』覚書(1)

目次

はじめに

 『源氏物語』といえば、知らない者はいないといっても過言ではないほど有名な古典文学作品である。にもかかわらず、恥を忍んでいうと、筆者はこれまで中学や高校で『源氏物語』を読んだのか否かさえも覚えていない。そもそも『源氏物語』が54帖という膨大な巻数を有しているということさえ今回この覚書を書くまで知らなかった。そのような私がこれから『源氏物語』を読んでみようというのだから「気が触れた」と思われても仕方がない。ヘーゲルだのマルクスだの西洋かぶれの哲学や思想を研究してきた人間が、三十半ばに差し掛かろうとしている時に、いきなり自国の古典文学作品に目を向けるということが一体何を意味しているのか、自分でもいまいちはっきりと理解していない。とはいえ、何事も時宜にかなった頃合というものがあり、早い遅いの問題ではないのだと思う。むしろ私の知らない豊穣なテクストがまだ数多く存在していることに喜びを感じるばかりである。

源氏物語

 先に触れたように『源氏物語』は54帖から成る膨大な作品である。原本はすでに消失している。現在残されているその写本には多くのバリエーションが存在するが、それぞれの写本には一部欠巻が存在する*1

 以下では、池田亀鑑編著『校異源氏物語』(中央公論社、1942年)および柳井滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和今西祐一郎(校注)『源氏物語』(岩波書店、2017年)を基本テクストとして参照する。資料については「国書データベース」(国文学研究資料館)や「デジタル源氏物語」、その他ホームページを活用している。

岩波文庫版『源氏物語』の表紙にもなっている「源氏物語絵屏風」は「国書データベース」から閲覧可能である。

桐壺

(『校異源氏物語』巻一、5頁)

 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめき給ふ有りけり。

(『源氏物語(一)桐壺―末摘花』岩波文庫、2017年、14頁)

単語
  • 不定指示代名詞】いづれ:どれ。
  • 【格助詞】の:連体修飾語(連体格)。
  • 【名詞】御時(おほんとき):[接頭辞]「御」+[名詞]「時」。天皇の治世の尊敬語。
  • 【連語】にか:断定の助動詞「なり」の連用形「に」+係助詞「か」。「〜であろうか」。
いづれの御時にか

 冒頭の「いづれの御時にか」という件から、この物語が天皇を前提とした世界(つまり「日本」と我々が呼ぶ地域)を舞台にして描かれることが真っ先に宣言されている。このような舞台設定は例えば『ハリーポッター』がイギリスの世界を前提とするようなものである。

 天皇制を前提とし、そのうえで読者にとって問題となるのは、〈どの天皇が即位した時代なのか〉であろう。この点について天野紀代子は次のように語っている。

天野 ……更衣というものはもうすでに紫式部の時代にはいなかった。浅井虎夫の『女官通解』から「歴代皇后・妃・夫人・嬪の概表」を貼っておきましたけれども、「女御、更衣あまたさぶら」っていた時代は、醍醐天皇、せいぜい村上天皇の時までで、それ以降は更衣という妃はいないんですね。一条天皇にはもちろんのことです。女御や更衣が大勢仕えていたと始められる出だしで、読者はすぐさま五十年前、一〇〇年前の王朝を想像したことでしょう。

(「〈シンポジウム〉『源氏物語』の魅力」法政大学国文学会『日本文学誌要』77巻、4頁)

現代の我々が読めば曖昧な記述に見える「いづれの御時にか」という導入も、当時の人々が読めば「すぐさま五十年前、一〇〇年前の王朝を想像」することが可能であったという指摘は重要である。天野は続けて言う。

天野 ……作者がどうして身分の低い更衣を持ち出したかという上では、醍醐帝の更衣に藤原桑子というのがいますけれど、これは中納言にまでなった藤原兼輔の娘で、紫式部にとってはお祖父さんの姉妹に当たります。そのことが創作の上で重要に関わっていたのではないかと思われます。一族の名誉であった入内が、更衣だったことへの特別な思い入れがあったに違いないということです。

(同前、4頁)

作者すなわち紫式部は勿論『源氏物語』の作中には登場しないのだが、天野のように作者がどのような意図で舞台設定をしたのかにふかく思いをめぐらすとき、あらゆる舞台設定が必然的なものであるかのように思われてくる。

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文献

*1:源氏物語』の写本については「国書データベース」に整理されているのでそちらを参照されたい。